新・mespesadoさん講義(126)保江邦夫氏と神道天行居 [mespesado理論]


ちなみに、神道天行居創始者友清歓真師は、量子力学(量子理論)についてこう語っています。《二十世紀に入ってからの物理学は十九世紀までの素朴な物質的模型化の機械的自然観を棄て、高度の数学的抽象化の観念的自然観に座標を替えました。けれども人間というものは妙なもので、十八世紀以来深く私どものあたまに浸み込んだ観念は、意識に否定されつつ厳然として先入主観念となって存在し、科学過信、唯物無神の思想が社会通念で、それに平仄の合わぬことは迷信として嘲られることが当然と大悟して今日に及んで居ります。/相対性理論は一九一六年に一と先ず棟を上げてから其後あまり発展しないようでありますが、今世紀初頭にブランクによって提唱された量子理論は、ボーアによって水素原子の発光の機構説明で成功して以来すばらしい発展を遂げつつあるように承わって居ります。自然界の構造は十九世紀までは寸分のゆとりもないように製作された精密な機械に似たものと考えられていましたが、今世紀に入ってから少し平仄に合わぬところの分量がブランクによって作用素量と呼ばれて居ます。量子理論の開山ボーアを始め、ハイゼンベルグ、シュレージンガーなど偉大な学者によって、詳しいことは私どもには判りませんが、手堅い飛躍をつづけているように思われます。ジーンスは「自然の設計者は一大数学家である」と云い、すこしつむじをまげたエディントンは「数学はそんなものでなく、せいぜい物理学の使用人としての役目に服従して居るものだ」といっていますが、とにかくガリレオが「自然は数学記号で書かれた書物」といったことは何時までも一面から支えられて行く言葉でしょう。その数学記号なるものが神わざの一つの現われなんですから。》(「秋深き古神山」昭和23年10月 『友清歓眞全集』第5巻185p)今から70年以上前、量子力学(量子理論)による神的世界までの解明を予感しておられたように思えます。そして、『神の物理学』の著をもつ保江氏が神道天行居に拝され、葦原神社にて白蛇出現の奇瑞に遭遇されたことの意味を思わされています。
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新・mespesadoさん講義(125)「頑張らなくてもいい時代」 [mespesado理論]
DNAさんの《「新しい時代」は必ずやってくると言い切れる根拠は何か?》という問いに対するmespesadoさんの見事な回答。《「心のしがらみを捨てたとき」が、イコール「新しい時代の到来」》に至る議論、よくわかります。《物理的には全く意味のない制約によってシバキあっているのが現実の現代社会なのだ。そのバカバカしさに皆が気付いた瞬間に、この世の中は、ひとりでに「頑張らなくてもいい時代」に成るのだ。》
DNAさんの《年寄りはね、もう十分騙されてきた。もうこれ以上騙されたくないんだよ》の言葉に、30代前半、徳田虎雄という人のエネルギーをもろに受けていた頃、世の中の酸いも甘いも噛み分けた(と思われる)叔父に「所詮人間なんだからあんまり入れ込まない方がいいよ」と言われたのを思い出しました。あれから40年、昨日感慨深く「医療法人売上高、徳洲会断トツ」の記事をアップしたのでした。徳田さん、政治活動に関しては、それこそ「ムリ、ムダ、ムチャ」ばっかりで、見るべき成果を残せなかった。(「『神になりたかった男 徳田虎雄』政治の世界での空回りhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-12)けれどもいちばん肝心の「医療」に関しては、見事に初心を貫き、なすべきことをなし遂げたといえるのではないか。「実力の100倍の目標設定」のなせる業(ワザ)と私は思う。

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