いい七夕祭でした [熊野大社]

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お盆に先祖をお迎えする前の禊祓いの行事として七夕は行われてきたのです。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-07-1)
豊栄舞の奉納。参列者代表玉串拝礼。
これまでにない多くの参拝者。
多くの方から寄せられた短冊が飾られ、キラキラ輝いて見事でした。
今日、第10回宮内七夕祭 [熊野大社]

宮内などの各家庭のお獅子が熊野大社拝殿前に勢ぞろいします。午後3時ごろから飾り始め、午後7時からご神事です。
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2013年からなので今年でちょうど10回目。一昨年の様子です→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-08-3
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第一回→「宮内七夕の復興(5) 新装復活「宮内七夕祭」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-12-10-4
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10年前に書いた文章、再掲しておきます。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-08-10)
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3年ぶり、熊野の夏祭り [熊野大社]
2年間、御神事だけだった熊野大社例大祭。3年ぶりに御神輿渡御、お獅子式出御のお祭りになりました。一昨年の様子書いていました。→「熊野大社例大祭報告」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-07-26-1
祭り参加者は、参加当日抗原検査を受けなければなりませんでした。私も24日と25日、2回受けました。2回とも陰性でした。1キット1200円は市から全額補助とのこと。受検者は24日51名、25日41名、陽性者はひとりもいなかったとのことでした。当初ワクチン3回接種証明書を持参の上抗原検査とのことでしたが、それはウヤムヤになったようです。私の未接種はみんな知っていますが、「私も未接種」という人とひとりも出会いませんでした。あれだけ言い続けてきたにも関わらず、です。おのれの無力さもそうですが、世の中の同調圧力のすさまじさを思わずにはいられません。
最新の南陽市ワクチン接種状況です→ 12才以上64才以下87.0%、65才以上高齢者97.1%が3回目接種済みです。そろそろワクチンのいかがわしさ、コロナ騒ぎのおかしさに気づきつつある雰囲気がないではありませんが、それ以上にマスコミが作り出す空気感の強さを思わずにはいられません。戦後の「民主主義教育」なんていいながら、いかにい加減なものだったかを痛感させられます。とりあえず日本人すべからく、玉音放送のあの瞬間に立ち還ってやりなおすことしか思いつきません。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-17-5

以下、順を追って、26日までの祭りの記録。
「宮内の歴史」ということで、語りたかったこと(2)熊野大社 [熊野大社]
前記事の結語として《このたび熊野大社に龍口神社が合祀されることで、熊野大社は名実ともに「龍穴」となった。金山龍口神社は白鷹山塊を龍に見立てた「龍穴」であったが、熊野大社は、出羽三山から鳥海山、さらに秋田、青森までつづく出羽丘陵(出羽山地)を一頭の龍と見立てた上での「龍穴」といえるのではないか。》と書いた。ここまで言ってしまうと、「またホラが始まった」と言われようが、とことん行くところまで行くしかないということで、熊野大社の御祭神の話にならざるを得ない。「私にとっては究極のロマンです」と断って語った。
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賑わう熊野大社 [熊野大社]



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宮内七夕祭 [熊野大社]

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7時からの開始で15分ぐらい前からぼちぼち参列の方が上がってきます。若いカップルや若い女性グループが目立ちます。facebookでは3日前の告知でした。→https://www.facebook.com/kumanotaisha/posts/1555890921264428 今年はお年寄りや小さな子どもの姿はほとんどなく、例年よりは少ない参列の中、御神事は例年通りきっちりと行われました。
豊栄舞の奉納は、2人の神職の演奏に合わせてひとりの巫女さんが詠いひとりの巫女さんが舞うものでしたが、一体一体の御獅子様の御満足が伝わってくるような気がしました。ピンと張りつめた雰囲気があって、これまでに感じたことのない神気を感じた今回の七夕祭でした。宮内のたいせつなお祭りとしていつまでも続いてゆくことを、御獅子様とともに願いたいと思います。

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御神事後の宮司の話を録音してきました。
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熊野大社例大祭報告 [熊野大社]
今日(26日)午前中の総社祭をもって例大祭全日程終了。26日正午からの獅子冠時事務所慰労会も今年はない。今年の獅子冠事務所の仕事は、御神事への有志参加のほか、お獅子様にお幕、オシダ(髪、ヒゲ)をつけて拝殿向かいの神楽殿にお飾りすることと、
オミコク(御神饌)の豆ボカシを炊き上げること。例年祭りを賑わす他団体(若連、宮神会、熊野ばやし、子供みこし、獅子児保存会・・・)の出番はない。本来オリンピックで湧き立つはずの4連休のおかげもあって、日中多くの方が参拝に来られた。24日夕から25日朝までかなり雨が降っていたが昼になると晴れたのもありがたかった。25日は小学校の駐車場が満杯状態で駐車場整理もやった。県外ナンバーが結構あった。今熊野大社のサイトを見たら「夏祭り期間(7月23日~7月26日)参拝の方限定御朱印」とある。ネットを見て来る若い人が多いらしい。とくに女性の数人グループが目立ち、華やいだ雰囲気がいい。コロナ禍によって、「観光地」はガタ落ちだが「神詣で」はかえって価値を上げつつあるのではないか。御神事のみの今年のお祭り、祭りの原点に立ち帰ったようにも感じた。(「祭りの本義」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-12-19)

龍口神社御神体拝観(3) [熊野大社]

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幸神社について『熊野大社年中行事』(北野猛著)にこうある。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-11-09
《猿田彦鈿女の命を祀り、方角や家相の神さまである。この宮は神仏分離前は馬頭観音をお祀りしてあった。馬の守護神であり、昔は着飾った馬の参拝が行なわれたものだ。/ 仏説に旧七月十日に観音様にお詣りする人は四万八千日の御利益を授けられるという信仰によって行なわれたものである。ま夏の日の暑さに一日を過ごした人々は、夕の涼風を求めて集まり、境内は夏大祭をしのぐ人出で賑ったものだ。赤いカンテラの火が燃えて黒い油煙が流れる。冷たい氷水を売る店、熱いゆでコンニャクからはあのコンニャク特有の香りが参拝者の食欲をそそる。糸の宮内と唄われた当時、若い女工さん、あんちゃん、ばんちゃんで店頭はごった返したものである。このお祭りも、戦争末期に新旧暦のさだかならぬうつりかわりの時、やれ新暦だ、俺は旧暦だという雑音と、大戦のためあの行き詰まった社会情勢の中に自然とその影を失ってしまい、今では明治をなつかしむ人たちによってわずかにその命脈を保っている。》置賜三十三ヶ所札所だった時代の御詠歌も記してあった。《置賜三十三カ所霊場巡りの御詠歌に、十九番宮内馬頭観世音 幾たびかまいる心はみ熊野の熊野の山の馬頭観音 と唄われ、おゆずり姿の巡礼が無心に誦するご詠歌のこえが、鈴の音とともに老杉のなかから聞こえて来た昔は懐しい。》
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煩瑣な合祀の手続きを経ながらも、龍口神社の御神霊と御神体は、熊野大社境内社の厳島神社と幸神社に無事御遷座なりました。毎年7月26日の総社祭が例祭となります。