『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』を読んで [本]
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第2章「戦後リベラルの正体」の第3節「新左翼とは何だったのか」。二人の学生運動への関わりが語られる。そのやりとりの最後。
《副島 日本の過激派の学生運動、新左翼たちの運動は70年代で死に絶えました。現実味のない愚かで空疎な戦いの中で人生をボロボロにしていった約20万人活動家たちの魂を、私は引きずっています。バカだった、だけでは済まない。/ 新左翼の各派に、公安警察のスパイがかなりの数で潜り込んでいました。そして彼らが内部から扇動して内ゲバを嗾(けしか)けた。敵対するセクトの幹部たちの住居を教えて、ナタやバールをもって襲撃して惨殺させています。殺し合いが始まると互いの憎しみが頂点にまで達して、さらに血で血を洗う抗争になりました。/ 私はどんな国でも同じでしょうが、国家権力、警察というものの恐ろしさを、腹の底から知りました。大きく騙されてこんな殺し合いに嵌っていった人間は、限りなく愚か者です。息子たちを殺された親たちの嘆きは、とても言葉にならない。/ それでも私が知り合った、どこの大学の過激派の活動家たちも、みんな人間が良くて優秀な人たちでした。一人ひとりは、その後厳しい人生になった。ほとんどの人は、過去を隠して生きているでしょう。/佐藤 怖いのは、誰も左翼の活動のことをよく知らないまま、再び左翼思想が注目される時代となり、人々が無自覚的に時代の波に飲み込まれてしまうことです。そうなると、かつての左翼たちが犯してきた、さまざまな誤りや悲劇が繰り返されることになります。》(108-109p)
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副島氏は昭和28年生まれ、佐藤氏は昭和35年生まれ、私よりだいぶ若い。私が体験したのは「大学紛争」だったが、二人にとっては「大学闘争」だったようだ。しかしそれは「現実味のない愚かで空疎な戦い」であり、「大きく騙されての殺し合い」であり、「さまざまな誤りや悲劇」であり、「ほとんどの人は、過去を隠して生き」ざるを得なかった「闘争」だったと言う。「大学闘争」は、「自己否定」の必然の結果ともいえる「さまざまな誤りや悲劇」の形で「死に絶えた」。しかしその「大学闘争」は、「大学紛争」を生きる当時の若者の多くの「共感」に支えられてもいたはずだ。
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