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置賜獅子の会宣言 [徳田虎雄]

51qsPjLUTxL._SY445_SX342_.jpgE7A59EE381ABE381AAE3828AE3819FE3818BE381A3E3819FE794B7.jpg神になりたかった男 徳田虎雄』( 2017/11/25)の全面改訂版(2020/1/7 )『ゴッドドクター 徳田虎雄』をKindle版で読んだ。先著については「移ろうままに」に3回に分けて書き、Amazonにもレビューしている。→「『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-13-3https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGD2UX2JNGJADNXVZDUGHFGBKOUQ/ref=cm_cr_arp_d_gw_btm?ie=UTF8
山形県は、南から置賜、村山、最上、庄内の4圏域に分けられる。徳田虎雄という人に出会って、最初に徳洲会病院の誘致に動いたのはわれわれ置賜だった。昭和56(1981)年のことだ。その後、庄内(余目)、最上(新庄)、村山(山形)には徳洲会の病院ができて今に至るが、置賜には何もない。徳田さんの呼びかけに応えていちはやく「獅子の会」を結成したが、何の実績もないまま今に至る。「猫の子会」といわれるゆえんだ。このままで終わりたくないの思いは根強くくすぶる。私としては最後になるであろう選挙を前に、ずっとこのことを考えている。
平成3(1991)年の春、徳田さんの要望に応えて南陽で講演会を開催した。徳田さんから「実力の100倍の目標設定」を叩き込まれていた置賜獅子の会は、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」とぶちあげた。その年、「週刊置賜」を発行するわれわれ仲間の「置賜タイムス社」の20周年事業にあわせて、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」の思いを盛り込んだ「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくった。
*   *   *   *   *
  今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
  その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
  そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
  ・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
  ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
  ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
  はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
  置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。
*   *   *   *   *
「21世紀的感覚」とは何か。
*   *   *   *   *
  20世紀を支配してきた物欲文化、
  より多いモノとカネの追求、
  その根っこにあるのは、
  羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
  それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
  それが21世紀的世界。
  としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
  心の底で芯から望んでいる世の中。
  時代は私たち置賜人の望む方向へ、
  まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。
*   *   *   *   *
この感覚、どう政治とリンクさせることができるか。この著の再読を思い立ったのもその問題意識からだった。

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徳友会交流会 [徳田虎雄]

徳友会.jpg昨夜、山形国際ホテルでの徳友会交流会に行ってきました。3年ぶりの開催。私にとってはもっとしばらくぶり。今回は、山形徳洲会病院開院時から8年間事務部長として在任した石川一郎さんが、社団法人徳洲会の本部長という事務方トップに就任してはじめての山形講演ということで、是非とも行かねばならない。昨日の記事は石川さんに読んでもらいたくて出かける時間ぎりぎりまでかかってアップした。→「『虎雄とともに』を読む」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-12-01

m_E3808CE79C9FE5AE9FE38292E6B182E38281E381A6E3808D.jpg講演は150周年記念式典でも披露された「生命だけは平等だー徳洲会グループの軌跡」の上映と、徳田語録の紹介だった。徳田語録は『真実を求めて 生か死か?』に拠った。山形の事務部長に石川さんが来るということになった時、誰だったか石川さんを「ミスター徳洲会と言われる男」と教えてくれたが、石川さんが徳田さんを語ると、たしかに徳田さんが目の前に現れる。徳田さんと石川さんはいちばん深いところでしっかり同調しているのだろう。「無私の感覚」と言ってもいい共通感覚。

石川さんの来賓挨拶。

もうひとつ、この歌は必ず聴かねばと思っていたら、案の定菅原会長がリクエスト、最初に歌ってもらった三浦洸一の「踊り子」をアップしておきます。必聴オススメです。

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徳洲会グループ創立50周年記念式典 [徳田虎雄]

徳田名誉理事長.jpg11月16日、ホテルニューオータニ「鶴の間」で開催された「徳洲会グループ創立50周年記念式典」に行ってきた。「ふるさと南陽のつどい」はこの会場を半分に仕切っての開催だったが、今回は全開放、800人ぐらいか。
参加の目的は二つ。ひとつは、徳田さんの現状を知りたかったこと。もうひとつは、「立ち上がれ!徳洲会」をなんとか徳洲会内部に伝えたいという思い。

徳田さんの現状については、東上理事長による冒頭挨拶が言いつくしてくれた。→「昨年理事長に就任して徳田さんに会いに行った。20年に及ぶ闘病生活で高次機能低下は避けられないと考えていた。ところが徳田さんは、”数字合わせ”という徳田さんがこだわり続けた徳洲会の合言葉に、明らかに瞼を開いて反応した」というのだ。あらためて生命を保ち続けておられることの意味とありがたさを思わされた。(→「徳田理事長訪問記」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-02-26

二つめ、4万人のスタッフをかかえる徳洲会、現場ではワクチン接種をめぐってさまざまな思惑が渦巻いているのではないだろうか。新型コロナそのものの後遺症については、全国に広がる徳州会の12万症例に及ぶ電子カルテ情報を活用し、大規模調査が行われたとの報道がある(https://www.sankei.com/pressrelease/prtimes/NUDLGQWSWNKIFLHOCV6HSAHNRI/)。なんとかワクチン接種後遺症の実態を徳洲会のデータから明らかにしてほしい。出かける間際に思い立って、「立ち上がれ!徳洲会」の記事のコピーと、置賜獅子の会についてあとがきに記した『「光の子ども」たちへ』をバッグに詰め込んで出かけていた。5冊づつ茶封筒に入れていたので、帰り際見送りの職員に「徳洲会へのメッセージを持ってきたので、東上理事長と石川本部長に渡して」と頼んできた。山形徳洲会病院の事務部長を長く務めた石川本部長には、記事を書いた時、電話で話していた。今後の動きを見守りたい。

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立ち上がれ!徳洲会 [徳田虎雄]

徳洲会招待状.jpg徳洲会から創立50周年記念式典の招待状が届いた。昭和48年(1973)1月のスタートという。われわれが徳田さんと出会ったのは昭和56年(1981)3月、高畠での講演会だった。8年目にしてもう9つの病院があった。置賜に病院をつくってほしくて徳田さんの追っかけが始まった。その後、庄内(余目)、新庄、山形にはできたのに置賜にはできなかった。代わりにできたのが公立置賜総合病院だ。われわれの動きを察知した県が、建設費地元負担5割予定が2割になったことで一挙に進んだ。「経営が行き詰まって徳洲会に頼ることになるかもしれない。その時は引き受ける。できるだけいい病院をつくってもらえ。」と徳田さんは言った。

全国に「獅子の会」を組織しながらの講演行脚だった。5月には南陽で講演してもらった。そこで「南陽獅子の会」ができた。会場の修道館は立ち見が出たほどだった。当時の南陽市立病院の院長もメンバーになった。その後平成3年(1991)米沢と合流して「置賜獅子の会」になって今に至る。ずっと眠っていたが、最近目を覚ました。(「置賜獅子の会」復活へ!https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1)以心伝心、徳田さんの意思が働いているような気がしてならない。命ある徳田さんが気持ちの支えになっている。

徳洲会の理念.jpg40数年間徳洲会を見続けてきた。徳洲会の出現で、全国に「年中無休・24時間オープン」の体制が敷かれるようになった。「患者から贈り物は一切受けとらない」のが常識になった。(「徳洲会が煙たがられる最大の理由」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-09-23)医療界を大きく変えながら、断トツのトップにのし上がった。(「医療法人売上高、徳洲会断トツ」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-12-2

9月7日の「一般社団法人ワクチン問題研究会設立に関する記者会見」を見ていて、突然徳田さんを思った。徳田さんならどうするか。今こそ、徳洲会が立ち上がるべきときなのではないか。動画を見てほしい。→https://iwj.co.jp/wj/member/archives/518359

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医療法人売上高、徳洲会断トツ [徳田虎雄]

東洋経済 病院 売上ランキング.jpg『東洋経済』最新号「病院サバイバル」に医療法人売上高ランキングが載った。民間の医療法人が各都道府県に提出している決算届を集計したデータで、初めての試みとのこと。

1位 徳洲会 3,083.2億円
2位 沖縄徳洲会 1,837.8億円
3位 明理会 997.4億円
4位 明芳会 940.3億円
5位 愛友会 760.4億円
東洋経済 民間病院の状況.jpg徳洲会と沖縄徳洲会を合わせた徳洲会グループは病院数71院 病床数1万7909床で合計売上4,921億円。
3、4、5位の明理会、明芳会、愛友会は、7位の協友会、15位の東光会等とともに、中村三兄弟が経営する中央医科グループ。93院で25,286床で、規模は徳洲会グループより大きいが、売上合計4,039億円で徳洲会グループに及ばない。
東洋経済 病院  公徳会.jpg南陽市の公徳会は、県内トップの148位(売上75.0億円)。県内2位は篠田好正会で169位(63.7億円)。

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亀井さん、徳田虎雄を語る [徳田虎雄]

7.jpgS書店のSさんに商店会のことで話しに行って、”夫婦はどちらかが死んでからが本当の人生”の見出しに惹かれて買った『週刊現代』、なんと亀井静香さんが徳田さんのことを書いた記事がはいっていた。この記事に出会うためにこの本を買ったのか、とびっくり。「亀井静香の政界交差点 第78回 徳田虎雄」、見出しが ”非常な運命にも屈しない「虎」と「亀」の友情” 。

《徳田虎雄という男は俺が政治家として、そしてなにより人間として尊敬している人物だ。》で始まる。徳田さんは平成2年(1990)、保岡興治との熾烈な戦いの末、3度目の挑戦で衆議院議員となる。《しかし、徳田さんは無所属の身で、当選しても政策を実現するのは難しかった。「日本の医療は荒廃している。もっといい医療を全国に展開するんだ」と語る彼に共鳴した俺は、「よし、俺が用心棒をやる」と応え、バックアップすることにした。》《俺は徳田さんのためならなんでもやった。・・・「なんで自民党じゃあない徳田のためにここまでやるんだ」と猛批判されたが、俺は意に介さなかった。沖縄や奄美に対する予算付けも、全部俺がやった。・・・徳田さんの陳情も私欲ではなく、沖縄や奄美のために必要なことばかりだったから、なんとかしたんだ。そこには「虎」と「亀」の友情があった。》

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祝復権!徳田虎雄元理事長 [徳田虎雄]

安冨祖理事長直言.jpg徳洲会理事長が安富祖理事長に代わったことを知った。徳洲新聞から「徳田虎雄」の名前が消えたのは2013年の騒ぎの後、鈴木隆夫理事長就任からだった。それから7年、7月6日号「徳洲新聞」の新理事長直言で「徳田虎雄」の名が堂々復活した。《徳洲会創設の精神は、創設者徳田虎雄先生の幼少時の原体験にあります。鹿児島県の離島、徳之島で医師に診てもらえず弟を亡くしてしまった悲しみ・恐怖・怒りが ”生命だけが平等だ” の徳洲会の理念を産み落としたのです。離島・へき地に病院を建設するために、本土の都市部に次々と病院を開設しました。その高邁な精神と行動力に、高い志を持つ多くの若人たちが賛同し、協力することによって、今日の徳洲会がつくり上げられたのです。私たちが離島・へき地医療を常に意識しないといけないのは、徳洲会の原点、創設者の精神がそこにあるからです。今、私たちの都市部にある病院は、近隣の中核病院と比較し、勝るとも劣らない立派な建物で、最新の医療機器を駆使し、医療を行っています。徳洲会グループとして離島・へき地医療に力を注ぐことにより、彼の地の医療は充実し、ひいては徳洲会がさらに発展する礎となります。・・・私たちは、徳洲会創立47 年の間、多くの困難を乗り越えてまいりました。それは徳洲会の理念実現に向け、職員全員が一丸となって努力した結果であり、それなくしては決して乗り越えることができなかったはずです。「和をもって尊しとなす」。私は社徳職員と協力し、全国の現場に毎週、足を運び、職員の声に耳を傾け、良い取り組みの発見や、全体のバランスを調整し問題解決にあたりたいと考えています。皆で頑張りましょう。》

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「トラオの夢〜病院王・徳田虎雄とその時代〜」 [徳田虎雄]

「トラオの夢〜病院王・徳田虎雄とその時代〜」を観た。鹿児島テレビ制作で今年度のFNSドキュメンタリー大賞作品。
エピローグ、「トラオはいま、いったい何を思うか?」の問いに、徳田夫人、盛岡正博氏、能宗克行氏がそれぞれ答えている。わたしの知る限り、トラオを語るにはこれ以上ない3人だ。この3人を主軸に据えたことがこの番組成功の決め手であったと思う。この3人、それぞれの立ち位置はちがうが、トラオに対して3人ともフラット、というか、上からでもなく下からでもなく見れる。徳田夫人にしても、他人を見るようにトラオに対している。能宗氏は、一旦突き放した上でトラオを評価する。中でも、盛岡氏の答えが心に残った。《ちょっと変な表現ですけど、善の方の何かというか、まあ創造主といってもいいですけど、神様といってもいいんでしょうけど、それと会話するような心境にいっているのか、それとも、実はもう完全にそういうことも捨てちゃっているのか、というのは、わからないですね。》たしかに、私にも、「わからない」。先ずは前者と思いつつ、後者も、「そうかもしれない」と思ってしまう。そもそも、トラオにとって自分以外に「神」など在ったのかどうか。

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