新型コロナへの徳洲会の取組み [徳田虎雄]
《徳洲会呼吸器部会部会長の日比野真湘南藤沢徳洲会病院 (神奈川県) 呼吸器内科部長は、徳洲会グループが実施している新型コロナ感染症(COVID-19) に関する前向き観察研究について報告した。
研究は徳洲会76病院による多施設共同研究で、2月にスタート。 外来 入院問わずコロナ患者さんの大規模データを集積、解析し、エンシトレルビル(商品名:ゾコーバ)を含む抗ウイルス薬を用いたCOVID-19診療に関するエビデンス(科学的根拠)の構築を目指す。
日比野部長が研究代表医師。 10月までに2万例、 そのうち1万例以上は抗ウイルス薬投与例を目標症例数とし、患者さんへのアンケート調査を通じて罹患後症状 (いわゆるlong COVID) や労働生産性への影響などを評価・検討する。
これまでに48病院から4,214例が集まっていることを報告。 エンシトレルビルを投与した患者さんは、投与していない患者さんと比べ、入院リスクが減少する研究結果などを挙げ、「重症化リスクの有無にかかわらず投与でき、高い治療効果が見込まれています」と示唆した。
日比野部長は「アンメットニーズ(いまだ有効な治療法がない疾患への医療ニーズに応えるべく、全国に病院をもつ徳洲会グループとしてエビデンス (科学的根拠)構築につなげていきましょう」と呼びかけ、 研究への積極参加を促した。》
研究は徳洲会76病院による多施設共同研究で、2月にスタート。 外来 入院問わずコロナ患者さんの大規模データを集積、解析し、エンシトレルビル(商品名:ゾコーバ)を含む抗ウイルス薬を用いたCOVID-19診療に関するエビデンス(科学的根拠)の構築を目指す。
日比野部長が研究代表医師。 10月までに2万例、 そのうち1万例以上は抗ウイルス薬投与例を目標症例数とし、患者さんへのアンケート調査を通じて罹患後症状 (いわゆるlong COVID) や労働生産性への影響などを評価・検討する。
これまでに48病院から4,214例が集まっていることを報告。 エンシトレルビルを投与した患者さんは、投与していない患者さんと比べ、入院リスクが減少する研究結果などを挙げ、「重症化リスクの有無にかかわらず投与でき、高い治療効果が見込まれています」と示唆した。
日比野部長は「アンメットニーズ(いまだ有効な治療法がない疾患への医療ニーズに応えるべく、全国に病院をもつ徳洲会グループとしてエビデンス (科学的根拠)構築につなげていきましょう」と呼びかけ、 研究への積極参加を促した。》
名目は「新型コロナ感染症(COVID-19) に関する前向き観察研究」ということだが、おのずとワクチン副反応もその射程に入ってくるに違いない。期待を持って見守りたい。
昨年書いた記事から再掲しておきます。→「立ち上がれ!徳洲会」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-09-12
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岡慎之助君金メダル! [徳田虎雄]
昨日5ヶ月ぶりに家に戻った。病院の快適な空調環境から酷暑の外界へ出ることの大変さを覚悟していたのだが、思ったほどではなかった。昨日の段階で梅雨明け宣言はまだだった。久しぶりの自宅での夜。夜中の3時過ぎに目が覚めた。最近の習慣でテレビのスイッチを入れたら水泳だったかだが、ニュース速報のテロップ。個人体操総合で岡慎之助が金メダルの報だった。すぐ地上波にかえた。家に帰って久しぶりに広げた昨日の朝刊で、徳洲会からたしか岡と杉野の二人が出ていたのを確認していたところだった。監督は徳洲会の水鳥監督だ。テレビの解説が米田功だった。徳田さんの臨在を思った。
米田、水島等の団体総合金メダルがちょうど20年前のアテネ五輪だった。凱旋後まもなくの山形徳洲会病院オープン。その記念式典に花を添えるべう招かれたのが彼らだった。屋上から吊り下げる歓迎幕を調製した記憶がある。折しもちょうど山形徳洲会病院20周年記念式典の案内状が届いている。
それにしても、「世界の厚生省を目指す」と言っていた徳田さん、かつての宿敵武見太郎医師会会長の息子が仕切る今の厚労行政をどう思っておられるだろうか。
・【第9回WCH超党派議連】禁句連発…コレは絶対テレビには流れません…削除される前にすぐ見たほうが良いです/ 衆議院議員会館 /2024 /7/25 深田萌絵/ 我那覇真子/神谷宗幣/吉野敏明/林千勝 https://www.youtube.com/watch?v=PIlNX9lxGpI
新型コロナワクチン接種による健康被害という未曾有の事態に正面から対処し得ない医療界にあって、徳洲会の果たすべき使命は実に重大である。
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徳田虎雄師を憶う [徳田虎雄]
退院の7月31日まで秒読み。帰ってからのくらしを思う。思い描くのはゆったりした暮らし。もうバタバタから解放されたいと思いつつ、バタバタの源流に徳田さんが在ることに気付いた。結婚して1年後の昭和56年3月、徳田さんと出会って以来、仙台や東京での「獅子の会特別訓練」に仲間と共に何回か参加したのだが、その時示されたのが徳田さんの手帳だった。「月火水木木金金」、365日休みなし、年中無休で突っ走る徳田さんの毎日がわかる手帳だった。毎日のがんばり具合が、ひとつ丸、ふたつ丸、みつ丸、花丸で評価されていた。「あんたらもこれをやれ!」というのだった。何かそれに類したまねごとはやったのかもしれないが、みんな長くは続かなかったようだ。徳田さんのような「怒り、悲しみ、恐怖心」に裏づけられた、実力の100倍の目標の持ち合わせがなかったのだ。ただ、そのようにしてがんばれという徳田さんの訓えが強迫観念となって染みついた。今回の入院を「これまでのくらしをあらためる機会」と考えていたのだが、その途上での徳田さんの訃報だった。
青木理氏の徳田虎雄伝を読んだ。よくまとまっている。氏の著『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』については→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-02-29
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徳田さん帰天の報 [徳田虎雄]
徳田さんが亡くなった。3月以来4カ月を超す病院生活で、何かにつけ徳田さんを思うことが多かった。「今こうして不満もなくスタッフに感謝しつつ毎日過ごせるのも徳田さんのおかげ」と、病院生活の中で正直そう思う。→「徳洲会が煙たがられる最大の理由」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-09-23 置賜獅子の会がそれなりの形をととのえるまで徳田さん命をつないでいてくれるようにおもっていたのだけれども、私自身この状態なので徳田さん、もう見切りをつけられた、そんな気もする。→「ズタズタになってしまった日本をどう立て直すか」⑴https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2024-02-17 あらためてあっちの世界からの徳田さんの語りかけに耳を傾けたい。
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置賜獅子の会宣言 [徳田虎雄]
『神になりたかった男 徳田虎雄』( 2017/11/25)の全面改訂版( )『ゴッドドクター 徳田虎雄』をKindle版で読んだ。先著については「移ろうままに」に3回に分けて書き、Amazonにもレビューしている。→「『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-13-3/https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGD2UX2JNGJADNXVZDUGHFGBKOUQ/ref=cm_cr_arp_d_gw_btm?ie=UTF8
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山形県は、南から置賜、村山、最上、庄内の4圏域に分けられる。徳田虎雄という人に出会って、最初に徳洲会病院の誘致に動いたのはわれわれ置賜だった。昭和56(1981)年のことだ。その後、庄内(余目)、最上(新庄)、村山(山形)には徳洲会の病院ができて今に至るが、置賜には何もない。徳田さんの呼びかけに応えていちはやく「獅子の会」を結成したが、何の実績もないまま今に至る。「猫の子会」といわれるゆえんだ。このままで終わりたくないの思いは根強くくすぶる。私としては最後になるであろう選挙を前に、ずっとこのことを考えている。
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平成3(1991)年の春、徳田さんの要望に応えて南陽で講演会を開催した。徳田さんから「実力の100倍の目標設定」を叩き込まれていた置賜獅子の会は、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」とぶちあげた。その年、「週刊置賜」を発行するわれわれ仲間の「置賜タイムス社」の20周年事業にあわせて、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」の思いを盛り込んだ「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくった。
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今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。
その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。
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「21世紀的感覚」とは何か。
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20世紀を支配してきた物欲文化、
より多いモノとカネの追求、
その根っこにあるのは、
羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
それが21世紀的世界。
としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
心の底で芯から望んでいる世の中。
時代は私たち置賜人の望む方向へ、
まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。
より多いモノとカネの追求、
その根っこにあるのは、
羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
それが21世紀的世界。
としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
心の底で芯から望んでいる世の中。
時代は私たち置賜人の望む方向へ、
まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。
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この感覚、どう政治とリンクさせることができるか。この著の再読を思い立ったのもその問題意識からだった。
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徳友会交流会 [徳田虎雄]
昨夜、山形国際ホテルでの徳友会交流会に行ってきました。3年ぶりの開催。私にとってはもっとしばらくぶり。今回は、山形徳洲会病院開院時から8年間事務部長として在任した石川一郎さんが、社団法人徳洲会の本部長という事務方トップに就任してはじめての山形講演ということで、是非とも行かねばならない。昨日の記事は石川さんに読んでもらいたくて出かける時間ぎりぎりまでかかってアップした。→「『虎雄とともに』を読む」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-12-01
講演は150周年記念式典でも披露された「生命だけは平等だー徳洲会グループの軌跡」の上映と、徳田語録の紹介だった。徳田語録は『真実を求めて 生か死か?』に拠った。山形の事務部長に石川さんが来るということになった時、誰だったか石川さんを「ミスター徳洲会と言われる男」と教えてくれたが、石川さんが徳田さんを語ると、たしかに徳田さんが目の前に現れる。徳田さんと石川さんはいちばん深いところでしっかり同調しているのだろう。「無私の感覚」と言ってもいい共通感覚。
石川さんの来賓挨拶。
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もうひとつ、この歌は必ず聴かねばと思っていたら、案の定菅原会長がリクエスト、最初に歌ってもらった三浦洸一の「踊り子」をアップしておきます。必聴オススメです。
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徳洲会グループ創立50周年記念式典 [徳田虎雄]
11月16日、ホテルニューオータニ「鶴の間」で開催された「徳洲会グループ創立50周年記念式典」に行ってきた。「ふるさと南陽のつどい」はこの会場を半分に仕切っての開催だったが、今回は全開放、800人ぐらいか。
参加の目的は二つ。ひとつは、徳田さんの現状を知りたかったこと。もうひとつは、「立ち上がれ!徳洲会」をなんとか徳洲会内部に伝えたいという思い。
参加の目的は二つ。ひとつは、徳田さんの現状を知りたかったこと。もうひとつは、「立ち上がれ!徳洲会」をなんとか徳洲会内部に伝えたいという思い。
徳田さんの現状については、東上理事長による冒頭挨拶が言いつくしてくれた。→
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら「昨年理事長に就任して徳田さんに会いに行った。20年に及ぶ闘病生活で高次機能低下は避けられないと考えていた。ところが徳田さんは、”数字合わせ”という徳田さんがこだわり続けた徳洲会の合言葉に、明らかに瞼を開いて反応した」というのだ。あらためて生命を保ち続けておられることの意味とありがたさを思わされた。(→「徳田理事長訪問記」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-02-26)
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二つめ、4万人のスタッフをかかえる徳洲会、現場ではワクチン接種をめぐってさまざまな思惑が渦巻いているのではないだろうか。新型コロナそのものの後遺症については、全国に広がる徳州会の12万症例に及ぶ電子カルテ情報を活用し、大規模調査が行われたとの報道がある(https://www.sankei.com/pressrelease/prtimes/NUDLGQWSWNKIFLHOCV6HSAHNRI/)。なんとかワクチン接種後遺症の実態を徳洲会のデータから明らかにしてほしい。出かける間際に思い立って、「立ち上がれ!徳洲会」の記事のコピーと、置賜獅子の会についてあとがきに記した『「光の子ども」たちへ』をバッグに詰め込んで出かけていた。5冊づつ茶封筒に入れていたので、帰り際見送りの職員に「徳洲会へのメッセージを持ってきたので、東上理事長と石川本部長に渡して」と頼んできた。山形徳洲会病院の事務部長を長く務めた石川本部長には、記事を書いた時、電話で話していた。今後の動きを見守りたい。
立ち上がれ!徳洲会 [徳田虎雄]
徳洲会から創立50周年記念式典の招待状が届いた。昭和48年(1973)1月のスタートという。われわれが徳田さんと出会ったのは昭和56年(1981)3月、高畠での講演会だった。8年目にしてもう9つの病院があった。置賜に病院をつくってほしくて徳田さんの追っかけが始まった。その後、庄内(余目)、新庄、山形にはできたのに置賜にはできなかった。代わりにできたのが公立置賜総合病院だ。われわれの動きを察知した県が、建設費地元負担5割予定が2割になったことで一挙に進んだ。「経営が行き詰まって徳洲会に頼ることになるかもしれない。その時は引き受ける。できるだけいい病院をつくってもらえ。」と徳田さんは言った。
全国に「獅子の会」を組織しながらの講演行脚だった。5月には南陽で講演してもらった。そこで「南陽獅子の会」ができた。会場の修道館は立ち見が出たほどだった。当時の南陽市立病院の院長もメンバーになった。その後平成3年(1991)米沢と合流して「置賜獅子の会」になって今に至る。ずっと眠っていたが、最近目を覚ました。(「置賜獅子の会」復活へ!https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1)以心伝心、徳田さんの意思が働いているような気がしてならない。命ある徳田さんが気持ちの支えになっている。
40数年間徳洲会を見続けてきた。徳洲会の出現で、全国に「年中無休・24時間オープン」の体制が敷かれるようになった。「患者から贈り物は一切受けとらない」のが常識になった。(「徳洲会が煙たがられる最大の理由」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-09-23)医療界を大きく変えながら、断トツのトップにのし上がった。(「医療法人売上高、徳洲会断トツ」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-12-2)
9月7日の「一般社団法人ワクチン問題研究会設立に関する記者会見」を見ていて、突然徳田さんを思った。徳田さんならどうするか。今こそ、徳洲会が立ち上がるべきときなのではないか。動画を見てほしい。→https://iwj.co.jp/wj/member/archives/518359
医療法人売上高、徳洲会断トツ [徳田虎雄]
亀井さん、徳田虎雄を語る [徳田虎雄]
S書店のSさんに商店会のことで話しに行って、”夫婦はどちらかが死んでからが本当の人生”の見出しに惹かれて買った『週刊現代』、なんと亀井静香さんが徳田さんのことを書いた記事がはいっていた。この記事に出会うためにこの本を買ったのか、とびっくり。「亀井静香の政界交差点 第78回 徳田虎雄」、見出しが ”非常な運命にも屈しない「虎」と「亀」の友情” 。
《徳田虎雄という男は俺が政治家として、そしてなにより人間として尊敬している人物だ。》で始まる。徳田さんは平成2年(1990)、保岡興治との熾烈な戦いの末、3度目の挑戦で衆議院議員となる。《しかし、徳田さんは無所属の身で、当選しても政策を実現するのは難しかった。「日本の医療は荒廃している。もっといい医療を全国に展開するんだ」と語る彼に共鳴した俺は、「よし、俺が用心棒をやる」と応え、バックアップすることにした。》《俺は徳田さんのためならなんでもやった。・・・「なんで自民党じゃあない徳田のためにここまでやるんだ」と猛批判されたが、俺は意に介さなかった。沖縄や奄美に対する予算付けも、全部俺がやった。・・・徳田さんの陳情も私欲ではなく、沖縄や奄美のために必要なことばかりだったから、なんとかしたんだ。そこには「虎」と「亀」の友情があった。》