何故に明治維新は失敗だったのか [雲井龍雄]
11月6日予定の吟行「雄飛せよ!龍雄の詩魂」の準備をしながら、雲井龍雄をどう掬い上げるかをずっと思っています。そんな折出会った亀さんの過去ブログです。当時読んでるはずだけれども、私にとって、今読んでタイムリーです。
《何故に明治維新は失敗だったのかという理由は、前稿で紹介した「真説・日本近現代精神史vol.1」にも書かれているのだが、要するに明治維新以降の我が国の失敗は、和魂洋才で謂うところの「和魂の喪失」に尽きるとのことであり、小生もその通りだと思う。つまり、前稿で紹介した宮沢賢治についての行で、「明治維新による近代化によって和魂を失う前の日本人の精神は、「雨ニモマケズ」に出てくるこのような精神だった」とあるように、和魂を失った我々は再び和魂を取り戻すべきなのだ。》
《明治維新前の日本は〝納豆型〟の社会だったが、和魂を捨てて洋才を取り入れた以降の日本は、〝甘納豆型〟の社会に変貌を遂げてしまった》
《政府を当てにすることなく、「ずーっと働き続けること」といったことを念頭に、これからの世の中を生き抜いていくべきなのだ。》
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『万国公法』 [雲井龍雄]
《陸奥宗光(1844.8.20-1897)の前半生を描く日経連載小説「陥穽」(辻原登)がおもしろい。》と書いたのは62回の時だった。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-05-03-1 これが新聞小説の醍醐味かと思いつつずっと朝の楽しみになっており、今日は177回。
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その夜、余は大量の吐血をした。しかし、もう驚かぬし、慌てぬ。光を入れるべき窓は小さく高い。外は雪だ。余は自らの精神の内部から熱を呼び起こし、光を発しなければならぬ。
中島信行が下野(げや)して、自由民権運動に挺身すると聞き、余の心は久し振りに騒めき、高揚した。
余が旧友に土佐人坂本龍馬という者あり。彼(か)は元来剣客にして文学を悟らず。然れどもその質聡明にして、その識見もまた秀出(しゅうしゅつ)せり。徳川の末世にあたり、時弊(じへい)を憂慮し、つとに郷国を去り、天下に奔走し、後(のち)に薩長の間に周旋し、すこぶる時望を獲(え)たり。不幸にして、慶応三年の冬、京都に於て暗殺に遇(あ)いて横死せり。
中島信行が下野(げや)して、自由民権運動に挺身すると聞き、余の心は久し振りに騒めき、高揚した。
余が旧友に土佐人坂本龍馬という者あり。彼(か)は元来剣客にして文学を悟らず。然れどもその質聡明にして、その識見もまた秀出(しゅうしゅつ)せり。徳川の末世にあたり、時弊(じへい)を憂慮し、つとに郷国を去り、天下に奔走し、後(のち)に薩長の間に周旋し、すこぶる時望を獲(え)たり。不幸にして、慶応三年の冬、京都に於て暗殺に遇(あ)いて横死せり。
《人苟(いやしく)も一個の志望を抱けば、常に之を進捗するの手段を図り、苟も退屈の弱気を発す可からず、仮令(たと)い未だ其目的を成就するに至らざるも、必ず其之(それこれ)に到達すべき旅中に死すべきなり、故に死生は到底之を度外に置かざる可からず。》
坂本のこの言を思い起こし、翫味(がんみ)すれば誠志胸に迫り、至極の名言也、と。
改めて今、余を「政府転覆計画」に駆り立てたものは一体何だったのか、その理念と実践を問い直してみようと思う。為にも、もっと歴史を学ばねばならぬ。ベンサムを更に精読し、翻訳を急がねばならぬ。
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龍馬の言葉に雲井龍雄を思った。龍馬の大志、伊達小次郎(陸奥宗光)の大志、では龍雄の大志とは? ふと、3人とも「万国公法」を読んでいたことを思った。龍馬とっての万国公法について、日経過去記事があった。
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幕末の真摯さ [雲井龍雄]
ご無沙汰しました。昨日戻りました。
田中宇氏の国際ニュース解説、これからの世界がどうなるかが見えてきます。《今後の非米側による世界経済の支配は、世界経済の「再国家主義化」「再国有化」である。これまでの米覇権下では、民間の投資家や企業が国家を無視して大きな力を持っていたが、そのような時代は終わる。》
◆BRICS新通貨登場でどうなるか
要約:《【2023年7月2日】米国側がBRICSが創設する共通通貨を攻撃し、米中の金融分野での「果たし合い」へと発展していく。米国の金融覇権の源泉は、ドルの基軸性と、無限にバブル膨張できる債券金融システムの資金力だ。これらの金融力が残っている限り、米国は弱体化しても中国など非米側を金融攻撃して脅威を与え続ける。非米側を主導する中国は、米金融システムを完全に破壊しておく必要がある。》
要約:《【2023年7月2日】米国側がBRICSが創設する共通通貨を攻撃し、米中の金融分野での「果たし合い」へと発展していく。米国の金融覇権の源泉は、ドルの基軸性と、無限にバブル膨張できる債券金融システムの資金力だ。これらの金融力が残っている限り、米国は弱体化しても中国など非米側を金融攻撃して脅威を与え続ける。非米側を主導する中国は、米金融システムを完全に破壊しておく必要がある。》
以下、ダイジェスト。
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米沢 法泉寺の異変 [雲井龍雄]
6月12日、雲井龍雄「釈大俊を送る」の詩碑がある米沢法泉寺に行ってきた。
景観の変貌に愕然とした。《米沢三名園のひとつ。京都の天竜寺の名園に擬して築庭された。これは素晴らしい。 かなり広い庭園内は樹木が多く、文殊堂、聖堂、鎮守堂、万年塔などが点在している。誰でも自由に出入りできるが、苔むした石橋を中心に自然がいっぱいの庭園が伸びやかで好ましい。》と言われていた法泉寺。https://4travel.jp/dm_shisetsu/11298086 高校の通学路にあり、心落ち着く景観だった。雲井龍雄に関心を持つようになって、「釈大俊を送る」の詩碑あることを知り、私にはまた特別な場所になっていた。《(雲井龍雄の)清廉にして反骨の生涯から生まれた詩魂の結晶としての詩篇の数々 は、明治以来多くの心ある青年を鼓舞してやみませんでした。摂政宮当時の御進講役杉浦重剛の薫陶下、昭和天皇もそのおひとりかもしれません。杉浦による音 声が残る”生きては当(まさ)に雄図四海を蓋ふべし”で始まる「釈大俊師を送る」は、杉浦が摂政宮の前で吟じた詩としても知られ、昭和11年法泉寺にその詩碑が建立されています。》(「置賜の詩吟」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-12-26)
それがこうなっていた。どうしたのか。
《妖精は、自然霊であり、植物を育てる働きをします。人間の活動は、自然を征服し、人工物を作ることがメインになりますので、どうしても、妖精的なるものと反発しあう関係にあります。 その調和を図った姿が、神社などに残されています。鎮守の森を残して、ここだけは人は守り続けるとの約束。》妖精とは緑を守る力。《 妖精が消えれば、人の住むところにも勢いはなくなります。・・・妖精が近くにいるかいないかは、これから重大な意味を持つようになるでしょう。》(「未来を作る力は今の上にはない(マドモアゼル・愛 )」https://www.youtube.com/watch?v=VctRXs9Ha5g )
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雲井龍雄の銅像完成 [雲井龍雄]

米沢日報成沢社長のよびかけで、顕彰会を立ち上げた屋代久氏、銅像製作者の新井浩氏等とともに座談会に入れてもらったのは2019年の暮れだった。→歴史座談会 「雲井龍雄没後150周年に銅像建立を」http://www.yonezawa-np.jp/html/feature/2020-3%20kumoi%20tatsuo/round-table%20talk%20on%20kumoi%20tatsuo.html/https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-02#more あの時はまだ実際にできるのかどうかは心もとない段階だったが、完成にまでこぎつけたことをよろこびたい。《建立費約600万円は全国約160人の寄付を充てた。》という。
辻原登「陥穽」 [雲井龍雄]

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雲井龍雄没後百五十年に向けて [雲井龍雄]
(↑ 当店製「雲井龍雄 没後百五十年記念」手拭です。送料、振込手数料、税込1000円(後払い)でおわけします。ご希望の方、ご連絡ください。→takaoka@omn.ne.jp)
米沢英語研究懇話会発行の「ACORN」第33号が届いた。昨年3月の第101例会で語らせていただいたことをまとめた文章です。
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ボツになった雲井龍雄の年賀状 [雲井龍雄]

《 死して死を畏れず 生きて生を偸(ぬす)まず 男児の大節 光日と争う 道苟(いやしく)も直くば 鼎烹(ていほう)を憚(はばか)らず 渺然たる一身 万里の長城 龍雄拝
雲井龍雄27歳、小塚原の露と消えて150年、その詩魂、今まさに甦らんとす。
「心配しなくてもいい、間もなく迎えるであろう死を怖れてはいないし、偽って生きながらえようとする気は全く持ってはいない。男の真直ぐな生き様が発する輝きは、太陽の輝きにも匹敵する。おのれの歩む道が真っ当なものなら、たとえ釜茹(ゆ)でになろうともかまわない。いずれとるに足らない身ではあっても、心は果てしない。勢いを以てさらに、身をも勇躍せしめるべし。狭い日本に留まるのではない、万里の長城を思うがいい。」
この詩は牢外に立つ弟分曽根俊虎に向けて詠ぜられた。(尾崎周道) この詩を享けて曽根は、興亜主義を唱え西洋のアジア進出に抗する先駆となった。曽根は、孫文と宮崎滔天を引き合わせることにもなる。(置賜発アジア主義 )》
「心配しなくてもいい、間もなく迎えるであろう死を怖れてはいないし、偽って生きながらえようとする気は全く持ってはいない。男の真直ぐな生き様が発する輝きは、太陽の輝きにも匹敵する。おのれの歩む道が真っ当なものなら、たとえ釜茹(ゆ)でになろうともかまわない。いずれとるに足らない身ではあっても、心は果てしない。勢いを以てさらに、身をも勇躍せしめるべし。狭い日本に留まるのではない、万里の長城を思うがいい。」
この詩は牢外に立つ弟分曽根俊虎に向けて詠ぜられた。(尾崎周道) この詩を享けて曽根は、興亜主義を唱え西洋のアジア進出に抗する先駆となった。曽根は、孫文と宮崎滔天を引き合わせることにもなる。(置賜発アジア主義 )》

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