SSブログ
教育の未来 ブログトップ

くちをとぢ………  [教育の未来]

くちをとぢ .jpg くちをとぢ………   山村暮鳥

くちをとぢ
めをみはれ
ぜんしん
ちからのこぶ
はるのあさ
あめあがり
しつとりとぬれたみちを
はだしで
しつかり
しつかり
ふみしめて
あるけ
つよきにんげん

「大地の感覚:「自然(じねん)」→「一心清明」」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-12-24 で山村暮鳥の「くちをとぢ」を思い出した。そらんじて言える数少ない詩のひとつだ。

口をとぢ.jpgくちをとぢ もくじ .jpgちょうど半世紀前の文集を引っ張り出してきた。あの子どもたち、もう還暦間近だ。彼らのおかげで、生涯のなかでいちばん中身の濃い1年間(11ヶ月)をすごすことができた。あの1年間を規準としてこれまで生きてきたような気がする、思うほどにかけがえのない1年間だった。今も年賀状をくれる子どもたちもいる。→岡山行(1)超サプライズhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-11-28「岡山行(2)岡山の空気」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-11-29
*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

新・mespesadoさん講義(58)「何があなたを本当に幸せにしますか?」 [教育の未来]

毎日届いて、つい見てしまうQuoraダイジェスト、今日の冒頭の質問性欲もなくなれば食欲もなくなり、病気になるリスクも高まり、既にあらゆる娯楽はやりつくしてるような段階。人生の後半は、ものすごく退屈な期間ですか?》でした。その回答、《おめでとうございます!やっとその境地に達しましたか。いや~、素晴らしい。お祝いです。さあ乾杯が終わったところで、人生の後半に臨みましょう。もう、お楽しみばかりですよ。さて、おっしゃるようなことをやり尽くした、それは「自分のため」ですよね。これからは「他人のため」に生きてみてください。凄いことが起きますよ。退屈なんて吹き飛びます。もう、毎日がバラ色です。何やるかって?簡単なんです。(私のキメ文句ですね、ははは。これが出たら本題です)》ということで紹介されるのがスウェーデンの小学校社会科教科書。

*   *   *   *   *

何があなたを本当に幸せにしますか?

スウェーデン社会科教科書.jpg人をシアワセにすることです。
人間は人をシアワセにするとヨロコブ動物なのです。
自分だけヨロコブのが好き、という人も多いですが、周囲から人が消えます。
人間は社会的な動物です。なぜ人間は社会にいるかというと、

1.自分を守るため(人を助けることで自分は守られる)
2.皆といるとシアワセを感じる性質があるから
3.人といると多くを学べるから

そんな簡単な事なので、スウェーデンでは小学校の社会科の教科書の最初にこれが書かれています。
簡単ですね。

*   *   *   *   *

「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に関わって、今の教育では、まじめに勉強すればするほど、人が悪くなる。》と思わされたものでした。→「「われなし能う、ゆえにわれあり」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-07 「ほんとうのこと」を求めようとすると変わり者」扱いされる日本の教育のおかしさ、どこからどう直してゆけばいいのか。案外、「コロナワクチン危機」がチャンスなのかもしれないとも思えます。みんな、いろんなことに気づかされているようです。

*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

教育の何を変えるべきかー 秩序感覚の回復を [教育の未来]

mespesadoさんに、私が20年ぐらい前に書いた文章に注目していただきました。「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に奔走していた頃、産経新聞の懸賞論文募集に応募した文章です。長谷川三千子先生が選者だったので張り切って書いたのですが、あえなく落選でした。久しぶりに読み返しましたが、今でもそのまま私の考えの基本です。転載しておきます。

*   *   *   *   *

教育の何を変えるべきか
ー秩序感覚の回復をー

 「素直であること」が悪いことであると思わなければならない、と思い始めたのは今から四十数年前、小学五、六年生の時だった。当時の担任であった女の先生は、作文指導の中で、何事に対しても批判的であることの大切さを教え込んでくれたのだった。それまで「人の言うことは素直によく聞くこと」とばかり思い込んでいた私にとって、世界がひっくり返るような教えだったのだと思う。目のパチパチが止まらなくなるチック症で「ソロバン」のあだ名が付いたものだった。
 以来戦後教育の洗礼をまともに浴びつつ高校から大学へ。しかしあの全共闘時代の真っ只中、何とか渦中に巻き込まれずに踏ん張れたのは、祖父母のいる家庭で培われた、学校教育以前の「三つ子の魂」のおかげだったと思う。
 まじめに勉強すればするほど人間がおかしくなる。まじめに勉強すればするほど、自分の住む国がいやになり、世の中に対して反抗的になり、世の中のしきたりなどどうでもいいことのように思えるようになり、年寄りを軽んじて平気な人間になってしまう。自らを省みてそう思う。学校の勉強なんていい加減に聞き流してきた方が、ずっとまともな人間として暮らしてゆけるのだ。戦後教育に内在する恐ろしい逆説である。 
 中学の「公民」の教科書(東京書籍)を開くと、「社会における利害の調節や紛争の解決をめざす営みを広い意味で政治とよぶ」とある。利害の対立や争いごとがあるから政治があるということになる。そうなのだろうか。日本では、政治を「まつりごと」とも言う。そこにはまず秩序がある。政治の役割とはまず何よりも、世の中の秩序を維持することではなかったのか。たしかにもめごとの解決も秩序の維持も同じことの裏表、しかしどちらを表に出すかで、もめて当然か、まとまっているのがあたりまえか、天地の隔たりが出てきてしまう。この教科書ではわざわざ「広い意味で」と言っているので、子供たちは、すべて政治は基本的にそういうものなのだと思い込む。その一方では「人権の尊重」とか「自由と平等」とかの言葉で西洋仕込みの個人主義をたたき込まれるわけで、いくら「公共の福祉」やら「寛容の精神」やらで和らげようとしても、世の中もめていてあたりまえ、みんな自分の思いのまま、強いものが得をする、そんな感覚になってしまわざるをえない。
 歴史の教科書も同様である。たとえば、「大正デモクラシー」の節には「米騒動は、およそ三ヵ月にわたり、約七〇万もの人々が参加する民衆運動となり、軍隊の出動でしずまったが、人々の政治的な自覚をうながした。」(日本文教出版)とある。まさにもめごとが「政治的自覚をうながすもの」として奨励されるかのようである。
 また、「公民」の教科書(東京書籍)では、「人権」について三七ページにわたって説明されている。「人権」という言葉と表裏一体のものとして「自由」が叩き込まれる。しかもそれは「国の秩序」や「学校の秩序」や「家庭の秩序」よりも何よりも優先されている。本来「人権」や「自由」という考え方は、弾圧や抑圧に対抗するものとして生まれてきたはずのものなのに、今の教科書ではそれだけが一人歩きしてしまっている。
 かつてわれわれ世代にとって教祖的存在でもあった吉本隆明は「個人幻想は共同幻想に逆立する」と言った。われわれは、共同幻想からはみ出た部分を自己とし、それを以って存在の基盤に据えようとしていた。存在自体が根底において反秩序なのである。世の中との乖離は必然である。学生時代を含め十年間の独り暮らしから、家業を継ぐため家に戻って、地域に溶け込んでゆく中で、戦後教育で身につけた殻を徐々に徐々に剥がしてきた。教科書を読むと、殻をまとっていた頃の自分が見えてくる。
 フッサールからメルローポンティに連なる現象学の系譜は、コギト(思う我れ)を原理とするデカルトを批判し、コギト以前の「すでに生きられた世界」こそが初源であると喝破した。ハンカチを片手で渡すと渡された相手は片手で受け取り、両手で渡すと両手で受け取るという実験をテレビで見たことがある。私たちは、考える以前の行動のレベルでは、いちいち心の中の「私」が考えて行動しているわけではない。そこでは、まだ「私」の意識が育っていない赤ちゃんがそうであるように、私の気持ちと相手の気持ちとは溶け合っている。自ずとそこには秩序がある。その初源を忘れて「私」を原理としたところに戦後教育の根本的な誤謬がある。「思う我れ」を第一義とするデカルト的主知主義からの脱却、すなわち共感の体験を第一義とすることを通して、個人以前の秩序の感覚を取り戻すことを教育改革の要に据えねばならない。難しいことではない。われわれはすでにそうして生きているのである。

*   *   *   *   *

「新しい歴史教科書」運動は、私の思い描くようには進まなかったが、あれから20年、世の中全体一応そういう方向には進んできたのではないか。当時私などは「極右」視されていたものだった。たしかにあの頃の学校現場には、まだ「日教組感覚」が息づいていた。あの感覚は、今ではほとんど骨抜きになっている。ただ「骨抜き」になってしまった後の替わりの骨がないままで、頼りない。組合の先生の「気骨・気概」が懐かしい。→「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11 そもそもこの文章「秩序感覚の回復を」とは、「替わりの骨」を目指したつもりでした。

mespesadoさん今いろんな場で民主主義そのものに対する疑いの目が向けられている》民主主義そのものに対する疑いの目》、私は内村鑑三『代表的日本人』の鷹山公の章の序論にふれてから、はっきり思うようになりました。→「「置賜発アジア主義」(6)雲井龍雄と内村鑑三」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-20

*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

南陽高校2年生からの感想 [教育の未来]

17日に南陽高で宮内の歴史について語ってきたhttps://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-12-17-1が、19日に南陽高校からの分厚い封筒が届いた。「もしや」と思い期待しつつ開けたら、やはり17日の講話の生徒の感想が16名分入っていた。当日反応がマスクのせいもあってわかりにくかったのでうれしい。それに、おとといの今日、その素早い対応がすごい。

その感想文、何のことが書いてあったかで分類してみると、宮内のパワースポット性⑧ 、小田仁二郎⑦・宮内の変形十字路④ 、かつてのにぎやかさと人口減少③ 、須藤永次③、10年離れてわかった宮内の良さ③、すぐれた先人②。やはり神社山岳配置はインパクトがあった。

小田仁二郎の「にせあぽりや」への言及が多い。「読みたい」の声も何人か。せっかく仁二郎の一人娘金沢道子さんから了承得ている、「にせあぽりや」発刊の仕事をなんとか早く果たさねばならない。ぜひとも巻末の福田恆存解説文も入れたい。著作権はどうなっているかと検索して次男の福田逸氏のブログを知った。昭和23年生まれでほとんど同年。長谷川三千子著『日本語の哲学へ』のいい感想を読んだ。その文章、下に転載させていただきます。『父・福田恆存』と併せて注文したところです。

南陽高に市役所部.jpgまた、折しも昨日の山形新聞に「南陽高に『市役所部』」の記事。「南陽市のことを SNSで発信するための部活動を作ってみませんか?」の市長提案に高校生が乗ったかたち。当面はインスタグラム活用での活動とのこと→@nanyo_h_pjt 。「みらい戦略課」に事務局を置いて活動をサポートしていくとのことで、今後の取組みに期待したい。

*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

不登校、オンライン学習でも「出席」に [教育の未来]

不登校児支援.jpg《遠隔での指導や子ども同士の交流を充実させた民間の支援サービス(「クラスジャパン小中学園」)が登場し、授業のライブ配信に乗り出す教育委員会も。対面授業を重視してきた文部科学省も、教室だけではない学びの場として期待を寄せ始めた。》《こうしたオンライン学習は、校長の判断で出席扱いすることができる。》《2019年度の不登校の小中学生は18万1272人と過去最多を更新。出席扱いとなった子どもはわずか608人だが、それまで300人前後で推移していたのと比べ大幅に増えた。》《今年は新型コロナウィルス感染拡大が思わぬ追い風となった。》《「オンライン学習は登校再開の意思が前提」と抑制的な方針を示していた文科省も、態度を変えつつある。》

今朝の山形新聞、親としての体験もあり感慨がある。「身につく教育」とは何かが問われる。「われなし能う、ゆえにわれあり」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-07 コロナ騒ぎの中での「在宅」の見直しが「学校」にも及んでいると考えればいい。「ただそこにいるだけでナンボ」ではなく「なにができたかでナンボ」へ、「そこでとにかく時間を過ごす」ことから「何を身につけたか」へ。職場が変わるように学校も変わる。

先日、mesprsadoさんが言った。サラリーマン社会って一見「仕事している」ように見えるけれども、実は「オレはアイツより仕事がデキる」というマウントの取り合いで維持しているだけじゃありませんか?アンタが仕事しなければ、代わりに二番手が「仕事できる」認定されるだけのことであり、全体としての生産性には影響がない。つまり、マウントを取ってるアンタにはいくらでも「替え」が効くんですよ。》「マウントの取り合い」、もうそういうの無しにしたらいいんじゃあない、という世の中の流れ。「評価意識」からの解放にも通じます。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-11

東洋経済ONLINE「長期休校が不登校支援の現場に示した「可能性」ーオンラインは悩める生徒の「居場所」になるか」を転載しておきます。https://toyokeizai.net/articles/-/357798

*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校
教育の未来 ブログトップ