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ごぶさたしました [日記、雑感]

3月1日、頭取を無事送り出すことができた日、10時過ぎ就寝。しばらく寝入って午前1時頃めざめると、身体がいつもと違う。あれこれ動かしてみるが軟体動物になったようで、こんがらかってコントロールがまるで効かない。どうなってるのかわからないまま、30分近く布団の中でもがいた末、家内に声をかけた。息子も起こして救急車の手配、公立置賜総合病院へ。脳梗塞で右下肢の麻痺だった。右手にも若干影響があるが、さいわい意識は明瞭だった。 


「選挙はムリ」の判断は早かったと思う。その時点で「定員2名オーバー」の情報があり、「私が抜けても選挙になる」との判断もあった。しかしその後、情報にあったK君の出馬は無いことが判明、無投票が大勢となる中、何とか擁立をさぐる動きがあった。私も秘蔵のふたりに声をかけた。いずれも叶わなかった。 


首都圏在住の長女夫婦が見舞いに来たのが1週間経った3月9日の土曜日だった。私は全く考えていなかった、長男説得を言い出した。「代わりに息子を」とは何人かに言われたが、本人ははなから拒否しており、私も議員世襲をこのましくは思っていなかった。そんなわけで、これからは本業の染物での可能性をさぐるべくはらを決めていた。しかし、長女夫婦のことばを聞いて、成行きに任せてみることにした。息子がチラシ、選挙公報に書いた文章を転載しておきます。


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無投票はダメ!!


宮内(粡町)から出馬した高岡遼多といいます。39年南陽市で暮らしてきました。ろくに学校へも行かず高校卒業まで8年かかりました。父・亮一が市民に選ばれて議員になり、その頃から政治や歴史の集会に度々連れ出されるなど、父の働きを近くで見てはきましたが、さほど興味がなくこの年齢になりました。


4年前、突如父が出馬を表明しました。私たち家族も驚き、またその驚きとともに突然の選挙戦に入っていきました。 そしてあれから4年後の今年3月初め、出馬を表明していた父が脳梗塞になり、右足がマヒしてしまいました。幸い病状はそれのみで済みましたが、選挙への出馬はとりやめに。無投票選挙を良しとしない父は、何名かの方に出馬要請をしていたようですが、全て叶わず無投票選挙になることへの責任を感じていたようです。それから数日後、私に、「出馬しないの?」と声をかけてきたのが妹夫婦でした。初めは自分の性格を考え断固拒否しましたが、迷いに迷った上、やはり選挙戦を通して候補者の意見をぶっつけ合う場は必要であるし、「選挙戦を戦うことで人が変わり、候補者がレベルアップし、議会にも勢いが出るんだ」という過去の経験を持つ父の考えにも納得できたからです。そして私は腹をくくりました。何も言い争いがしたい訳じゃありません。選挙が終わったらみんな仲良く市民のために働くだけの話です。これが今回私が立候補に至った経緯です。


正直、突然のことで公約も用意できませんでした。急ぎすぎて鬚もそり忘れました。しかし、市民の声は色んなところから聞こえてきます。消防団など微力ながらまちの為の活動もしています。私なりの正直で真っ当な政(まつりごと)を行い、「気力みなぎる南陽」を全力でめざします。


“身の丈”を突き抜けて「気力みなぎる南陽」をめざします


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遼多が最終的に「腹をくくった」ことを確認したのは13日(水)だった。17日の告示まで4日、何とか選挙戦に持ち込んだ。にわかじたてではあったが、尻上りに盛り上がってきた様子だった。しかし大方の予想は、最下位から誰が抜け出すか、そのひとりだったようだ。その予想をうらぎるかたちで2位当選だったのはありがたかった。そのことについてはあらためて書いてみたい。


◎選挙結果 https://www.yomiuri.co.jp/local/yamagata/news/20240325-OYTNT50017/


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