辰年御縁年 宥明上人御投筆「龍」 [宥明上人]
宥明上人は本名髙橋道四郎、安政5年(1858)に山形県東置賜群萩村字赤山(現南陽市)に生まれた超能力者です。32歳(明治22年)の時、上山から赤山への山中の大きな岩の上(仙縁石)で腹を病む老人(弘法大師?)を助けたことで神通力を授かります。以来、宥明上人の名で各地を放浪し、授かった神通力で多くの病人を治すなど人助けをします。ほとんど世に知られることなく大正3年(1914)57歳でにこの世を去りました。
宥明上人は人々の眼前でテレポート(瞬間移動)したり、水上を歩いたり、さらにいあわせた全員の眼前に遠方の風景をホログラムのように映し出すなどの神通力を発揮しましたが、とりわけ「投筆(なげふで)」が得意でした。依頼者は紙を軽く巻いて帯封をし、神棚や仏壇に立てかけておきます。宥明上人は他の場所で、依頼者の名前を唱え、筆先に少し墨をつけて一メートルほど投げると、不思議なことに封印された紙に「龍」などの文字や鳥の絵が描かれているのでした。それらは災難除けとして大切にされました。
令和6年の辰年を迎えるにあたり、宥明上人が投筆によって書かれた「龍」の文字を年賀状にしました。宥明上人の親戚加藤啓氏(上山市在住)所蔵の掛軸を基にしたものです。
宥明上人は人々の眼前でテレポート(瞬間移動)したり、水上を歩いたり、さらにいあわせた全員の眼前に遠方の風景をホログラムのように映し出すなどの神通力を発揮しましたが、とりわけ「投筆(なげふで)」が得意でした。依頼者は紙を軽く巻いて帯封をし、神棚や仏壇に立てかけておきます。宥明上人は他の場所で、依頼者の名前を唱え、筆先に少し墨をつけて一メートルほど投げると、不思議なことに封印された紙に「龍」などの文字や鳥の絵が描かれているのでした。それらは災難除けとして大切にされました。
令和6年の辰年を迎えるにあたり、宥明上人が投筆によって書かれた「龍」の文字を年賀状にしました。宥明上人の親戚加藤啓氏(上山市在住)所蔵の掛軸を基にしたものです。
鶴岡行(長南年恵さん) [宥明上人]
早々に朝食を済ませ、タクシーに来てもらって3キロほど離れた南岳寺へ。タクシーの運転手さん、長南年恵さんのこと全然ご存知ない、話したらびっくりしていました。
日差しの気持ちのいい青空の下、堂守さんが打ち水をしておられます。「どうぞ上がってご参拝ください」とのことでお堂の中に寄せていただいて参拝してきました。東向きのお堂なので背中に朝の太陽が当たり、長南さんに暖かく包み込まれるような感じでゆっくりのひとときを過ごすことができました。
お堂の中にはペットボトルがぎっしり並んでいます。お願い事を書く机が用意され、小さな短冊に願い事と日付住所氏名を書き込んで右側の壁に下げるようになっています。1枚50円で小さな賽銭箱が用意されています。すべてが善意で満たされているようで気持ちのいい空間でした。
長南会という全国的な組織があります。→https://www.ne.jp/asahi/chonan/kenkyu/《2001年全国長南会ホームページ公開・・・2006年鶴岡市般若寺で長南年恵100年祭》とあり、今年7月には「全国長南会通信」74回目が発行されています。先日このサイトを知り、長南年恵さん特集もあっていろいろ知ることができました。
待ってもらったタクシーでお墓のある般若寺に向かいました。ここからホテルまでは歩いて10分足らずなのでタクシーはここまで。3000円ちょっとでした。
立派な寺でした。藤沢作品の舞台にもなっているようです。寺のおばさまに案内していただきました。長南家、すぐ手前にあって墓石が立ち並び、立派な家柄がうかがえます。ひとまわり高い年恵さんの墓石で「贈大講義長南年恵刀自墓」と大書されています。花がきれいに手向けられてありました。今も大事にされているのです。気持ちよく参拝できました。本堂に上がってお礼してきました。
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宥明長南社式年祭 [宥明上人]
昨年建立なった「宥明長南社」の式年祭が今日行われました。山本貴美子理事長はじめ3人が今朝3時半に飛騨高山を発って参列されました。着いたのが10時過ぎですから6時間半かかります。その他、6時間の道のりをかけて毎月掃除においでの青森のMさん、それから米沢のKさんも。地元からは10人。文化庁の宗務課の方も二人おいででした。宗教法人六次元会はこれまでは岐阜県の管轄だったのが、県をまたいで神社が建立されたということで、文化庁の管轄になり、その視察調査です。通常12人の宗務課スタッフが、旧統一教会がらみで今は10人増強体制で対応しているとのこと、忙しい中での式年祭に合わせての訪問でした。
天気予報はよくなくて心配したのですが、御神事準備から終了まで、青空も見える中で挙行されました。熊野大社楽人も務めるO君による笙の演奏も雰囲気をぐんと盛り上げてくれました。山本理事長、加藤茂顕彰会長、髙橋武一地元代表の挨拶もよかった。青森のMさんのyoutubeでいずれ今日の報告あると思います。→https://www.youtube.com/channel/UC7UYP-vHkf4cpj8MCJFym-g
全部片付け終えて直会の弁当を食べ終わる頃には我慢しきれないように土砂降りになりましたが、それがかえって宥明上人の必死のおはたらきを感じさせられたような気がしました。飛騨の一行も青森のMさんもトンボ帰りで帰途につかれました。
「やまがた再発見」宥明上人(下)(山形新聞) [宥明上人]
3回連載の最後。原田祖岳という人が登場する。《原田祖岳老師は、曹洞宗の僧であったが、みずから臨済宗の修行に飛び込み、見性(悟り)を得る/「見性は道元禅師がしているので、我々は見性する必要はない、坐禅している姿がそのまま仏である」/と主張する曹洞宗本山や宗門の大学研究者に当時真っ向から対抗した僧侶》《臨済の公案を採り入れて指導し、初關として無字の提撕をさせた仏教の本来の眼目である見性を重要視し、時として大本山永平寺に対抗した》(原田祖岳老師 見性・悟りを忘れた曹洞宗大本山に警告をした立役者)
神道界における葦津珍彦と重なった。原田老師にとっての「見性」は、葦津にとって「神懸かり」だった。ともに道の本筋を見失わず、乱れへの警鐘を忘れなかった。その原田老師によって、宥明上人は今に甦ることができた。それを思って感慨が深まった。六次元会の祖山本健吉が宥明上人を知ったのは大橋博吉著『高橋宥明上人神変記』によってにほかならぬ。(→https://rokuzigenkai.com/yuumei/)そしてその著は、原田祖岳の勧めによって成ったのだ。原田が序を書いて宥明上人を評している。《「天眼、天耳、神境、他心の四通に通達して居られたことは明白」》そして言う《「通常科学知識の遠く及ばない世界が限りなくある」》《「科学万能論者の所有する知識は全く浅薄であり皮相である」》。
「やまがた再発見」宥明上人(中)(山形新聞) [宥明上人]
《いろいろの形で、郷土の偉人が、世に広まって行くのがとっても嬉しいです。これをきっかけに、宥明長南社に参拝する方が増えて幸せをつかむ方が増えることが願いです。/青森のMさんが、宥明長南社で、面白い(ありがたい)現象が起きました。/この後来週位に送ります機関誌を、ぜひご覧になってください。/なお、そちらでも何か不思議や有難いことがあれば、ぜひ、お知らせ下さい。》
念願の「宥明長南社」竣功にこぎつけた六次元会の方々とは2007年の思いがけない出会い以来、十数年のおつきあいになりますが、メールそのままのほんとうに「底抜け」と言っていいほどの善意の団体です。「宥明長南社」へ、ぜひご参拝下さい。山形方面(北)からはR348から南陽に向かって宮内に入る手前左側。南陽方面(南)からは宮内から県道5号線を小滝(山形方面)に向かってまもなくの右側です。
「やまがた再発見」に宥明上人登場!(山形新聞) [宥明上人]
月刊『ムー』で大きく紹介されたのが平成24年(2012)のことでした。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-10-28-1 以来全国的にも知られるようになったのでしたが、今回山形新聞に3回(or2回)にわたって大きくとりあげられることで県内に広く知れ渡ることになります。現下のコロナ禍(コロ惑禍)を案ずる宥明上人のおはたらきを感ぜずにはいられません。
折しも今夏、「宥明長南社」が飛騨高山の宗教法人「六次元会」(山本貴美子理事長)によって完成したばかり。→「「宥明長南社竣工御霊入祭」挙行」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-08-09
ちなみに「六次元会」は、故太田龍氏や新潟大学医学部の故安保徹名誉教授と深く交流のあった団体です。
宥明長南社、山形新聞で紹介されました [宥明上人]
今朝の山形新聞に、「宥明長南社」が紹介されました。
事業主体はあくまで飛騨高山の六次元会(山本貴美子理事長)。地元はそのお手伝いをしただけです。施工者も飛騨の渚工務店。本来なら六次元会の方々においでいただいての御神事であるべきだったのですが、このところの感染蔓延から遠慮され、地元関係者のみの参列になりました。いずれ六次元会の方々による、あらためての完成祝賀行事が開催されることとと思います。県道5号線(小滝街道)金山地区、七瑳古山(ななさこやま)の麓です。飛騨の匠による見事なおやしろです。宥明上人も長南年恵様もご自分の能力を全く無私の心で人様に施した超能力者、ということでお二人を顕彰するお社を地元山形に建立したいという、十数年来の六次元会の方々の純な思いがようやく実現したものです。地元としてもほんとうにありがたく思います。
「宥明長南社竣工御霊入祭」挙行 [宥明上人]
一昨日(8月7日)、相変わらず暑いは暑いが、爽やかな風も吹く絶好のお祭り日和、宥明長南社竣工御霊入祭が行われました。平成2年、商工会の広報委員として「知られざる勝景の地〜金山郷 七瑳古山と龍ノ口明神」の記事を書いた。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-02-12 以来この地には特別の思い入れがあっただけにこの日を迎えたことに感慨が深い。
それにしても、熊野大社で楽人を務める二人が駆けつけてくれたのには驚いた。御神事は、法螺貝と共に始まり、生の笙の音が響き、法螺貝に終わった。記念品作成を思い立ったのが三日前のことで、ぎりぎり間に合ったことともあわせ、宥明上人のおはたらきを思わされたことだった。
龍口神社を熊野大社末社厳島神社に合祀するために御苦労された熊野大社北野宮司による祝詞も気持の入ったものだった。(雑音に聞こえるのは蝉の声)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
「宥明長南社」、明日竣工祭及び御霊入れ神事 [宥明上人]
県道5号線小滝街道、金山橋から北へ約1km右手田んぼの中、七瑳古山を背景に突然出現した輝くばかりのオヤシロに「あれはなんだ?」とお思いの方も多いと思います。昨日、建主の「六次元会」から、これまでの経緯と概要についてまとめたものが送られてきましたので転載しておきます。
コロナ禍ということで、御神事を地元に一任されて執り行うことになりました。コロナが落ち着いたらあらためてとのことです。大変なことになったと思って走り回っていますが、それなりに宥明上人のお計らいを感じます。どんな御神事になるのか思い及びませんが、宥明上人も喜んで段取りされているように思います。どなたが参列されてもかまいません。
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「宥明長南社」 [宥明上人]
「宥明長南社」が見事に完成していた。飛騨の匠「渚工務店」の仕事だ。木の香が清々しい。
由緒が記されていた。
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宥明長南社
御祭神
宥明上人(ゆうめいしょうにん)
(高橋道四郎)(南陽市荻赤山生れ)
安政五年(1858)〜大正三年(1914)
長南年恵様(ちょうなんとしえさま)
(鶴岡市生れ)文久三年(1863)〜明治四十年(1907)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
(天照大神の三女)当地にお祀りされ絵きた神様。高橋一族のご先祖と推定される。
宥明上人、長南年恵様は、山形県が生んだ稀代の大神通力者です。宥明上人は空を飛ぶ、投げ筆、水面を歩く等々、さらに大勢の病人を治しました。長南年恵様は十四年間絶食で、虚空から風鈴等音楽が聞こえ、空瓶に病人に合った水薬を出し、大勢の病人を治しました。両ご祭神は死後の今なお、大勢の人を救っておられます。
参拝者の方々は、遠慮なく悩み事などをお頼みください。そして、何か良いことがあれば、ぜひおしらせ下さい。それを発表すれば(匿名でも可)多くの人に勇気と希望を与えます。
宥明上人(ゆうめいしょうにん)
(高橋道四郎)(南陽市荻赤山生れ)
安政五年(1858)〜大正三年(1914)
長南年恵様(ちょうなんとしえさま)
(鶴岡市生れ)文久三年(1863)〜明治四十年(1907)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
(天照大神の三女)当地にお祀りされ絵きた神様。高橋一族のご先祖と推定される。
宥明上人、長南年恵様は、山形県が生んだ稀代の大神通力者です。宥明上人は空を飛ぶ、投げ筆、水面を歩く等々、さらに大勢の病人を治しました。長南年恵様は十四年間絶食で、虚空から風鈴等音楽が聞こえ、空瓶に病人に合った水薬を出し、大勢の病人を治しました。両ご祭神は死後の今なお、大勢の人を救っておられます。
参拝者の方々は、遠慮なく悩み事などをお頼みください。そして、何か良いことがあれば、ぜひおしらせ下さい。それを発表すれば(匿名でも可)多くの人に勇気と希望を与えます。