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『木村武雄の日中国交正常化』(坪内隆彦)を読む [本]

木村武雄の日中国交正常化.jpg坪内隆彦氏からメールをいただいたのは昨年の8月のことだった。

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突然のお便りの失礼をお許しください。
小生は王道アジア主義の研究をしている坪内隆彦と申します。
現在、戦前の東亜連盟運動を経て、戦後は日中国交回復に尽力した木村武雄のことを書いております。
「置賜発アジア主義」についての論稿を読ませていただき、大変触発されました。特に、宮島大八と木村東介は深い関係にあり、木村武雄にもその影響はあったのではないかと推察しております。
木村武雄の思想と行動について何かコメントを頂戴できれば幸いです。
坪内隆彦拝
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せっかくのメールに次のような返信しかできなかった。
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坪内隆彦様
お便りありがとうございます。
お名前はよく存じ上げております。
「置賜発アジア主義」に目を留めていただき光栄です。

置賜に生まれた者として「木村武雄vs黒金泰美」を目の当たりにさせられつつ、木村武雄の思想的背景にまでは関心が及ぶことはありませんでした。
私なりに雲井龍雄や石原莞爾等を知るようになってはじめて、若き木村武雄についても多少思いを致すようになった程度です。
そんなわけで、木村武雄についてその思想的側面から光が当てられようとしていることについてものすごく期待が高まります。
木村武雄というとどうしても、田中角栄の「金権的」という悪い方のイメージと重ねて見られてきた傾向があるように思います。
しかし、田中角栄本来の土着的愛国心が木村武雄の根っこに通じるのかと、今あらためて思ったところです。
楽しみにしております。
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今から4年前に「置賜発アジア主義」についてまとめつつ、正直言って木村武雄のことは全く視野に入ってはいなかった。9月末に発刊された『木村武雄の日中国交正常化』によってその迂闊さを思い知らされた。返信のメールにも書いたように、木村武雄の思想的バックボーンへの関心は、当時のマスコミによって主導された「田中角栄」とリンクした「金権的」イメージによってすっかり曇らされてしまっていた。木村武雄が私にとって身近であったはずの高校時代までは、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムがしっかり浸透した教育環境だった。(大井魁先生の「ナショナリズム論」も授業にどう反映していたのか定かではない)それゆえ、石原莞爾に連なる木村武雄像は私にとって闇の中でしかない。高校の同級生に三男の政信君(辻政信に由来の命名であることをこの本で知った)がいるが、彼を通して父のバックボーンを知ることもなかった。木村武雄vs 黒金泰美という、この地の保守を二分した激しい選挙のみが印象に残る。黒金泰美は1962年第二次池田内閣で官房長官を務めるが、1964年「黒い霧」として騒がれた吹原産業事件の中心人物として『金環食』(石川達三1966)という小説にまでなり、その後仲代達矢主演で映画化もされる。そうしたあおりで大成を期待されていたはずの黒金は政界から消えてゆく。そういえば梶山季之の『一匹狼の唄』(実業之日本社 1967)も黒金泰美は悪役だ。仙台国税局長だった黒金の政界転身に一役買った酒屋の若旦那が登場するが、その人は私にとって縁深い恩人だ。その一方で木村はといえば、1967年に第2次佐藤内閣の行政管理庁長官兼北海道開発庁長官、その後1972年第一次田中角栄内閣で建設大臣兼国家公安委員長を務めることになる。私の中での木村武雄の実像はそうした記憶の中で曇らされていた。坪内氏はその曇りを吹き飛ばして、本来の木村武雄像をくっきりと浮かび上がらせてくれている。
この書は単刀直入、こう始まる。《令和4年9月29日、日中国交正常化50周年を迎えた。しかし今、対中強硬派の間では日中国交正常化の評判は決して良くない。国交正常化は、日本が政府開発援助などを通じて中国の経済発展を後押しし、中国を大国化させた元凶だと捉えられているからだ。/しかし、本書の主人公、木村武雄に光を当てるとき、日中国交正常化の評価は一変するかもしれない。木村は、石原莞爾の王道アジア主義体現の一歩として、日中国交正常化を位置づけていたのだ。/王道アジア主義とは、覇道の原理でアジアに迫る欧米の勢力を排除し、王道の原理に基づいたアジアを建設することにある。王道とは道徳、仁徳による統治であり、覇道とは武力、権力による統治だ。王道アジア主義の基本原則は、「互恵対等の国家間関係を結ぶ」、「アジア人同士戦わず」である。》(10p)戦後木村は石原の遺志を頑なに引き継ぐ。《木村は、「自分の後継には福田赳夫を」という佐藤(栄作)の意向に反して、田中派結成を主導、田中政権を見事に誕生させたのである。その過程で、木村と田中の間には、田中政権誕生の暁には日中国交正常化に動くという固い約束が交わされていたのである。》(11p)この書の意義はその経緯をつぶさに辿ったことにある。
なぜこれまでこのことが見えなかったのか。ひとつは木村武雄自身が「政界の影武者」に徹するという意志を持っていたことにあるが、そこにはアメリカの影がある。《田中政権の日中国交正常化はアメリカの警戒感を掻き立てた。しかもアメリカは、田中の背後で動く木村武雄に石原莞爾の影を見ていたのではないか。占領期の言論統制によって壊滅したかに見えた石原の王道アジア主義は、生き残っていたのである。》(11p)田中を葬る画策としてロッキード事件が起こされる。《キッシンジャーの謀略だったとの説もある。》(12p)木村は木村で交通事故が因となって、復帰を果たすものの命を縮めることになる。《親父の事故は田中総理の動きを止めるための謀略だったと言う人もいます》(木村莞爾談 195p)。この書によって、政治の泥沼の中に沈み込んでいた木村武雄をすくい上げることに成功した。
今回坪内氏の書の中で、私の「置賜発アジア主義」にふれていただいたのはありがたい(103p)。「置賜発アジア主義」は、米沢の御堀端史蹟保存会の年刊誌『懐風』に寄稿すべくかなり気張って書いた文章だった。米沢の錚々たる方々のもとに届けられる冊子ゆえ、反響を期待したのだが何も聞こえてはこず、失望の思いでいたところだった。前の「移ろうままに」に10回にわけて転載しているので読んでいただけたらうれしい。
「置賜発アジア主義」(1)はじめに
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-17
「置賜発アジア主義」(2)息を吹き返す「真っ当なアジア主義」
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-18
「置賜発アジア主義」(3)宮島大八(詠士)と中野正剛 
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-19
「置賜発アジア主義」(4)置賜的「アジア主義」
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-19-1
「置賜発アジア主義」(5)雲井龍雄と曽根俊虎
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-19-2
「置賜発アジア主義」(6)雲井龍雄と内村鑑三 
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-20
「置賜発アジア主義」(7)宮島誠一郎と雲井龍雄
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-21-1
「置賜発アジア主義」(8)宮島誠一郎と宮島大八(詠士)
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-21-2
「置賜発アジア主義」(9)「九州発アジア主義」と「置賜発アジア主義」
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-22
「置賜発アジア主義」(10)復興アジア主義
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-23
「置賜発アジア主義」(最終回)むすび
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-23-1 

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めい

山崎行太郎氏「石原莞爾と木村武雄。……坪内隆彦著『木村武雄の日中国交正常化』を読む」(令和4年11月7日)
2022年11月8日 坪内隆彦
https://tsubouchitakahiko.com/?p=7993

 以下、山崎行太郎氏の「石原莞爾と木村武雄。……坪内隆彦著『木村武雄の日中国交正常化』を読む」(令和4年11月7日)を紹介します。

 今年は、《日中国交正常化50周年》を迎え、記念式典も開催されたようだが、田中角栄内閣時代に実行された、この《日中国交正常化》という歴史的イベントをめぐっては、その評価は大きく分かれているようだ。本書の著者=坪内隆彦は、《王道アジア主義》という理念の元に、それを高く評価している。王道アジア主義とは、《覇道の原理でアジアに迫る欧米の勢力を排除し、王道の原理に基づいたアジアを建設する》ということだ。この王道アジア主義は、石原莞爾や西郷南洲、頭山満等の思想にも通じる。こういう立場は、現在の日本では、おそらく少数派かもしれない。現在、日本の政治状況は、 安倍晋三や安倍晋三シンパ、あるいは《ネットウヨ》が象徴するように、米国主導の中国敵視政策、中国包囲網作りの渦中にあり、とても《日中国交正常化50周年》を、素直に祝う雰囲気ではない。その意味では、本書は、反時代的な書物ということになるかもしれない。しかし、坪内隆彦は、そういう近視眼的な歴史感覚ではなく、《王道アジア主義》という大きな歴史哲学の元に、 《日中国交正常化50周年》を捉えようとしている。
 そこで、彼が着目するのは石原莞爾と木村武雄である。特に、田中角栄内閣で、《日中国交正常化》に向けて奔走した木村武雄という政治家に着目する。私も、木村武雄という自民党政治家のことは知っていたが、その政治思想としての《王道アジア主義》のことも、田中角栄内閣で、《日中国交正常化》に奔走したことも知らなかった。木村武雄は、石原莞爾と同郷の山形県米沢の出身であり 、若い時から、石原莞爾の《王道アジア主義》に共鳴し、石原莞爾に私淑し、石原莞爾亡き後は、石原莞爾の遺志を受け継ぐべく、あくまでも裏方として、《王道アジア主義》実現に向けて尽力、奔走していたというわけだ。
 実は、坪内隆彦氏は、私も「顧問」として参加し ている民族派右翼の思想雑誌『維新と興亜』の編集長である。『維新と興亜』を舞台に編集長の坪内隆彦氏だけでなく副編集長の小野耕資氏、発行人の折本龍則氏……等も、自民党=統一教会的な《ネットウヨ》とは一線を画した、反米愛国的な、あるいは反統一教会的な《民族派右翼》とでも言うべき立場から論陣を張っている。
 本書は、自民党的保守や自民党的右翼、《ネットウヨ 》的保守、あるいは《ネットウヨ 》的右翼とは、思想的次元の異なる《 保守》や《 右翼 》というものが存在することを、明晰に明らかにしている。《 中国敵視政策》も《中国包囲網作り》も、日本の伝統や文化を守り、日本国民の人権と国益を守る道ではない。

by めい (2023-03-06 05:15) 

めい

(米沢日報)
書評『木村武雄の日中国交正常化
      ー王道アジア主義者・石原莞爾の魂』
http://www.yonezawa-np.jp/html/book_review/book_review_text/75book_kimuratakeo.html


by めい (2024-02-02 05:41) 

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