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牧野房先生 [弔辞]

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牧野房先生葬儀1.jpg牧野先生3.jpg
まだまだ元気でおられるとばかり思っていたのに、おとといの新聞での訃報はショックだった。「宮内人 小田仁二郎」をいちばん読んでほしい先生だった。宮内小の150周年記念誌が落ち着いたらうかがおうと、ずっと思っていた。記念誌の方では、先生が編集された『南陽市のうた』にひとかたならずお世話になっている。そのことの報告もしなければならなかった。先生とは同級の八戸にいる叔母の「毎日ラジオ体操やってるよ」という元気な声を最近電話で聞いたばかりだったので、牧野先生もてっきりそのつもりだった。昭和3年のお生まれだから94歳、脳梗塞とのことだが、大往生と言っていい。しかし私の中では、妹の担任としてはじめて知った60数年前からずっと変わらない、いつもお若い姿形だった。私の市民大学講座にはしばしばおいでいただいたのもうれしかったし、励みになった。最後にお会いしたのも2年ぐらい前、何か書いたものをお持ちしたように思えるが、それがなんだったか今思い出せない。150周年記念誌の牧野先生の項を没年を書き加えて転載しておきます。多くのご著書が手元にあるので、亡くなられてかえって身近かになったような気もする。
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鈴木岳啾さん(宮内岳鷹会) [弔辞]

故鈴木利秋さん.jpg平岳謙先生が90歳でちょっと体調を崩されてから、会員の鈴木岳啾さんと橋本櫻岳さんが1ヶ月交代で先生を務めてこられた。岳啾さんは南陽宮内岳鷹会発足当時からのオリジナルメンバーで、詩吟に取り組む本気度は並でなかった。先日の吟行で吟ずる歌のいくつかは岳啾さんが節付けした。私が吟ずる斎藤茂吉の「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ・・・」もそのひとつで、微妙な節回しが難しい。しかしそれには岳啾さんなりのこだわりがあったようで、なんとかこなす中でその思いが伝わってきたようにも思えた。体調の悪化で岳啾さんの吟行参加は叶わなかった。そうこうしているうちの訃報だった。定番の「亡き人を(内柴御風)」のほかに、岳啾さん節調の「陸奥を・・・」を全員で吟じた。遺影を見つめて吟じていると、ついこの前までの岳啾さんがその声とともに眼前してこみあげるものがあった。いい送りをすることができた気がする。

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北垣俊一先生にお別れする会 [弔辞]

北垣先生葬儀の肖像.jpg昨日、山形学院高校での「北垣俊一先生とお別れする会」に参列してきた。暖かいものがジーンとにじんでくるような、なんともいえない、いい会だった。1時間半ぐらい、学院生のハンドベル演奏とともにあった礼拝の後の4人の挨拶、次第に北垣先生の生前の姿がほうふつとしてきたところで、最後は、いいご夫婦であったことがよくわかる、心に響く奥様の挨拶で締められた。

北垣先生葬儀看板.jpg北垣先生葬儀会場.jpg北垣先生葬儀 式次第.jpg北垣先生葬儀 履歴のコピー.jpg

宮内幼稚園時代から十数年にわたって、南陽学園の理事を務めていただいた。山形からつい最近まで車でおいでいただいた。「もう私も年だから」と言われるのを引き止めて、結局亡くなられるまで務めていただいた。北垣先生が出席されるのと出席されないのとでは、気持ちがまるでちがった。緊張感とともに安心感があった。最後は北垣先生の判断を仰ぐこともしばしばだった。どんなに助けられたかしれない。

明らかにサヨク感覚のお考えをお持ちだった。先生は先生で、私のウヨク感覚をよく理解しておられたと思う。それでもそのことで事荒立つことはなかった。私の書いたものをよく読んでいただいた。それが私には大きな励みになっていた。

いろんな方の訃報に接するが、北垣先生の突然の訃報は最近にないショックだった。86歳なのだから、大往生と言っていいのに、癌を患っておられるともお聞きしていたのに、まだまだお元気でおられるような気がしていたのだった。これからは、私の心の中に生きていただくことになる。

よく聞き取れないところも多いが、奥様のご挨拶をかみしめてみたい。

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梅津伊兵衛さんのこと [弔辞]

梅津伊兵衛さん.jpeg梅津伊兵衛さん訃報山新.jpeg昨日梅津伊兵衛さんの訃報を知った。その後「お知らせ」が届いた。いま、西尾幹二先生講演会後の懇親会で「新しい歴史教科書をつくる会」山形県支部の梅津会長が挨拶する写真を見つけた。平成11年11月21日、山形の国際ホテルが会場だった。分厚い『国民の歴史』(10/1発売)がベストセラー街道驀進中の開催で、会場は満席だった。西尾先生講演会.jpegわれわれの運動最高潮の時だった。(運動前半の経緯については→「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11。思えば、16年続くこのブログ、私にとっての「つくる会」運動の顛末を記すことがそもそもの動機だった。→「日本人にとって共通意思は可能か」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-03-12

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叔母の死 [弔辞]

女学校時代.jpg見合い写真.jpg「ほんとうに世話になったし心にかけてもらった」と、物心ついた時から思い続けてきた東京に住む叔母が88歳で一昨日(19日)亡くなった。これまでのがんばりからして盛大な葬儀になるはずだった。しかし、コロナ騒ぎが落ち着いたらあらためてとのことで、10人ぐらいのごく内輪の家族葬、私の参列も叶わない。

コロナ危機後の新しい時代、不要なものがどんどん切り捨てられるにちがいない。葬儀のあり方もまったく変わる。そう思いつつ19日、毎月この日の月例祭延期を竹さんに伝えて、叔母への思いを書きつづり送った。

そしたら昨日(20日)、「コロナの影響で「葬儀」はどのように変わるのか」の記事に出会った。https://toyokeizai.net/articles/-/344663
《新型コロナウイルスの影響で、それ以前から縮小化・簡素化が進んでいた葬儀が、ますます小さく簡易なものになろうとしている。》《2000年頃から都市部を中心に、限られた近親者だけで行う家族葬や、火葬場で簡単な読経を行うだけの直葬(火葬式)が急増。その背景には、核家族化や少子高齢化、地縁の崩壊など、さまざまな社会的変化や要因が絡み合っている。しかし、実はそのどれよりも「伝統的な葬儀に、現代人が価値を見いだせなくなった」ということが大きいかもしれない。》で始まるこの記事、「お別れ会」についての言及の後、《このコロナ禍で、働き方や価値観など、さまざまなものが大きく変化するだろう。しかしグリーフ(悲しみ)は、変わらず存在し続ける。これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなっても、「自分にとって本当に必要なものは何か」という基準で物事を判断し、自分らしく儀式を執り行うことで、悲しみと折り合いをつける工夫をしてほしい。》で締めくくられていた。

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菅井敬一郎先生への弔辞 [弔辞]

菅井先生 米澤日報.jpg選挙の前に「行かねば」と思い、結局行けなくて、終わった今こそ「行かねば」と思っていた矢先の訃報だった。まったくの家族葬でということで、式場には家族の分だけの椅子しかなく、ご焼香のみさせていただいてきた。用意した弔辞は御霊前に捧げていただいた。息子さんとの話も、千葉に住む娘さんも来られていることなので接近は避けての会話だった。消え入るようにして旅立たれた風だった。ずっと気になりつづけていた菅井先生との突然の別れだった。享年88歳。(右は「米沢日報」2013.10.11)

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