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大地の感覚:「自然(じねん)」→「一心清明」 [神道天行居]

昨日、山上修法に行くきっかけをつくってくれたMさんから手紙が届いて、その返事を書いていたら、今朝の日経、

《陸奥は、美しい星に曝されながら毛皮にくるまって、草の上に寝た。頭上の星と、背中に大地との直接のつながりを感じながら眠った。》『陥穽』)

山奥に入り、灯りを消して雪の上に寝転び、夜空を見上げる。自然と一体になれる感覚がたまらない。》「倍賞千恵子 私の履歴書(23)」)

このたび山上修法での感覚→「アマテラスオホミカミ」の大音声の中、斎火の熱を右身に浴びながら、一歩一歩大地の感覚を確かに感じつつ踏みしめてゆく。この時の感覚をしっかり記憶しておきたい。おそらく「一心清明」に通ずる、至上の感覚だった。太鼓を合図に行進を終えるが、そのままつづけていたかった思いの感覚が今も残る。/思い起こして安藤昌益の「自然(じねん)」の感覚がリンクした。(「気張らず自然(じねん)で通すこと」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-30-1/「安藤昌益は「神道思想家」に近い!」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-05)この世に生きるヒトとしての立脚点、原点感覚とも言えるかもしれない。昌益は「自然ノ世」の骨子のひとつとして《「転定(てんち=天地)モ人倫モ別カツコト無キ「天心一和」の調和》(『安藤昌益事典』207p)と言っている。》石城山行③ 山上修法https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-11-29

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石城山行④ 天行居とユダヤ [神道天行居]

「フリーメーソン」という言葉とともに、いわゆる「ユダヤ陰謀論」について意識するようになったのは昭和60年代はじめだった。神道天行居修斎会無言潔斎中の熊野秀彦先生講話による。先輩から『神々の陰謀―闇の結社・フリーメーソンの世界支配戦略』(赤間剛)を見せてもらったが、それには反フリーメーソン団体の代表的存在として、神道天行居があげられていた。
戦前から戦後、東北帝國大文学部を中心に仙台が天行居の一大拠点だった。ユダヤ問題の古典的名著「猶太と世界戦争」(昭和18年)を書いた「愛宕北山」は、奥津彦重東北帝大教授(独文学/1895-1988)のペンネーム。
奥津先生は参玄社版「友清歓真全集 第二巻 天行林」(昭和48年)の帯に「日本民族の魂の原点に迫り 古神道霊学体系の太陽を明らかにした待望の名著!」としてこう記しておられる。《若き日に、何ものかに促される思いがして端座し、或ることを体験して以来、世の常の霊覚者ないし霊術者の前に出て、彼等の所業を直視すると、多くの場合、その真似ーあえてその堂奥までもとは言わぬがーをすることができた。しかし、これによって大きな禍誤を犯さず、魔境ないし地獄にさらわれることのなかったかに見えるのは、幸運というほかはない。今にして思えば危険極まりない道を歩いたのである。その後幸いにして友清先生の御著書に接し、救われたの感がまことに深い。とは言え、ついに肉体的には、先生の前に正坐して、高教を承る機会を失したが、その理由は、今なおこの侏儒の身には不明である。おそらくは、生得の不精のためか、或いは身の卑小の故に、へだたりが余りに大きかったからであろうと察せられる。しかし、今、先生の御全集を前にして机辺に坐するとき、身をもって果たしえなかったことが、ここに実現されたとの感の切なるものがある。/平伏して、御全集全巻完了の日を待望し奉る。》
この全集には詳細な注解がつくが、その中心となったのが奥津先生の後進小野浩明治大学教授(1907-1997)。小野先生は一時期、天行居宗主の座にあった。また奥津先生は、『ユダヤは日本に何をしたか -我が愛する子や孫へ語り継ぎたい-』(原題『攘夷の流れ』)の著者渡部悌治先生(1912-?)の岳父。太田龍氏によって渡部悌治私家版『攘夷の流れ』を知り、隠棲されていた酒田のお宅を訪ねたことがある。その後「新しい歴史教科書」運動の中で、高梨勝さんとの縁で、鶴岡の荘内神社で2度御講話いただいた。渡部悌治先生に「(ユダヤの問題に取り組む中で)危険を感じたことはありませんでしたか?」とお尋ねした時の答えは、「地を這う思いで生きてゆくこと。そうすれば健康で過ごせるものです」だった。私にとっての金言としていつも心に留めている。実はこの言葉、今回の山上修法の中で強く意識された。とりわけ大地を踏みしめ踏みしめ歩みを進める右旋行進において。

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石城山行③ 山上修法 [神道天行居]


このたびはじめて右旋行進委員の任を得た。大麻奉持の第三回担当。大麻を先頭に、4人の右旋行進委員がそれぞれ神衣、天上神物、神乃伊振を捧持して斎火の周りを右旋する。その間、総員10分間の十言神咒(トコトノカジリ)奉唱。それを3回繰り返す。私は最後の第三回担当。(写真は神道天行居HPよりhttp://tenkoukyo.jp/katudou.htmlより)

「アマテラスオホミカミ」の大音声の中、斎火の熱を右身に浴びながら、一歩一歩大地の感覚を確かに感じつつ踏みしめてゆく。この時の感覚をしっかり記憶しておきたい。おそらく「一心清明」に通ずる、至上の感覚だった。太鼓を合図に行進を終えるが、そのままつづけていたかった思いの感覚が今も残る。

思い起こして安藤昌益の「自然(じねん)」の感覚がリンクした。(「気張らず自然(じねん)で通すこと」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-30-1/「安藤昌益は「神道思想家」に近い!」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-05)この世に生きるヒトとしての立脚点、原点感覚とも言えるかもしれない。昌益は「自然ノ世」の骨子のひとつとして《「転定(てんち=天地)モ人倫モ別カツコト無キ「天心一和」の調和》『安藤昌益事典』207p)と言っている。

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石城山行② 山上へ [神道天行居]

第98回山上修法。一堂に介しての修法は4年ぶり。令和2、3、4年の山上での修法は本部職員のみ、この間全国各地で道士による対応修法が行われてきた。われわれは名古屋、福島、宮城の道士とともに熊野大社神前において行った。今年は宮城のMさんの誘いに乗って11年ぶりに竹さんと参加した。いつものことだが、電車に乗って座席に腰を下ろすまで行くことの実感が湧かない。前回は新幹線の中で大失態をしでかして多くの方に迷惑をかけた。そのときお世話になった看護師のWさんに、今年の夏ご主人と一緒に山形旅行の途中ということで立ち寄っていただいたのはうれしかった(その時の写真を探したが見つからない)。11年前の記事があった。ついこの前のような気がする。きっと時間が途切れてはいないのだ。(→石城神山https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-11-15熊野秀彦先生https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-11-17

心配な天気予報だったのだが青空も広がり大丈夫。2023.11.11宗主挨拶.jpg午前9時道場講義室に集合。司法者友清祐子宗主挨拶にはじまり修法の次第説明。友清宗主はピアノの名手。山口大学の准教授になっておられるのを今知った。ユーチューブで演奏が聴ける(→https://enc.piano.or.jp/persons/5291)。山上修法名札.jpg思いがけなく第一班長(総勢7名)と右旋行進委員の役を賜った。ずっと若手のつもりでいのに、もう高齢者の部類になっている。歩いて山に登った人の中で、竹さんが一番高齢だったかもしれない。38年前最初にお山に来た時高校2年生だったM君は、このたび家族5人で参加。長男は24歳になっている。山上修法は20年ぶりというSさん、当時子供だった娘さん、われわれを覚えていてくれた。

午後2時、準備を整えて道場前にて記念撮影後、拝殿前に集結。太鼓の合図で3時前発御。

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石城山行① 半霊半物質 [神道天行居]

11年ぶりの山上修法参加でお山に居る。朝食を終え廊下の机の前。東向きなのでちょうど朝日が差す。7時57分。天気が心配だったが大丈夫のようだ。(11日の朝、スマホでここまで慣れない文字入力)
10日の朝8時25分のつばさで出発、16時22分田布施着。帰りは12日15時17分田布施発、23時03分赤湯着。1341キロの行程、2回の乗換え(東京・徳山)だけで8時間足らずで行けるようになっている。初めて行ったのが昭和60年の春だった。2023.11.11田布施駅前.jpgあの頃から比べてずいぶん便利になったが、田布施駅が無人駅になっているのに驚いた。のぞみの乗客も大阪を過ぎるとどんどん少なくなる。山口県の風景は昔とちっとも変わっていないように思える。古くなった分寂れているということか。以前は駅前にタクシーが待っていたのに、前のタクシー会社の車庫も空っぽ、事務所には人もいない。たまたま来た別のタクシー会社の車をつかまえた。
2023.11.11本部の朝.jpg2023.11.11本部前.jpg11年の空白を感じない変わらぬ本部、「また来ることができた」の感慨。周囲の風景、全てが懐かしい。(写真は11日の朝撮影したもの)本部神殿で中林梧竹の絵と書を確認したのもうれしい。(東北神咒奉唱大会(1)梧竹の書https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-06-17-1
中林梧竹 竹図.jpg2023.11.11中林梧竹.jpg
ゆっくりふりかえっておきたいと思うが、今回も多くを得た。

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白頭山天池御神璽奉斎90周年祈願祭 [神道天行居]

長白山天池DSC_1726.jpg

↑ 4年前、私が撮影した白頭山天池です。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-08-09

昨日(7月30日)午後4時より、白頭山天池御神璽奉斎90周年祈願祭を熊野大社拝殿にて斎行することができました。

2023.7.30 .jpg

ここに至る経緯をふりかえってみました。

長白山行(5)白頭山天池③ 神璽八十六周年祭 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-08-09
《「今から86年前の昭和8年(1933)、この土地が日本の統治下にあった時代、アジアの安定・世界の平和を願って、豊岡姫の神様(豊受大神)をはじめとするの御神霊(神儀・神璽)をお鎮めしました。その御神霊のためのお祭りをこれから始めるところです。」》
白頭山天池遥拝祈願祭 https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-02
《今回の御神事名称、「祈願」の言葉に特別な意味が込められていた。黄泉比良坂の故事、伊弉諾神と伊弉冊神の行き違い、その場は菊理媛の取りなしの言葉でことなきを得たものの、真の和解には至らぬまま今に至ることが諸々相克の因を為す。あらためて菊理媛の御出動を願うべき秋なのではないか。》
いい七夕祭でした https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-08
《この物語(織姫牽牛伝説)、せっかく夫婦になったのに1年に一回しか会わせてもらえないという「不幸な物語」です。そこで、イザナギとイザナミが黄泉比良坂を境に離れ離れにならねばならなくなった「不幸な物語」に重なります。》
人類の問題の根源はまさに男女問題(マドモアゼル・愛) https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-11-09
《個々のレベルで男女性の神話的解決を成すことによって、本物の明るい未来が開けていく、そうした時を迎えています。 》
男女のタブーを解く https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-07-22
《現在祭り前のお精進中です。一切生もの(肉、魚、卵)を食さないほか夫婦同衾も禁ぜられます。実はこのことに疑念が湧き出しています。太陽凝視タブーに重なってしまうのです。》

祝詞です。

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白頭山天池御神璽奉斎九十周年祈願祭祝詞

掛巻くも畏き日本大霊魂むすひの大神の鎮まり奉る熊野の大社(おおやしろ)の大前に、神道天行居〇〇、齊廻り潔廻り恐み恐みも白さく、白頭山の天津巓(あまついただき)に天之真名井(あめのまない)なす天池(あめのいけ)を瑞の神殿(みずのみあらか)として、掛巻くも綾に畏き豊岡姫大神を始め諸々の神々等の大神璽(おほみしるし)鎮まりまして九十年(ここのそじとせ)廻るこの日を選みて、神道天行居同志(まめひとら)諾い集いて、やまとをひらきていはとをひらく事の状(さま)を大御心も霽(はる)けく神諾(かみうづな)ひ所聞食(きこしめ)し給ひて、天關(あめのいはと)の速(すむや)けく打開けて亜細亜の国々を始め萬(よろづ)の国々和(やはら)ぎ睦(むつ)び皇大朝廷(すめおおみかど)の大御稜威(おほみいづ)を仰ぎ奉り、一日も速(すむや)けく「萬有和合世界霊化」の御光(みひかり)美(うるは)しき新世(あらたよ)の大御代と成し幸(さきは)へ給へと忌(ゆ)知り厳(いづ)知り畏み畏み請祈(こひの)み奉らくと白す。
辞別けて申さく、古(いにしへ)ゆ未だ例(ためし)無き神分(かみあかち)の大機(おほとき)の眞中(まなか)に當りて禍津源(まがつみなもと)を為す穢(きたな)き赤魔共(あかこごめども)を悉(ことごと)に討罰(うちきた)め神遺(やら)ひに遺ひ給ひ、諍いの源悉く祓い浄めて人の自然(じねん)の豊けく麗しく咲匂へる世へと移り行かしめ給へとひたぶるにひたぶるに請願(こひの)み奉らくと白す。

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賢しらなる人の企みを超えて在る「人の自然」、あえて「じねん」と読みます。安藤昌益、宮内にリンク!(1) 昌益研究家矢内氏の来訪 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-03-14 《ネットでも安藤昌益についてはいろんな人が調べており、深入りするときりがない。そんな中で、安藤昌益の人となりがよくわかる文章がありました。神山仙確という弟子によるものです。『自然真営道』、「自然(じねん)」にどういう思いが込められているかがよくわかったように思いました。岩盤がつながっています。この辺で言う「じねーんと・・・」(祖父がよく言っていたような気がする。今はもうあまり聞かない)の感覚に通じます。「自然真営(じねんしんえい)の妙道」と言うようです。》

拝殿での御神事終了後、白山神社御前にて神咒奉唱を行いました。

2023.7.30 1.jpg

昨年神事の翌々日、朝のラジオ体操、石川県白山町からでしたが、今年の神事当日朝8時からのNHK「ちいさな旅」、白山で驚きました。以下、菊理媛についてのいい記事見つけました。

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人類の問題の根源はまさに男女問題(マドモアゼル・愛) [神道天行居]

月食天王星食1.jpg月食天王星食拡大.jpg

昨夜、皆既月食でした。「天王星が見える!」の息子の声に外へ出て、カメラのレンズを通して月に隠れる寸前の天王星を確認しました。今、マドモアゼル・愛さんの昨夜のyoutubeの題を見て驚きました。《男女の神話的解決なくして次の世界は開けない》https://www.youtube.com/watch?v=cM8qc3lIXSM  7月30日に熊野大社で斎行した「白頭山天池遥拝祈願祭」にぴったり重なりました。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-02  黄泉比良坂の故事、伊弉諾神と伊弉冊神の行き違い、その場は菊理媛の取りなしの言葉でことなきを得たものの、真の和解には至らぬまま今に至ることが諸々相克の因を為す。あらためて菊理媛の御出動を願うべき秋》ゆえの祈願祭だったのです。

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白頭山天池遥拝祈願祭 [神道天行居]

2022.7.30御神饌.jpg7月30日、みよさしのまにま熊野大社御神前において「白頭山天池遥拝祈願祭」が斎行された。「白頭山天池神璽八十六周年祭」を現地において挙行できたのが3年前だった。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-31

今回の御神事名称、「祈願」の言葉に特別な意味が込められていた。黄泉比良坂の故事、伊弉諾神と伊弉冊神の行き違い、その場は菊理媛の取りなしの言葉でことなきを得たものの、真の和解には至らぬまま今に至ることが諸々相克の因を為す。あらためて菊理媛の御出動を願うべき秋なのではないか。その話がE氏から出された時、冊二神を御祭神とする当熊野大社に、白山神社 .jpg夫婦杉.jpg末社として白山神社が祀られて在ることをE氏はご存じなかった。その後、事は不思議に順調に運んでその日を迎えた。白山神社菊理媛様には丁重に御挨拶申し上げ、拝殿前での御神事に入った。斎主を務められたE氏、渾身の祝詞だった。(←白山神社とその向かい側にある夫婦杉)

万有和合世界霊化.jpg翌日届いた『古道』8月号の巻頭言がちょうど「万有和合、世界霊化」。《私どもは二つのものを抗争させようとするものでなく、何とかして二つのものが一つにまとまらぬものかと念じて居るものであります。万有和合、世界霊化といふこともその大願であります。もとより本源的には「もの」といふ古言が意味するごとく「もの」は霊でもあり物でもあるのです。唯心論とか唯物論とかの抽象的対立はありません。資本主義と共産主義との思想的対立も本源的な人間性の把握の上にはあり得ないことであります。その対立以前に立ち戻って、すなはち元元本本ですが、本を本とし始めを始めとして、そこに唯心論と唯物論、資本主義と共産主義とを否定即肯定する大道の面目がある筈であります。そこを万有和合、世界霊化と申して居るのであります。》(友清歓真「春風遍路」)神と仏、東洋と西洋等々にも敷衍されるが、その原点は夫婦和合なのだ。

シンクロニシティということでは、昨日8月1日のラジオ体操が石川県白山市からだったのも驚いた。

いつものことだが、物事は終わってからその意義がだんだんわかってくる。とりあえず以下の記事。あらためてのホツマツタエもうれしい。→「ホツマツタエのおもしろ記事」http://divinehuman.blog.fc2.com/

・菊理姫(くくりひめ)とは?日本書紀にたった一度だけ記される縁結びの神について解説https://amaterasu49.media/archives/12693

・ホツマツタエのおもしろ記事(34) 菊理媛神 http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

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◎菊理姫が登場する日本書紀の一文

菊理姫(くくりひめ)とは?日本書紀にたった一度だけ記される縁結びの神について解説https://amaterasu49.media/archives/12693

菊理姫の名前が唯一登場する日本書紀の一文です。

【原文】
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。

この一文しか名前が登場しません。
以下、解釈文です。

日本の神様で伊弉冉(いざなみ)と伊弉諾(いざなぎ)の二人の神様の夫婦がいました。
この夫婦は大変仲が良く、伊弉冉は多くの神様を産みました。
しかし、ある日火の神を産んだことから伊弉冉は黄泉の国へ旅立ってしまいます。
一人になった伊弉諾は寂しさのあまり、伊弉冉に会いに黄泉の国を訪れます。伊弉諾は黄泉の国の扉越しに、伊弉冉に「どうか戻ってきて欲しい」と懇願します。
伊弉冉は「それでは何とか戻れないか、相談してみましょう。私が良いというまで覗かないでください」と伝え、黄泉の扉を閉めてしまいます。
しかし、伊弉諾は伊弉冉との約束を破り、黄泉の扉を開けてしまいます。その扉の向こうには変わり果てた姿の伊弉冉が。
驚いた伊弉諾は、恐怖のあまりその場から逃げ出します。変わり果てた姿を見られたくなかった伊弉冉は、約束を破った伊弉諾を追いかけます。伊弉諾は命からがら逃げますが、途中の黄泉平坂で追いつかれてしまいます。
黄泉平坂で激しく口論をする伊弉冉と伊弉諾。そこへ泉守道者(よもつちもりびと・黄泉平坂の番人)が現れ、「伊弉冉が現世に戻ることはできない」と伊弉諾に伝え、口論している二人を取りなします。
その最中、そこへ今度は菊理姫がやってきて、伊弉諾に何かを伝えます。伊弉諾は菊理姫の言葉を聞くと、急に機嫌が良くなり、泉守道者と菊理姫の二人をたいそう褒め称えて帰っていきました
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青葉神社 片倉宮司のお話 [神道天行居]

青葉神社2022.6.5.jpg昨日、仙台青葉神社にて第33回東北神咒(かじり)奉唱大会。平成元年に榴岡天満宮から青葉神社に会場が移って33回目。一昨年はコロナ禍で休んだが、昨年は全国の支部の多くが中止を決める中で決行。そして今年は、決行の連絡が入ったのは2週間前だった。なにごともかむながら、神様のお計らいを思う。世の中はそれだけ切迫しているのだと理解する。

毎年6月の第一日曜日、例年ご神事斎行中、子ども神輿でも出ているのだろうか、遠くから聞こえてくるのが祭りの囃子。そしてこれも必ず聞ける、境内すぐ近くでのホーホケキョ。さわやかな風とともに感じるこの時の空気感はなにものにもかえがたく思う。

直会の席で、青葉神社片倉宮司にご講話いただくのが恒例になっている。

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「天工は人それ之れに代る」 [神道天行居]

「古道」R4.2.jpgいつもタイムリーなのですが、今回とりわけ書き留めておきたかった[古道」2月号の先師巻頭言です。昨日の記事でさらにそう思ったのでアップしておきます。

中村篤史医師が「見える人」と会って話されたことを書いておられます。→「コロナワクチンのスピリチュアル的な意味https://note.com/nakamuraclinic/n/nc85fbabdc47c」コロナ騒ぎがもたらそうとしている今の心配な状況(人口削減に至る問題まで)について、中村医師のなぜ、神様はこういう現状を黙って見ているのでしょう?」の問いに対して「神様のやっていることなので、なるようにしかならない。別にあなたの活動に対して、どうのこうのと言わないよ。ムダだからやめておけ、なんて言わない。あなたの情報発信によって救われた命もあるだろう。それはすばらしいことだ。しかし私としては、人に打てとも打つなとも、いいとも悪いとも言わない。それは結局、長い目で見れば、同じことだから。」の答え。根底に「あまり、そう、死ぬということを大ごとに考えられても困る。俺もあと数年もすれば死ぬだろうが、別に特にどうということはない。人間は死に、そしてまた生まれる。ワクチンで今生を終えて気の毒だと思わなくもないが、必ずまた、ここに返ってくる。そういうのの繰り返しなんだ。」という死生観あっての答えなのですが、たしかにそれはそれとして、「天工は人それ之れに代る」の言葉はありがたく思えます。

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