秋葉山火災を思う [宮内]
「無念、最後の議会だより(4)旧ハイジア問題https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2024-04-24」の続きを書こうとしてグズグズしていたら、秋葉山が燃えあがった。この前まで書こうとしていたのとは別な視点で書く必要が生じた。
今回の山火事、民家への延焼の前に心配したのは麓に広がる果樹地帯に火が及ぶことだった。東側斜面川樋地区のぶどう畑には一部被害が及んだようだが、南西斜面宮内地区側で燃えたのは山林のみで、果樹への被害はほとんどなかったのではないか。秋葉山のすそ野の向山一帯は、レベルの高いさくらんぼ、ぶどう、ラフランス、りんごを産出する宮内自慢の果樹地帯だった。ここに被害が及ぶことはなかったと思われる。燃えている最中は、「火伏せの神さまをおまつりしている秋葉山なのに」という思いがあったが、鎮火した今は「やっぱり神様が守ってくれた」との思いがある。5月4,5日は双松公園の火伏せの神さま琴平神社の祭典日でもあった。十数年前だったが、4日の晩打ち上げた花火の火が地上に燃え移り大騒ぎしたことがあった。この時も最初は「火伏せの神さまなのに」と言われたが、火が収まってからは「大事に至らずに済んだのは神様のおかげ」ということで、あらためて神社への崇敬心は増したように思う。今回も火災の規模こそ甚大だが、実質被害という面では少なくとどめられたのではないか。消火に要したエネルギーを考えなければだが。
そう思っているうちに、この火災をプラスに転化して考えられるようになってきた。
宮内公民館を考える会(拠点の会サロン会) [宮内]
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拠点の会サロン会 宮内公民館 1月25日(木)
配布資料
① 市長へ要望書みんなで創ろう 「私たちの広場図書館」3P
② 平面図
③ 動画検証から要望 (拠点の会版) 2P
進行
1. 開会
建設の現状⇒夏ごろには木組みも立上り。秋から内部工事本格化見通し。
大きな変更は無理でも、使い勝手に直結するコンセントや位置や選定など要
2. ワークショップ(要望質問等の整理)
① 動画平面図読み解く視点
・地域の縁側
・情報発信
・図書館
・調理、作り食べる
・展示
・利用者視線から
・備品収納など
②動画をゆっくり再生
③ 意見、疑問、要望
④ 施設運営などについて
⑤ まとめる要望が活きるルートは?
① 市長へ要望書みんなで創ろう 「私たちの広場図書館」3P
② 平面図
③ 動画検証から要望 (拠点の会版) 2P
進行
1. 開会
建設の現状⇒夏ごろには木組みも立上り。秋から内部工事本格化見通し。
大きな変更は無理でも、使い勝手に直結するコンセントや位置や選定など要
2. ワークショップ(要望質問等の整理)
① 動画平面図読み解く視点
・地域の縁側
・情報発信
・図書館
・調理、作り食べる
・展示
・利用者視線から
・備品収納など
②動画をゆっくり再生
③ 意見、疑問、要望
④ 施設運営などについて
⑤ まとめる要望が活きるルートは?
3.今後の進め方
4. その他
*参考: 市長へ要連書みんなで創ろう私たちの事書
4. その他
*参考: 市長へ要連書みんなで創ろう私たちの事書
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これまでの会合では「ああしてほしい」「こうしてほしい」論議が前面に出ていたが、今はもう現実に工事が進行しているわけで、画面で見る空間で自分がどんな姿で活動しているかを想像することがいちばんだ。設計事務所がつくってくれた完成予想の動画を見ながら、みんなであれこれ思い巡らす時間が、ことのほかありがたくかけがえなく思えた。雪の中を圧して参加した18名の顔ぶれもいい。宮内のこういうメンバーがいつも集いたくなる施設になるのがいい。だれがどんな形でどんな運営をしてゆくか。白鷹の「あゆーむ」を思って発言した。在任時代、麻雀教室や歌声喫茶を始めた柴田元館長からの貴重な発言もあった。
ずいぶん昔になってしまったが、昭和50年代前半の宮内商工会青年部を思い出す。(「「地元で買物キャンペーン」の記憶から」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-04-15)大型店進出、市役所移転といったことからの危機感が根底にあって、連夜仲間が集って激論した。そこにはいろんな情報が飛び交って、宮内の情報の集積地といってよかった。公民館がそんな場になればいいと思う。
宮内公民館建設工事安全祈願祭 [宮内]
今日いよいよ宮内地区交流センター(宮内公民館)建設がスタート、安全祈願祭が行われた。施工業者は(株)松田組で請負金額5億2119万円、工期は令和7年3月25日。
私にとっての公民館問題は、平成28年(2016)4月、地区長連絡協議会の会長として市長に挨拶に行った時、「南陽市で最後に残った宮内公民館の改築を進めたい」との意向を聞いたことから始まる。当初の思惑とは大きく違う形で進展してきたがそれはそれでいい。足掛け8年、感慨深い。式の最中はテントを打つ雨音が激しかったが、式典を終えて空を仰ぐと青空が見え出していた。そういえば、市当局から初めて素案が示されたのが令和2年(2020)の10月だったが(→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-24)、その翌日だったか、朝早く建設予定地の蔵楽に行ったら見事な虹が出ていたのを思い起こす。無事の完成を願う。
菊で輝く粡町通りへ [宮内]
今朝(12日)、粡町共栄会が粡町通りに菊鉢を飾りました。今年も平源助さん(87歳!)、夫婦で頑張っていただきました。ただただ頭が下がります。(昨年→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-10-08-1)
菊まつり開園式 [宮内]
「南陽の菊まつり」開園式が熊野大社證誠殿で開催されました。今年で111回です。夜半の雨も上がり、風は強いけれども気持ちのいい青空になりました。菊人形主体の昔の菊まつりとはちがう今風の菊まつりがすっかり定着した感じです。今風の菊まつりへの転換をリードしてきた斎藤哲裕くんが副実行委員長で、今回の展示を解説してくれました。熊野参道の突き当たり、神社石段の下、テーマは「夕づる」です。つうの影が鶴になって月に映っている場面です。夕鶴伝説の珍蔵寺の紅葉にうっすら雪が積もっているという設定です。宮内会場菊人形はこの一体のみ。そのほかは大型フラワーアレンジメントというのでしょうか、それはそれで見応えがあります。「熊野大社の境内と参道を舞台にフラワーアートを装飾します。世界大会で優勝したフラワーデザイナーを始め、全国で活躍するデザイナーのフラワーアートをご堪能ください。」とのことです。
『南陽アーティストフェスティバル』開催 [宮内]
当初の提案からは大きく変わりましたが、奥山清行さんの「(株)四季南陽」がようやく動き出します。「南陽を世界ブランドにする」、その第一歩とのことです。
以下、南陽市HPより。
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株式会社四季南陽(代表取締役:奥山清行)及び株式会社KEN OKUYAMA DESIGN(代表取締役:奥山清行)の両社が、10月7日(土)~9日(月・祝)の3日間、南陽市交流プラザ「蔵楽(くらら)」で、国内外のアーティストを招き、『南陽アーティストフェスティバル』を共同開催します。
開催概要
・期間 令和5年10月7日(土)~9日(月・祝)
・会場 南陽市交流プラザ『蔵楽』(南陽市宮内1004番地の1)
・入場料 無料(事前登録入場制)
事前登録入場申込方法
・申込期間 令和5年9月21日(木)~10月6日(金)正午まで
※定員になり次第終了
申込方法やイベント最新情報は、関連リンクのKEN OKUYAMA DESIGNホームページでご確認ください。→https://www.kenokuyamadesign.com/
※定員になり次第終了
申込方法やイベント最新情報は、関連リンクのKEN OKUYAMA DESIGNホームページでご確認ください。→https://www.kenokuyamadesign.com/
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「がんばろう!商店街」総括 [宮内]
9日、遅れ遅れになっていた粡町商店街の令和5年度総会を開くことができた。激しい議論もあって、「若い頃の宮内商工会青年部時代を思い出した」との声もあった。私は「獅子の会」を思い出していた。机を叩いての言い合いなど日常茶飯だったのだ。壁をぶち破って前進するには「言い合い」が必要なのだ。忖度しあって丸くおさめようという空気の支配下に安住しては、新しいものは始まらない。そういう意味で、そのきっかけをつくってくれたO氏に感謝。粡町商店街が確実に新たな世代に引き継がれてゆくことを実感できたいい総会だった。
9日当日、総会資料を作りながら、ずっと思っていた「がんばろう!商店街」の総括を今日しなければする時がない、と思い立って書いた。労多くして実り少なかった事業を思い起こした。ただ、事業自体はたしかにそうだったが、その過程を経て今後につながるものも多い。今回の総会で議論ができたのもそのひとつと言える。
まだまだ言わねばならないこともありそうだが、以下は総会資料に載せた「経過と総括」。
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書評『南陽市立宮内小学校 創立一五〇周年記念誌』(米沢日報) [宮内]
『南陽市立宮内小学校 創立一五〇周年記念誌』、米沢日報に紹介していただきました。
一冊 1,500円(税込)
送料 500円(税込)3冊まで送れます。
電話、ファックス、ハガキ、メール等でお申し込み下さい。
記念誌と一緒に郵便振込用紙をお送りしますので、到着後1週間以内にお振込ください。(振込手数料はご負担ください。)
〒992-0472 山形県南陽市宮内3450
0238-47-2168 booksano92@gmail.com
送料 500円(税込)3冊まで送れます。
電話、ファックス、ハガキ、メール等でお申し込み下さい。
記念誌と一緒に郵便振込用紙をお送りしますので、到着後1週間以内にお振込ください。(振込手数料はご負担ください。)
〒992-0472 山形県南陽市宮内3450
0238-47-2168 booksano92@gmail.com
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冬を迎える菊片付け [宮内]
今年は霜が降りなかったので、片付けるにはまだもったいないような菊の片付けを今朝終えました。霧の深い朝でしたが、街より高いところの畑に行くと、朝日に輝く西の山並みがきれいでした。明日あたりから寒くなる予報で、いよいよ冬を迎えます。雪囲いも始まっています。
泉親衡を祀る和光神社(「鎌倉殿の13人」) [宮内]
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と宮内の関わり(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-06-09-3)、①この地域を「北条郷」というのは、北条時政の妾腹の子北条相模坊臨空に由来する ②熊野大社末社の融通神社には、大江広元の孫長井泰秀(次男時広の子)が祀られている ③置賜の寒河江家は大江広元の長男親広の子孫 というそれぞれ独立した関わりがあることがわかっていたが、23日の第40話でもうひとつの関わりがでてきた。和田義盛との戦いのきっかけをつくった泉親衡(親平)、ドラマ上ではその後行方知らずとなっているようだが、実は、慶長3年(1598)飯山から宮内に移ってきた尾崎家の初代が泉親衡で、尾崎家の氏神様である熊野大社末社和光神社に祀られている。
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『飯山市史』にこうある。《英岩寺境内に和光明神が祀られている。この本地は三宝荒神で、泉親平が鎌倉で一乱後、ゆくえをくらましていたが、その後文和年中八代の孫飯山入道氏重が兵火にかかった小菅八所権現の造営、五束の大宮諏訪大明神の社殿修復をし、泉八家の祖和光明神を八幡宮とともに尾崎の地に祀った。その後政重により再興、父重歳がこれを飯山城に移したが、長尾景虎出陣して城を修復のさい、英岩寺境内に移したという。慶長三年上杉景勝の会津移封のさい、尾崎氏に奉ぜられて移った和光明神は山形県宮内町に現存している。》(上巻「第4節 仏教の展開」の「和光明神」355p)泉親衡は尾崎家の祖なのだ。かつてこの和光神社に関わる奇跡を体験したことがある。→「和光神社が結ぶ歴史的奇遇」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2010-04-02 ドラマの展開で「熊野起請文」が重要な役割を果たしていたのもおもしろい。
《御烏さまという特殊な御守札。日本三熊野(紀州三熊野・軽井沢熊野・羽州熊野)のみが、昔から頒布しているものであって他所にはない。》(北野猛宮司著『熊野大社年中行事』https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-12-20)
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ちょうど昨日アップなった「泉親衡の乱」の記事があったので、ウィキペディアと併せて転載しておきます。
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