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「1990年の生活レベルで日本人が満足した」 [mespesado理論]

経済停滞グラフ.jpgはじめてこのグラフを見た時は驚いて一般質問でも取り上げた。コピーして議場で配ったほどだった。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-09-05 プライマリーバランスにこだわらざるを得なかった経済政策のゆえということなのだろうが、なんかそれを容認する国民感覚もあったのではないかと思うようにもなっていた。そんなところで一週間ほど前上原さんが書いたのを読んで、同じように思っている人がいることを知って、《1990年の時点で日本人は「これでいい」と。》同感です!ずっと私も思っていたことでした。》コメントした。

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上原聰三

6日 
【「責任ある」積極財政へ】
物事を明るく捉え、積極的にやっていこう そのつづき
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前回、《長いデフレの停滞で投資意欲が失わされた民間》と云う事を書いたが、其れは日本人の《美徳》とも云われている「足るを知る」から出たことで、“何も悪いことばかりではなかった”のではと、其れを考えて克服しない事には不十分であると云う方がいました。
1990年の時点で日本人は「これでいい」と。つまり、
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勿論、将来を見れば違うかも知れないけど、家は小さいし、通勤は大変だけど、まぁね家族で楽しくやって行けるだけの素敵な生活は出来るようになった、テレビ冷蔵庫洗濯機皆あると、家も一応整ってると、其れからその頃は車とかクーラーなんかも手を伸ばせば買えたんです。子供を高校大学に行かそうと思ったら行かせられるし、一応毎日白いご飯は食べられるし、これ以上頑張ってもいいけど頑張る必要もないかな
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と、「足る」を知って、これでいいと、全体としては1990年の生活レベルで日本人が満足したからではないのかというのです。
そう云われると当事者ごととして“心に深く強く感じる”ものがあり、責任の一端らしきものもある気になる。
「失われた30年」に終止符を打つ!と意気込んでも、此の事も克服することを考えないと“空文句”に終わる恐れがあると云う事であろう。
“冥土までの暇潰し”人生の年寄の役目としてそうしなければと思う此の頃である。
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猿都瑠さんとmespesadoさんのやりとりから感じた思いに通ずるような気がする。
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3:猿都瑠 :2023/01/30 (Mon) 01:41:44
日本が医薬品の廃棄場となり、兵器購入を押し付けられる。
戦争を行い、負けた結果そうなっただけの事です
占領国家であるから、声高に叫んだ所で何も変わりません
人間の世界も弱肉強食だと一般人すら勝ち誇ったかのように言い放っている。
嘆いてみせて、承認欲求が満たされるだけの事でしょう。
人間以外の生物の弱肉強食とは根本から意味が違うというのに。
人類以外は自分たちの種の保存という輪廻と循環の為に、資源を食い尽くす事はありません。
しかし経済の血液ともなるお金ですら、全てを回収しようと目論む強欲な連中がいる。
一部の人間だけが全ての富を支配し、ありとあらゆる経済的な循環を無くした世界が完成したら。
それでも多数の人類はお金に価値を見出だすでしょうか。
その時はお金の価値が消え失せる時でしょう。
全ての富を強奪した人間に脅されようが、そんな連中に媚び諂い奴隷以下として誰が喜んで食料確保をするんでしょうか。
ありとあらゆるダイナミズムが消え失せ、人類の進化は停止する。
停止した生物に未来はありません。
宇宙の中では時間と共に全てが進化する事が決まっているからです。
人類は滅び、人類に変わる生物に強制的に変化するでしょう。
ワクチンや医療戦争、幾度と繰り返される終わらない戦争を何度も見せられて、それを指摘して悦に入っているような時期ではない。
医薬品にせよ、兵器にせよ、一部の支配欲とお金の為。
平和ボケを世界一平和を望む国民性と嘘を言ってみたり、ワクチンの中身を見ようともせず、他人に迷惑を掛けない為と集団でないと恐怖に陥り、それを隠す為の嘘で自己洗脳して率先して射ったり。
人間は嘘で怒らないのに、真実を言われると激怒する、その嘘が表に出て行動しているのが今でしょう。
コロナは光陰共に炙り出しに使っていますが、地球の仕掛けです。
光に付く側と陰に付く側の分裂はとっくに始まっている。
分岐点までは同じ道を通ります。
分岐した先のとりあえずの下車する場所がどちら側なのか。
富を産み出す為の商品の多数は消えます。
人工的な分解されないような商品も消えます。
遺伝子組み換えも消えます。
そして光陰両方とも目指すはワンワールドになります。
色々嘆いてる時間があったら、自分が変われって話です。

4:mespesado :2023/01/30 (Mon) 12:28:56
> 戦争を行い、負けた結果そうなっただけの事です。

 コロナ禍以前の世界では、日本が搾取されてるのは戦争に負けたせいだ、という意識が強く、それを何とかするには改めて戦勝国になるしか方法が無い、という物騒な意見にも一理あるな、と思っていました。
 しかし、コロナ・プランデミック以降は、そうじゃない。敗戦国だろうが戦勝国だろうが、より高位の支配層に蝕まれているという事実。敗戦国は外から、戦勝国は内側から支配されているという、どちらにせよ救いのない状況であることを認識せざるを得なくなりましたね。
 つまり、勝ったか負けたかではなく、人間の「支配欲」こそが本質であり、ここをはっきり認めることから始めないといけないとわかった。
 それから、そのウラの支配者の支配が過激になったのはいつからか、ということを考えるに、そりゃもう、市民革命自体がヤラセだとか、第二次世界大戦自体がヤラセという事実はあるんだけれども、経済が発達しているときはウキウキした気分が世の中に蔓延して、裏社会の話なんてどうでもよくなるものだが、日本では少なくとも高度成長期とそれに続くバブル時代はそんな時代だった。そして、よく歴史は繰り返すとか、景気には波があって好況と不況を繰り返すとかいう理論が尤もらしく語られていたけれど、バブル崩壊以降は、どうもそういう「歴史の繰り返し」やら「周期性」というパターンから抜けてしまったように思う。なぜなら、バブル崩壊までの時代は技術の限界によって、人力に頼っていた供給力に限界があったから、人口(というよりは、「生身の供給能力」と言うべきか)が足りないと供給力が足りず、人口を増やして供給力を高めると、今度は人口が増えすぎて需要が増えすぎるので何らかのカタストロフが起きて人口が激減し、以下その繰返し、というようなことが起きていたのが「歴史の繰り返し」であり「周期性」だったのだろう。だが、供給力が青天井になるような技術力を得た人類は、この繰り返しのパターンから抜け出てしまったように思う。ところが人々の意識の方が未だに「需要に見合った供給力は人間の苦役を伴った労働と共にある」というイデオロギーに支配され、そのイデオロギーを支配層も鵜呑みにしているから「供給に寄与できない人間は無駄飯喰らい」だから削減したり「供給能力を持つロボット人間にしたい」という理由から支配したりの対象としか見れなくなっている。我々一般庶民も、こういう人間の現実的な環境から見たら時代遅れの「支配欲」から脱しないと、既に「循環」は終了してしまったのだから、いつまでたっても「明るい時代」は訪れず、ひたすら滅亡に向かってまっしぐらになっていくのだろう。

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