染屋のおまつり(六夜様) [当家史]
一昨日、六夜様のおまつり無事斎行。毎年旧暦10月26日を目安に行うが、今年は10月28日にあたる10日(日)にできた。毎月旧暦の26日に掛軸と神様を床の間に飾って拝んでいるが、1年に一度、熊野大社からおいでいただいてのご祈祷、それがこの日。50年以上前だが、祖父が亡くなって数ヶ月経って、母が祖父(母にとっては舅)の夢を見た。何か言いたそうな祖父の様子で、目が覚めてから毎月の六夜様のおまつりを忘れていたことに気づかされたという。毎月ぴったり26日にならないことも多いが、なんとか継続してきた。1年に一度の大祭には、餅をついてあちこちにふるまう。昔は家でついていたが、いつの頃からか餅屋さんに頼むようになって、数年前からは餅搗き器で搗いている。直会での料理も昔から決まっていて、今もそれを守っている。精進料理でネギ、ニンニクもご法度。この日は朝からお精進。
『南陽市史 民俗編』にわが家と向かいにあった山崎染屋さんの記事が載っていた。
市史にもあるように、東の山から昇る26夜の月がちょうどお灯明のように見えるとのことで、夜起きだしてその月を拝んだと、たしか祖父にきいたことがある。何度か挑戦したがまだ見たことがない。
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『年代記』、山形新聞で紹介 [当家史]
解読された『年代記』が、3月議会の一般質問で《人類の歴史は感染症との戦いの歴史であったとも言われます。私の家に残る記録によると、今から187年前、大飢饉の最中の天保5年6月のこと、「毎日熱病にて一人二人ずつ死す。はやり風邪にてお獅子さま町へ出る」とあります。毎日死人が出る流行り病でお獅子さまの出動を願わねばならなかったのです。》と発言したのがきっかけで、今朝の山形新聞置賜版で大きく取り上げられた。東北芸工大の竹原万雄先生のチームによる『年代記』解読版が届いたのが、一昨年の暮れだった。(「「年代記」翻刻版、完成」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-26)それから間もなくのコロナ騒ぎもあって、竹原先生のご苦労に何も報いることがなかっただけに、こうして紹介されたのがありがたい。
コロナ騒ぎが大きくなった昨年初夏の頃、獅子冠事務所の集まりで「お獅子さまに出てもらわねばならないのでは」との話が出た時、「お獅子さまに出ていただくほどのことではない」と収めたのは、《毎日熱病にて一人二人ずつ死す》の記述が頭にあってのことだった。「先人も願った 病気収束 今と重なる江戸期の姿」はまさにその通りのいい見出しと感心。