SSブログ

『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』を読んで [本]

世界の常識はウソばかりのコピー.jpg副島隆彦・佐藤優対談本『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』(ビジネス社 2022.2.1)を読んだ。アマゾンの初出レビューにこの二人の対談、噛み合うところもあれば噛み合わないところもある。しかし、お互いがリスペクトしあっているので感情的に反論することなく、互いに意見を言って終わっているところが紳士的でよい。》Kamusa)とあるが、同感である。それはそれとして、私なりに立ち止まって思わされたことがあったので書いておきます。
第2章「戦後リベラルの正体」の第3節「新左翼とは何だったのか」。二人の学生運動への関わりが語られる。そのやりとりの最後。
《副島 日本の過激派の学生運動、新左翼たちの運動は70年代で死に絶えました。現実味のない愚かで空疎な戦いの中で人生をボロボロにしていった約20万人活動家たちの魂を、私は引きずっています。バカだった、だけでは済まない。/ 新左翼の各派に、公安警察のスパイがかなりの数で潜り込んでいました。そして彼らが内部から扇動して内ゲバを嗾(けしか)けた。敵対するセクトの幹部たちの住居を教えて、ナタやバールをもって襲撃して惨殺させています。殺し合いが始まると互いの憎しみが頂点にまで達して、さらに血で血を洗う抗争になりました。/ 私はどんな国でも同じでしょうが、国家権力、警察というものの恐ろしさを、腹の底から知りました。大きく騙されてこんな殺し合いに嵌っていった人間は、限りなく愚か者です。息子たちを殺された親たちの嘆きは、とても言葉にならない。/ それでも私が知り合った、どこの大学の過激派の活動家たちも、みんな人間が良くて優秀な人たちでした。一人ひとりは、その後厳しい人生になった。ほとんどの人は、過去を隠して生きているでしょう。/佐藤 怖いのは、誰も左翼の活動のことをよく知らないまま、再び左翼思想が注目される時代となり、人々が無自覚的に時代の波に飲み込まれてしまうことです。そうなると、かつての左翼たちが犯してきた、さまざまな誤りや悲劇が繰り返されることになります。》(108-109p)
副島氏は昭和28年生まれ、佐藤氏は昭和35年生まれ、私よりだいぶ若い。私が体験したのは「大学争」だったが、二人にとっては「大学争」だったようだ。しかしそれは「現実味のない愚かで空疎な戦い」であり、「大きく騙されての殺し合い」であり、「さまざまな誤りや悲劇」であり、「ほとんどの人は、過去を隠して生き」ざるを得なかった「闘争」だったと言う。「大学闘争」は、「自己否定」の必然の結果ともいえる「さまざまな誤りや悲劇」の形で「死に絶えた」。しかしその「大学闘争」は、「大学紛争」を生きる当時の若者の多くの「共感」に支えられてもいたはずだ。
当時の学生たちについて、まだ30代と思われる井上智洋氏は、好著『純粋機械化経済』(2019)で言う。私たちはなすベきことではなく、したいことをするようになる。仕事をしたいから仕事をする、勉強したいから勉強する、遊びたいから遊ぶ。1968年、当時の学生たちは、「~すべし」と命令する父権的な強迫観念から解き放たれたかったのではないだろうか。/68年革命は「何のリハーサルだったのか」という問いに対して、私はさしあたりハッカーたちが引き起こす情報革命のリハーサルだと答えた。さしあたりではなく最終的にはどうなのかというと、それは脱労働社会を到来させるAIとBIによる革命のリハーサルだ。》その気運は、「創造的破壊」ということで「ヒッピー」に象徴される「カリフォルニアン・イデオロギー」へと通じ、その中からマッキントッシュやウィンドウズやアイフォンが生まれ出たとポジティブに評価した。たしかに「世界レベル」ではそうだとして、では日本においてはどうだったのか。この世代、一体何を生んだのか。1990年以降の「失われた30年」、その責はまさにこの世代にあるような気がしてならないのだ。
人口ピラミッド.png後期高齢者に差し掛かったその世代、数ではこの歳になっても負けてはいない。今もって「団塊」をなす。しかし、50数年前のあの体験を、あの時代の感覚を、なんら世に活かすことなく「隠しておきたい過去」のまま、墓場に引きずってゆくのだろうか。あの時代の感覚がいささかなりとも息づいていれば、まさか「70歳代のワクチン接種率(2回目/2月7日現在)93.99%」の数字はなかったはずなのだ。慚愧である。→「目を覚ませ!全共闘世代https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2021-06-13-1
そういえば、西森マリー著『カバールの正体』にこうあった。《1960年代のヒッピー・ムーブメントは、キリスト教の倫理を破壊するためにタヴィストック研究所が仕掛けたもので、CIAが密輸した麻薬がアメリカ人のヒッピー化を助長した》学生から会社人間へ、そこのところでいとも簡単に「節度と規範」を捨てた全共闘世代。彼らに「一貫性」という言葉ほど似つかわしくない言葉はない。そもそもそうしてしまうことこそが、カバールがわれわれ世代に仕掛けた罠なのではなかったか。そしてたやすく流行に乗る人間をつくりあげることに成功した。そういう人間たちが、何の疑いもなくコロナワクチン接種に雪崩打つのは必然なのだ。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。