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粡町商店街チラシ問題(3) [議会]

マスコミが入っていたらとてもあんな風にはならなかったが、外から見たらぶったまげるやりとりだったと思う。しかし退席を促され、控室でひとり椅子に腰を下ろすとなぜかすがすがしかった。待ち時間は50分ぐらいあった。まだまだ長くてもいいぜいたくなひとときだった。なぜそんな思いになれたのか、いろいろ頭を過ることがあるのだが、一昨日(24日)の朝目覚めて思い起こしたのが昭和55年(1980)に当時南陽市に3つあった商工会青年部の「いかにして”南陽衆”たりうるか!?」と題したシンポジウムのことだった。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-03-11

当日の資料にはこうある。《新しい時代は,決してタテマエ論からは,はじまらない。虚ろな中味の市民憲章,゛地域エゴをなくそう”のお題目,そんな耳ざわりのいいきれいごとがもっともらしく通用しているとしたら,その地域はごくひとにぎりの人だけで動かされているから。わたしたちの南陽市を、南陽市民みんなのものに。きれいごとはいらない。ホンネで思いっきりいいあおう。まず混沌を生みだそう!きょうの集いで生まれた小さな渦が,南陽市全体をまきこむ大きな渦に育っていくことを願って。》いあかにして「南陽衆」足りうるか報告書.jpgさらに報告書には、《わたしたちは、ここ数年「ホンネで言い合おう」をモットーに活動をつづけてきました。「波風を立てないように」との配慮が、これまで私たちの気持をどれだけ縮こませてきたことか。時代は、私たちとは無縁に、ずっと遠くかけ離れたところでどんどん進んでいるように見えました。時代に乗り遅れてしまったわたしたちの南陽市、いまなんとかしなければ、そうした気持を、地域総合研究所の方々、行政当局の方々、そしてなによりも当日参加してくださった多くの方々の力でひとつの形にすることができたのが、この”講演と討論の集い”でした。/もうわたしたちは、「ホンネで言い合おう」とことさら声高に言う必要もなくなっているようです。いろんな場で、いろんな人が、それぞれの思いのたけを言い合い、そのことでかえってお互いの絆を深めてゆこうとする雰囲気が、南陽のあちこちに芽生えてきつつあるような気がします。》とあった。いつもお互いギャーギャー言い合っていた。今しがた言い合ってきたE議員は商工会青年部会の仲間だった。同じ空気を吸ってきた。

商工会青年部会のひと盛りが過ぎると、そのまま徳田虎雄直伝の「突き愛」へとつながっていった。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1  先日『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』がきっかけで、20年前に自由連合の勉強会で言い合った前之園紀男さんを懐かしく思い出したところだった。→https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2022-02-06 その時は知らなかったのだが、最後に会った時、赤軍派の幹部だったことを明かしてくれた。収監中で事件からは免れたと聞く。前之園さんとも何かにつけぶつかったが、われわれ世代の業(ごう)なのだろうか。連合赤軍の事件は他人事ではない。

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