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国際司法裁判所への刑事調査申立問題(In Deep) [コロナ危機]

先に「「コロナ愚策をやめた英国」の受け止め方」で《①終息宣言の背景とされた「国際司法裁判所(CLCJ)による有罪判決云々」という説の真偽。この件に関する続報がない。》と書きました。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-01-23 書いてから20日になりますが、大ニュースのはずなのに続報らしい続報がなかったのですが、 In Deepさんが、1月に報じられていたものなのですが、進展がよくわからなかった》と慎重な構えを見せながら、本格的に取り上げてくれました。最後は、春の終わりころまでに進展がなければ、何もなかった、ということになる》としつつも、《進展しているかどうかは実際の些細なニュースを見ているだけで少しわかります。》と締めています。

今回の記事の中で1930年代のドイツとの類似点》に着目したいと思います。

ドイツのホロコーストの生存者の中には、コロナ制限とホロコーストの始まりとの間に明確な類似点を描いている人たちがいる。》として《「私たち第二次世界大戦中に人類に対して犯された残虐行為の生存者たちは、私たちの良心に従う義務があると感じています。 ...私たちの目の前でさらに大きなホロコーストが起こっています。 人類に対するこの不敬虔な医学実験を直ちにやめるようにあなたがたに呼びかけます。 これは、ニュルンベルク綱領を適用しなければならない医学実験です」》そして《「ナチス体制の下で、道徳的規範は体系的に抹消されました。医療の専門家と制度は根本的に変化し、学術科学、軍事、産業、臨床医学は現在のように緊密に織り交ぜられました。ナチスのシステムは、公衆衛生の名の下に社会的良心を破壊しました。個人および人間の階級に対する違反は制度化されました」》さらに、《「ナチスのプロパガンダは、感染症の蔓延に対する恐怖を利用して、ユダヤ人を病気の蔓延者として、公衆衛生への脅威としてデモンストレーションしました。恐怖とプロパガンダは、ナチスが虐殺体制を課すために使用した心理的武器でした。しかし、それに対してドイツ人たちは立ち上がらなかった。人々が正しいことをするのを妨げたものは『恐れ』でした」》《「医学的義務は、ファシスト独裁と大量虐殺に向けた大きな後退です。政府の指示、医学的介入、これらは私たちの尊厳と自由を損なう....ホロコーストの厳しい教訓は、医師たちが政府と力を合わせ、個人に害を及ぼさないという個人的、専門的、臨床的コミットメントから逸脱するときに起きます。ナチスのホロコーストが他のすべての大量虐殺と一線を画すのは、医療機関全体が果たした極めて重要な役割においてです」》

関わった人たちはすべて「人道に対する罪」を定めたニュールンベルク綱領によって裁かれることになります。「知らなかった」「上からの命令に従っただけ」では済まされなかったのです。ウィキペディアには、《この裁判によって採用された原則は、1947年の国際連合総会で「ニュルンベルク諸原則」として採択された(決議95-1)。この原則で平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪が国際的な罪であると初めて明文化されたほか、国際犯罪においては国内法の範囲は無関係であるとし、単に命令を実行した者であったとしても、責任は免れ得ないことなどが定められた。また検察官は最終論告においてユダヤ人の虐殺を「ジェノサイド」と形容し、「ジェノサイド罪」を国際法上の犯罪として位置づけようとする動きの中で、この言葉は法的実効性を持つものと考えられるようになった。》とあります。

今のところ、ハーグ国際刑事裁判所に刑事訴訟の申立てがなされた段階で、今後どのような裁判の経過を経て、それがどのような形で国際的に波及してゆくのかはまだわかりません。しかし、ジョンソン英首相の唐突な態度転換や日本の厚労省の及び腰、そして国際的に急激な流れの変化の背景に、この訴訟問題があることは考えられます。今後を注視したいと思います。

In Deep記事全文転載しておきます。重い記事です。とりわけワクチン接種推進の方々に読んでおいていただきたい。

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行政当局も「流れ」を読んだ対応を! [コロナ危機]

『週刊ポスト』の最新号、表紙には週刊ポスト2213582_o.jpg「厚労省はなぜバカなのか」とありますが、記事では厚労省は本当はワクチン承認をしたくなかったはず」という元厚労省医系技官木村盛世医師ののコメントを載せ、また利権にまみれた医療関係の実態にもさりげなく触れています。https://www.news-postseven.com/archives/20220208_1724925.html?DETAIL 「週刊ポスト」は、先日とりあげた「女性セブン」と同じ小学館の発行です。→「子供のワクチン接種への危惧https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-01-29-1

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遅れたコロナワクチン3回目接種 厚労省医系技官のあり方に問題も

 すでに第6波の到来となった新型コロナウイルスの感染拡大。「いいかげん、備えられそうなものなのに……」と思うのは国民だけではない。専門家たちの多くも、厚生労働省の対応に呆れかえっているようだ。

 欧米と日本の感染対策当局の対応の差が際立ったのがワクチンの「ブースター接種」(追加接種)と呼ばれる3回目だ。

 世界では米英独仏が昨年9月にブースター接種を本格化させた。オミクロン株の感染が発見される前だったが、「接種から時間が経つほど抗体量が減って感染リスクが高まる」という考えからだ。英国は国民の65%が3回目接種を終えた。

 だが、日本は大きく遅れて昨年12月に医療関係者、今年1月に高齢者への追加接種をスタートさせたものの、厚労省の追加接種の承認は、ファイザーのワクチンが昨年11月11日、モデルナの承認は医療関係者への追加接種を開始した後の昨年12月16日にずれ込んだ。その結果、3回目接種を終えたのは今年1月末時点でわずか408万人(国民の3.2%)にすぎない。元医系技官の木村もりよ医師が語る。

「日本では海外のような何万人規模の大規模治験ができないので、厚労省は本当はワクチン承認をしたくなかったはず。ブースター接種の承認も同様です。しかし、政治判断で特例承認せねばならなくなった。副反応が出たとしても自分たちの責任にならないように審議会の承認手続きが遅れに遅れたのではないか

 そうした感染無策の医系技官とは何者なのか。医系技官は医師免許を持っているキャリア官僚。国家公務員の採用試験が免除され、多くはキャリア官僚でも一部しかなれない審議官クラスに出世できる。

 政府分科会の尾身茂・会長も医系技官OBで、現職で同省のコロナ対策の事実上のトップは医政局の大坪寛子・審議官(内科医)。元政府高官との“コネクティング・ルーム不倫”が報じられたあの女性官僚である。OBの木村氏は手厳しい。

「医療崩壊といわれるが、別の見方をすれば一部の医療機関や関連メーカーはコロナ対策費でバブル状態、利権のかたまりのようになっている。厚労省の医系技官はそうした“医療ムラ”に忖度しながら動いている。国民のことは考えていない」

※週刊ポスト2022年2月18・25日号

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さらに、田中宇氏の最新記事「コロナ独裁と米覇権を潰すトラック隊」にはこうあります。日本政府も表向きは追加接種を奨励しているが、裏で雑誌に副作用の記事を書かせたりして良い感じのブレーキをかけている。》少し前までマスコミ権威筋が「無謬のコロナ対策」と喧伝していたワクチン強制・都市閉鎖・マスク強制といったコロナ対策が、効果のない超愚策だったことが露呈していく流れが続いている。米テキサス州では、コロナワクチン強制の行為を薬害を誘発する大量殺人の人道犯罪であるとみなし、ワクチン強制策を進めた米当局者(ファウチやコリンズ)、製薬会社、CNNなどマスコミ、権威筋(ゲイツやソロス)などを被告にした住民訴訟が提訴されている。裁判所がこの裁判の原告(Jack E. Boteler)の主張を認めるか不明だが、私から見ると原告側の主張は正しいもので、これからいずれマスコミ権威筋も、ワクチンが無効化で危険な薬害品で、それを人々に強制したことが人道犯罪だったことを認めざるを得なくなっていく。その過程で、欧米で巨大なワクチン反対運動やコロ独反対運動が広がる。その流れの始まり一つがカナダのトラック隊だった。》全体としてコロナ独裁・コロナ覇権の崩壊が始まっている。この崩壊に気づかず、従前通りに権威にすり寄ってコロ独やワクチン強制を主張するリベラル系の人々は、逃げ遅れて人道犯罪者のレッテルを貼られていく。政治潮流に敏感な人はコロ独から距離をおき、逃げ出していく。

今日昼のNHK、フランス、イタリアでの「マスク義務化解除」のニュースを報じていました。確実に流れは変わってきているのです。行政当局にも、この流れを読んだ対応を望みます。

以下は、田中宇氏の最新記事の転載です。https://tanakanews.com/220209corona.htm

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「着目!池黒皇大神社」(芸文なんよう) [地元の歴史]

芸文なんよう23号 2022.2.jpg昨年秋、「『芸文なんよう』に何か書いて」と頼まれて、それではと、宮内まち歩き研修会などで当時いちばん頭にあった池黒皇大神社のことを書いたのが昨日出てきました。m_E5B1B1E5BDA2E6ADB4E58FB2E68EA2E8A8AA4.jpg

池黒皇大神社に関心が向いた出発点は、なんといっても清野春樹さんの『山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密』です。(→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-04それに龍口神社、熊野大社の「龍穴」性https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-18と、「飛騨の匠」による宥明長南社を絡めました。

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着目!池黒皇大神社          

はじめに
 北に丘陵(玄武)、南に沃野(朱雀)、西に街道(白虎)、東に清流吉野川(青龍)、宮内は四神相応の地である。街道とは矢ノ目街道を指す。矢ノ目街道は、京から江戸、日光、会津を経て大峠を越え、米沢からこの地に至る街道の北端であり、池黒皇大神社はその終着点に位置する。『山形県神社誌』に 《桓武天皇の延暦年中坂上田村麻呂東征の際、屯軍の地として城砦を築き、社を建立、祀り創められたので、古来坂上神明と称する。》とある。坂上田村麻呂が置賜に足を踏み入れた文書記録はないが、長井の総宮神社、久保の桜、米沢の成島八幡など、置賜に伝えは多い。池黒皇大神社が「坂之上神明」とも言われてきたのは、高台に位置する故のみではなく、実際田村麻呂駐屯の証か。この古社に注目してみたい。

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