SSブログ

新・mespesadoさん講義(125)「頑張らなくてもいい時代」 [mespesado理論]

DNAさんの「新しい時代」は必ずやってくると言い切れる根拠は何か?》という問いに対するmespesadoさんの見事な回答。「心のしがらみを捨てたとき」が、イコール「新しい時代の到来」》に至る議論、よくわかります物理的には全く意味のない制約によってシバキあっているのが現実の現代社会なのだ。そのバカバカしさに皆が気付いた瞬間に、この世の中は、ひとりでに「頑張らなくてもいい時代」に成るのだ。》

DNAさんの《年寄りはね、もう十分騙されてきた。もうこれ以上騙されたくないんだよの言葉に、30代前半、徳田虎雄という人のエネルギーをもろに受けていた頃、世の中の酸いも甘いも噛み分けた(と思われる)叔父に「所詮人間なんだからあんまり入れ込まない方がいいよ」と言われたのを思い出しました。あれから40年、昨日感慨深く「医療法人売上高、徳洲会断トツ」の記事をアップしたのでした。徳田さん、政治活動に関しては、それこそ「ムリ、ムダ、ムチャ」ばっかりで、見るべき成果を残せなかった。(「『神になりたかった男 徳田虎雄』政治の世界での空回りhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-12けれどもいちばん肝心の「医療」に関しては、見事に初心を貫き、なすべきことをなし遂げたといえるのではないか。「実力の100倍の目標設定」のなせる業(ワザ)と私は思う。

成功哲学51H3D510Z9L._SX317_BO1,204,203,200_.jpg〈人=神〉ではないけれども〈人∈神〉あるいは〈神∈人〉、人は「神性」をもつ。mespesadoさんは1/15にこう言った。《「俺にはできない。俺の脳にはできる。」》《「脳」ってのは、「ホンキ」で「できる」と信じたら、勝手に「脳自身」が努力して解決のために「勝手に」動くようになる。だから、「俺にはできない」と洗脳されていたとしても、「じゃあ、俺のかわりに俺の『脳』さんよ、あんたはすごい能力を持ってるらしいから、あんたが代わりにやってよ。必ずできるらしいからさ。じゃあ後はよろしくね」。これは強力だ!》新・mespesadoさん講義(117)エランヴィタール(生命の飛躍)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-01-15「実力の100倍の目標設定」の有効性に通じる。徳田さんは、『成功哲学』(ナポレオン・ヒル)の信奉者だった。その副題は「思考は現実化する」。

*   *   *   *   *

247 名前:DNA 2022/02/11 (Fri) 21:10:52
貴香くん。
君が>>244で書いてる事も意味不明だ。
君はこれまで何やら人類の夜明けみたいな事を散々書いておいて、

「皆んな違ってますが、
新しい時代を迎える前に全ての人がムになっていくそうです。
低い所からのムなら、少ししか落ちようが無いのでそれ程では無いですが、
例えば高い所から落ちるのはショックが大きいとか痛いとか、、、
だとしたら、前もって手放すのは、後が楽かも知れませんね。
まぁどうなって行くかは、先が見えない私にはよく分かりません。
でも新しい時代へと向かっています。

o先生とやらの受け売りの知識に過ぎないのに、
なぜ貴香くんはそんなに絶大に信用して、ここ放知技の閲覧者である皆さんに、
堂々と言えてしまうのか?
先々どーなって行くのか分からないが、「新しい時代」は必ずやってくると言い切れる根拠は何か?

そこの説明が不十分であり、説明不足が、俺たち年寄りには理解出来ないのだよ。
年寄りはね、もう十分騙されてきた。
もうこれ以上騙されたくないんだよ?
もうこれ以上騙されたくないから、
自分の経験値にプラスアルファで、本やネットや色んなものを組み合わせて、
擬似科学とか、擬似医療と戦ってる真っ最中なので、
貴香くんが書いてるような内容は、あまり真実性が乏しいと見抜いているので、
あまり生きる上での参考にはならないが、
年寄りでも貴香くんみたいな人達に騙されてしまうケースも多いのが年寄りの特徴なので、

俺は君を信用しないのは、そのような自己防御であり、
ここ放知技を見てらっしゃる心ある人達への、ある程度の防御でもある。

248 名前:mespesado 2022/02/12 (Sat) 00:18:15
>>247

> 先々どーなって行くのか分からないが、「新しい時代」は必ずやってく
> ると言い切れる根拠は何か?

 昭和の頃までは、技術不足で、物理的に供給不足の時代だった。
 それが、その後のナノ・テクノロジーなどの技術進歩により、物理的な供給不足は解消し、それどころか人類全体の総量で見た場合には供給過多の世の中になった。それなのに、現実には未だに世の中には貧富の差がある。というか、それどころか、その格差はますます拡大している。
 過去の供給不足の時代なら、全体のパイが不足しているんだから、貧困を皆無にすることは物理的に不可能だった。そこで、共産主義のように、すべての人の「持ち分」を強制的に同じにするか、あるいは、才覚を自由に発揮してもらって、才覚のある人は豊かになるが、そうでない多数の貧しい人を残すという資本主義を追求するしか、我々に選択の余地はなかった。前者を採用すれば、皆が物質的に平等だが、全体の供給量が不足しているのだから、これは皆が一斉に貧しくなるという夢も希望も無い世の中になることを意味する。また、後者なら、豊かな人間は存在するが、全体では不足しているのだから、大多数は貧しさに甘んじなければならず、これを「成功者」達は、「自己責任」の名の下に、貧富の差を正当化していただけであり、世の中は世知辛いままである。そんな時代なら、「皆が物質的に幸せな社会が来る」などと言っても絵空事であろう。
 ところが、現代は、人類全体としては供給過多が実現した時代である。にもかかわらず相変わらず貧しくて不幸な人がいるとすれば、それは人間の心が過去のような支配欲や優劣の感情に毒されているせいで、無意識的に「わざと」豊かさが全員に行き渡らないようにして「万民の幸福」が実現しないようにしてしまっている、ということに他ならない。
 つまり、供給過多の時代が到来した時点で、物理的には皆が幸せになれる環境はできあがっているのだ。あとは、人間の「心」が「過去のしがらみを捨て」さえすれば、皆で幸せを分かち合うことが物理的に可能になったのだ。
 「新しい時代が来る」とは、既に物理的には可能になった現代において、あとはその「心のしがらみを捨てる」ことができたとき、現実にもそれが可能になるわけで、その「心のしがらみを捨てたとき」が、イコール「新しい時代の到来」ということに他ならない。

249 名前:mespesado 2022/02/12 (Sat) 00:47:49
 別スレでの質問↓について。
https://grnba.bbs.fc2.com/reply/17339954/255/

> 頑張らなくてもいい時代が来ていると、
> 貴香くんやメスペくんが書いているが、
> アホか?

 それじゃあ聞くが、今現在、不遇な人は、「頑張ったら良くなる」のか?そもそも論として、マクロ的な考え方を考慮した上で、「頑張る」必要があるのはどのような状況の場合なのか考えたことがあるか?
 モノやサービスの生産が人力に依存している技術不足の時代においては、供給量が全体として不足しているために、「頑張る」あるいは同じことだが「額に汗を流して働く」ことによって生産性を上げて生産量を増やすことで、物理的に供給不足を改善することができた。←これこそが、「頑張る」ということの本来の意義だったはずである。ところが、世の中は、技術革新のおかげで、モノの生産が人力に依存しなくても済むようになり、人間は肉体労働から解放された。ところが、これは、一見すると、肉体労働が頭脳労働に変わっただけであり、人々は相変わらず頭脳労働で「頑張」り続けなければならないように思うかもしれない。特に学歴社会では、頭脳労働を肉体労働より「優れたもの」と見做す人が増えて、肉体労働に頑張っていることすら「見下す」ようになってしまった。
 しかし、考えてみて欲しい。生産が人力に依存していた時代は、肉体労働の量がそのまま生産量に比例していたから、すべての労働者が「頑張る」ことは、生産の増加を意味するから、物理的にも意味があった。ところが労働が肉体労働から頭脳労働にシフトしたとき、モノの生産量は「頭脳労働」の量に比例するか?するわけがない。なぜなら頭脳労働の成果とは、すなわちソフトウェアだから、一人の人間が画期的な「発明」をすれば、それを全世界で「利用」すれば、一挙に生産量は拡大する。つまり頭脳労働の時代になってからは、「労働量」と「生産量」が比例しなくなったのだ。つまり、頭脳労働の時代においては、皆が「頑張る」ことは、物理的には全く意味が無いのだ。一部の発想力に長けた人「だけ」が「頑張れ」ば、物理的には十分な時代になったのである。それでも皆が頑張らなければならない、などと主張するのは、人間の「ずるい」という感情をなだめるために、物理的には何の意味も無いのに、単なる不公平感を持たせないだけの為に、皆に平等に、「頑張ること」を強制しているだけのことに過ぎない。
 以上のように、「頑張らなくてもいい時代」は、既に到来しているのだ。ただし、「一部の人間だけが頭脳労働で頑張らなければならないなんて、ズルい。意味が無くてもみんなで頑張るようにしておかないと不公平だ」などと、物理的には全く意味のない制約によってシバキあっているのが現実の現代社会なのだ。そのバカバカしさに皆が気付いた瞬間に、この世の中は、ひとりでに「頑張らなくてもいい時代」に成るのだ。

250 名前:mespesado 2022/02/12 (Sat) 01:04:55
>>249
 ちょっと補足を。
 「頑張る」という言い方は、その根底に「シンドい中で苦労する」というニュアンスを帯びている。
 しかし、一部の発想力に長けた人が頭脳労働で「頑張る」という場合、本当に生産に寄与するような「頑張り」ならば、それは「辛く」無いはずだ。むしろ逆に、人に命令されなくたって、好きで勝手に「頑張る」であろう。なぜなら、人間は、自分がやっていることが意義があることを実感すると、むしろ快感を感じて能動的になるからだ。
 肉体労働がシンドいのは、実際に体のエネルギーを消費するから当然と言えば当然だが、頭脳労働でシンドいのは、そういう場合ではなくて、むしろ「自分で頭脳労働しているのが苦痛になる場合」だろう。それは、自分がやりたくもないこと、というか、何のためにやっているのか意義が見いだせないことをやらされている感が強いときがそうである。会社の中で仕事のための仕事に振り回される、何も決まらない会議のために延々大量の資料を作るだけの仕事、…。こういうブルシット・ジョブに「頑張る」のは辛いことでしかない。でもそれを無くすことは今の社会では出来ないと思われている。なぜなら、そういう仕事をすべて失くしてしまったら、ほとんどの頭脳労働者は要らなくなり、ほとんどの人が失業してしまうからだ。これこそ、必要性の観点から見たらバカバカしい限りであり、「収入は労働の対価として得なければならない」という、過去の肉体労働の時代には合理的であったけれども頭脳労働の現代には不合理な労働倫理に皆が縛られているだけのことに他ならない。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。