「ほんとうのことなら、なんでもあり」の参政党(付 新・mespesadoさん講義(159)) [緊急事態条項]
参政党とやすえちゃん、やすえちゃんの分は宮内地区のみですが、二刀流のポスター貼り、昨日の分、目標達成しました。左写真は南陽市完了、右写真は川西町昨日分完了の記念写真です。同僚議員に「参政党はポスター貼るん?」と聞かれましたが、全県隈なく動いています。
さて、昨日の記事にもkonaさんからコメント(下記転載)いただきました。《めいさんは人徳があり自然かつ立派な人生哲学のある方との感想を持ちました。》と言われて、「還元主義」を思いました。人の働きをいちいち「金のため」と言い、政治家の行動についていちいち「票のため」と言う。それと同じように、「なにがほんとうか」を求めているだけなのに、「立派な人生哲学」とかの評価感覚を持ち出して、「ほんとうのこと」から目をそらしてしまう。私がいちばん「違和」とする感覚です。「ほんとうのこと」を求めるということは、自分を叩き壊す「覚悟」を持ちながら突き進むことです。
《①新たな枠組み(文明史的大転換)に基づいた帰結(利益)と②既存知に基づく論考への批判(不利益)》については、池田信夫氏に対する「異和」に通じます。→『限界費用ゼロ社会』アマゾンレビューhttps://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2I5OFFSC8AE56/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4140816872
《個を原理とする時代から共感を原理とする時代》というのは、「どっちがいいか選んだ結果」ではありません。→「「損得の視点」を超えるもの」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-06-03
mespesadoさんによる「ポリコレ」「サヨク脳」批判(下記転載)もぜひ読んでみてください。
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mespesadoさん曰く、《
私なりの歴史があって、参政党に出会いました [参政党]
konaさんから、昨日の記事についてのコメントいただきました。それへの返信です。
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私なりの歴史があります。そうして今の自分です。そして参政党に出会いました。今の自分の考えを理解していただくために、かつて書いたいくつかを掘り起こしてみました。(「光の子ども」は幼稚園(今は認定こども園)の卒園文集です。保護者向けなので読みやすいと思います。2年前、15年分を小冊子にまとめました。ご希望あればお送りします。→oshosina@omn.ne.jp)
「生きる」上で大切なのは、「どう思うか」ではなくて、「どう願うか」だと思っています。
・「「実存感覚」(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-02-12
・「30年後の置賜(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-02-17
・「「置賜獅子の会」復活へ!」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1
・「「実存感覚」(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-02-12
・「30年後の置賜(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-02-17
・「「置賜獅子の会」復活へ!」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1
「オカネ」については
・「時代の変わり目の中で(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-03-25
・「mespesadoさんによる経済談義(107)通貨発行をめぐる「タブー」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-07-14
・「mespesadoさんによる1億人のための経済談義(64)「新しい金融理論」(2) 」 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-04-29
・「mespesadoさんによる1億人のための経済談義(35)オカネはモノじゃない。単なる数字」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-11
・「安西正鷹『お金の秘密』を読む(まとめ) お金と時間の問題から現代われわれの実存的課題に迫る良書」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-03-23
・「置賜地域の合併ビジョン私案 補説 地域通貨とベーシックインカム」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-02-29
・「時代の変わり目の中で(「光の子ども」原稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-03-25
・「mespesadoさんによる経済談義(107)通貨発行をめぐる「タブー」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-07-14
・「mespesadoさんによる1億人のための経済談義(64)「新しい金融理論」(2) 」 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-04-29
・「mespesadoさんによる1億人のための経済談義(35)オカネはモノじゃない。単なる数字」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-11
・「安西正鷹『お金の秘密』を読む(まとめ) お金と時間の問題から現代われわれの実存的課題に迫る良書」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-03-23
・「置賜地域の合併ビジョン私案 補説 地域通貨とベーシックインカム」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-02-29
「共感」については
・「明るい未来へ(『光の子ども』寄稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-03-07
・「平成27年度『光の子ども』「共感」の輪」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-03-10
・「「お祈り」の習慣」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-03-09
・「明るい未来へ(『光の子ども』寄稿)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-03-07
・「平成27年度『光の子ども』「共感」の輪」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-03-10
・「「お祈り」の習慣」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-03-09
以下、konaさんからのコメントです。
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前記事へのコメント二氏へ [参政党]
昨日の記事を副島重掲板に転載したところ、二人の方からコメントをいただきました。私なりに受け止めて考えてみます。
⑴「文明史的大転換」とはどういうことか
神人(かみひと)さんは、「未来の地球では無くなってしまっているもの」として《貨幣制度・貧富・飢餓・戦争・犯罪・支配・所有・競争・商売・自殺・病気・殺生・環境破壊・国境束縛・宗教・結婚制度・差別・虚偽・動物虐待・有害物質・ゴミ・兵器・原発・石油化学製品・電磁波・水産業・畜産業・林業・銀行・ガソリン・農業・いじめ・多出産・義務教育・・・》をあげておられます。私はかなりの程度、納得です。その方向は、現状の流れとは全く違うけれども、時代はその方向に舵を切りつつあるように思えます。まさに「大転換」です。
どこに端的に表れているかといえば、「オカネ」観が変わりつつあると思います。「持ってナンボ」の経済から「使ってナンボ」の経済へ。ロシアvsウクライナの背景は、金融経済から実物経済への転換と私には思えています。「オカネ」は手段でしかなかったことにみんな気づき始めています。
マドモアゼル愛さんが占星術の立場から言っておられます。《2000年の長きにわたる壮大な嘘のうお座時代は終わろうとしています。/宗教も嘘、、、学問も嘘、、、、常識も嘘、、、形ある物は嘘で、、、、無に力の源泉が、、すべてが逆転する時代の中で、個を存在足らしめる鍵が、自分は体ではなく意識である、、、ということ。/その意識でないと見えないものが、だんだんと自分が意識であるとなれば見えてくる、、、それが新しい時代を開くカギになるのだと思います。》《水瓶座の時代はクリスタルのように透明な時代で、真実でしか生きられません。/一人一人が自立して、自分の人生を自分で選び、本当の自分を生き、その責任を自分でとることができる時代です。」》(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-26)
⑵「共有型経済」の意味
これからの時代、オレが、オレがの自我意識がどんどんうすれてゆくと思います。自我意識にとっての満足感は「優越意識」です。諸悪の根源です(このことについて、川喜田二郎氏の大好きな文章がありますので、末尾に転載しておきます)。そこから解放された時の満足感は「共感」です。リフキンは『限界費用ゼロ社会』の最終章「生物圏のライフスタイル」のテーマは、「共感するヒト(ホモ・エンパテクスHomo empathecus)」です。《人類史における経済の大パラダイムシフトは・・・人類の意識をも転換し、共感の動因を時間的・空間的により広い領域へと拡大して、いちだんと大きな比喩的家族や相互依存を深めた社会という形で人々を団結させるはずだ。》(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-02-20)
⑶アナーキズムについて
めいこさんはあの動画の最後のところで「若者が政治に興味を持った時点でケッコーオワッテル」と言い、その前に「基本的に人間というのは信用しないんです」と言っています。参政党とは感覚的に真逆です。はじめっから関わりたくない人です。そもそも近代のアナーキズムとは、自我拡大の行き着いたところなのかもしれません。「自我至上の近代」ではない時代の老荘思想とは根っこで違うように思えます。
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的外れの参政党批判:めいこさん [参政党]
放知技板(359)で知って、やたら早口のめいこさんという若い女性のyoutubeを見た。不快感をこらえながら1時間近く、なんとか最後まで見た。→「参政党を支持しないワケを解説するから、もう質問しないで下さい」
https://www.youtube.com/watch?v=9ggEPOixfks
https://www.youtube.com/watch?v=9ggEPOixfks
なぜこんなに不快なのかを思って、池田信夫氏を思い出した。6年前、ジェレミー・リフキン著『限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭 』(NHK出版 2015/10/27)を読んでアマゾンにレビュー(★5)したが、その評価の対極に池田氏がいた。
《池田信夫氏が「良書悪書」という書評サイトでこの本をとりあげ最低の評価を下している。いわく《限界費用がゼロに近づく第3次産業革命は、投資収益を上げる資本主義と矛盾する。それをどう解決するのかというのは文明的な問題だが、著者はそれに気づいてもいない。》池田氏のそもそもの関心は、《IoTも昔の「ユビキタス」と同じで、大事なのはバズワードではなく、具体的にどういうビジネスに使って利益を出すのかだ。》と言うごとく「利益」である。池田氏の立ち位置は「資本主義」パラダイムの中にあり、リフキン氏の提起しているはずの「文明的問題」は、池田氏の狭い視界には入らない。リフキン氏は言う、《社会的起業家の成功の度合いは、投資収益率よりもむしろ、彼らが貢献するコミュニティにおける福祉の改善によって測られる。社会的関係資本はきわめて重要な資産であり、同時に社会的企業とコミュニティの協働的な協力関係によって築かれた連帯と信頼の絆の反映でもある。この点において、例外はあるにせよ、非営利の社会起業家は一般に、利益追求型の社会的起業家よりも優位に立つ。というのも、前者の第一義的な動機は「良い業績を残す」ことよりも「善いことをなす」点にあるからだ。》(416p)「限界費用ゼロ社会」とは「善いことをなす」ことを第一義として成り立つ社会であるとしたら、まさに文明史的大転換ではないか。(以下略)》(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-20)
要するにめいこさんは、池田氏同様「文明史的大転換」に思い至ることができなくて、既成知の枠内で、才走った自分を自慢気にひけらかしているようにしか見えない。見るほどに不快さが募ってきた。
実は松田学氏は『日本をこう変える』で、井上智洋氏との対談から「限界費用ゼロ社会」に言及している。井上氏については3年前に『純粋機械化経済』を読んでアマゾンにレビュー(★5)した。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-09-26)松田氏、リフキン氏、井上氏と通じる気線を感じてうれしい。
一方のめいこ氏、ドイツ帰りの帰国子女らしいが、「基本的に人間というのは信用しないんです」「若者が政治に興味を持った時点でケッコーオワッテル」とか宣っていて驚いた。そう思っていたら今朝、藤原直哉氏のツイッターからのリンクで、タス通信の下記転載記事を読んだ。今起きている欧米とロシアの方向性の違いがわかる。《「ヨーロッパでもアメリカでも、新しい教会が建てられることはなく、人々はもう教会を必要としていないのです。今で言う「再利用」で閉鎖され、寺院の代わりにダンスフロアなどの娯楽施設があることもあるそうです。そして、私たちは、私たちを理解することができない世界の恐怖の中で、神の神殿を建設するのです。私たちは21世紀のロシアです。神の奇跡ではないでしょうか。」》
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昨日の記事で、「神人さん講演会」に集う人の多くが参政党を支持していることに驚いたことを書いた。その人たちは、ワクチン接種の危険性を知り、ウクライナ侵攻のロシアの正当(必然)性について理解している人たちだ。「神人さん講演会」そのものがいわゆるスピリチュアルな講演会なわけで、それはそのまま、タス通信の記事に通ずる。時代は確実にその方向に動いている。参政党はその顕在化の象徴だ。参政党はその流れの中心に在って広がり続ける。めいこ氏的存在は、はじき出されざるをえない。
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参政党人気(神人さん講演会) [参政党]
昨日、「神人(かみひと)」さんの5時間講演会に行ってきました。5時間以上コミセンの硬い椅子に座りづめなのに長くは感じなかった。神人さんについては→「3年後の2025年に神世になる(神人靈媒日記 2021.11.27)」https://www.youtube.com/watch?v=ENYXa4-qX98等々動画がいろいろあるようです。
昨年、忙しい時でここに書きそびれてしまったのですが、ワークショップ(今年は本日開催)に参加してきたことがありました。その時参加者一人一人に対して、シャーマン(霊媒)である神人さんからお告げのコメントをいただいたのですが、私がいただいたのも的を得ていました。今振り返ると、確かにこの一年そのコメントの方向で動いてきたように思えます。
昨日は最後の1時間あまり、参加者が提出した質問への回答の時間がありました。参加者100名ぐらいの中、20件ぐらいの質問が寄せられ、それに対してひとつひとつ丁寧に答えられます。驚いたのがそのうち4件が「参政党」についての言及があったことです。以下、そのうちの一件、文字に起こしてみました。
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「覚醒せよ」(mespesadoさん推薦) [参政党]
775:mespesado :2022/06/18 (Sat) 08:40:57
覚醒せよ
https://note.com/saturn_walker/n/n95a73f2a1793
↑善いこと書いてある。書いてある内容のバランスがとても良い。
Y's PhD と名乗る人の note なのだが、これを読んで、学歴別にワ○チ○に疑いを持つ人の割合を示すグラフで、中途半端に学歴が高い人(修士卒)が一番低く、それより学歴が低い人の方が思考より直観を大切にするせいか高くなっているだけでなく、逆に PhD 持ちのような超高学歴になると、人の意見を鵜呑みにせず自分の頭で考えられるようになるせいか、ワ○チ○に疑いを持つ人の割合が高くなる、という調査結果を思い出してしまった。
覚醒せよ
https://note.com/saturn_walker/n/n95a73f2a1793
↑善いこと書いてある。書いてある内容のバランスがとても良い。
Y's PhD と名乗る人の note なのだが、これを読んで、学歴別にワ○チ○に疑いを持つ人の割合を示すグラフで、中途半端に学歴が高い人(修士卒)が一番低く、それより学歴が低い人の方が思考より直観を大切にするせいか高くなっているだけでなく、逆に PhD 持ちのような超高学歴になると、人の意見を鵜呑みにせず自分の頭で考えられるようになるせいか、ワ○チ○に疑いを持つ人の割合が高くなる、という調査結果を思い出してしまった。
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《日本はまだ死んでいない。
諦めたらそこで試合終了です。
今こそ覚醒し,本当の意味で「日本を取り戻す」時です。
あの政治家なら日本を良くしてくれるなどと,他人任せでは変わりません。
日本を取り戻すのは政治家ではなく,あなた自身です。》この結びの言葉に「参政党」を思いました。
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新・mespesadoさん講義(158)盛りだくさん [mespesado理論]
mespesadoさんの貴香さんとのやりとり、まとめ読みしたところです。盛りだくさんの内容ですが、特に3点、重要に思えました。
①《通貨の価値を決めるのに、品質の悪い商品の供給力に支えられた通貨と、生産物ではなく原材料となる天然資源の潤沢さに支えられた通貨ではどちらが強いかと言えば、当然に後者でしょう。だからこそ今、ルーブルがドルの地位を奪わんばかりの情勢になっている。それでもなお、これに対する円の立場は独特であり、品質(というか、高品質な商品を作れるポテンシャルを持った国民を抱えている)という点で、円はドルや人民元やルーブルが持ちえないアドバンテージを持っている》(765)このアドバンテージを必死で守らねばなりません。ゼニカネに左右されない、われわれ日本人に備わった感覚に徹することだと思えます。
②《オカネというツールは、本来「消費するのは楽だが生産するのはシンドい」という自然のサガに対して、「でもそのシンドい生産をすると儲かって貴方の好きな消費が沢山出来るようになるよ」と人間の本能的な欲望に火をつけるインセンティブを与えることによって生産量を維持するための人類史上画期的な手段だった。でも今日では、科学技術が極限まで進んで生産が楽になり、「シンドい体に鞭を打つ」必要がそもそも無くなった。だから、そのためのインセンティブである「オカネ」の役割も終えつつある》(767)mespesado理論に基づく「オカネ」終焉論。よくわかります。
③《ワ○チ○プランデミックにしても、闇勢力は、人間社会とは白人社会のことであり、白人社会の中ででマウントを取りたい。一方白人以外は人間とすら思っておらず、薬や兵器の単なる実験台くらいにしか思っていないように見える。そして日本人は確かにアジア人の一部ではあるのだが、ことさら特別視しておらず、雑魚扱いしかしていない、という気が薄々していました》(769)白人にとっての日本人、所詮そうなのだと思います。だからこそ、白人にはわからない活路が開ける、そう思えます。
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新・mespesadoさん講義(157)参政党の問題点④「本来民主主義」の実現へ [参政党]
たしかに松田学氏は、「相手の懐に入ることのできる人」という印象です。(結党インタビュー→https://duckduckgo.com/?q=%E5%8F%82%E6%94%BF%E5%85%9A%E7%B5%90%E5%85%9A%E7%89%B9%E5%88%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC&t=newext&atb=v285-1&iax=videos&ia=videos&iai=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DLa3iHUmUOFg)
《その「骨格・芯が万人に受け入れられるような考え方を提示できる人物」が、更に「真の骨格以外の部分は他人に妥協でき、しかも他人に対する共感能力も持っている」ような人物であれば、その「万人」や「他人」には一般庶民や一般の政治家だけでなく「実質権力者」も含まれるわけですから、その政策が政治的に実現できる可能性が格段に高くなるわけです。これこそが、(当初「民主主義」を本当は自分達による独裁主義を実現するための名目として導入した成金たちの思惑を超えて)真に有効な政治形態になる可能性を秘めている、と思います。》
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新・mespesadoさん講義(156)参政党の問題点③「極めて真っ当な常識人」 [mespesado理論]
《はぐらめいさんも実際にご本人に会った印象のとおり、確かに極めて真っ当な常識人で一本筋の通った国士であろうとは思いますが、どうも上に挙げたように不可解な謎が多すぎる。そこがスッキリしないと、これ以上松田さんや参政党について深入りできないな、というのが今の正直な気持ちです。》
mespesadoさんのこの気持ち、理解できます。松田氏はまさに「真っ当な常識人」なのだと思います。「真っ当な常識人」とは、「だれにでも合わせることのできる人」です。「だれにでも合わせることのできる人」とは、「その人の立場で理解できる人」です。
松田氏には大蔵省官僚としての体験と衆議院議員としての体験があります。「松田プラン」については財務官僚も「それならできる」と言ってくれる、と言われました。この松田氏の感覚が参政党を下支えしていると、その時思いました。れいわ新選組とは根っこにおいてちがうのです。
私は参政党をれいわと同じレベルの「現状打破」の政党と思って、私の周りの多くが関わりだしている参政党のタウンミーティングに参加しました。松田氏の話を聴き本を読んで、明確なプラン、ビジョンあっての政党なんだと考えを改めました。その言われることがいちいち私の感覚に合っていてこう書きました。《松田先生のその「柱」は感覚的にかなりぴったりだ。会場で求めた『日本をこう変える 世界を導く 課題解決型国家 の創り方』、読み始めたらリフキンの『限界費用ゼロ社会』が出てきてうれしかった。リフキンの「共有型経済」について《そこでは人々は、特定の価値に対する共感、共鳴で結びつくことになります。一人ひとりが大事だと思う多種多様な価値をみんなで支えあっていく社会です。》(8p)そのまま「魂の共同体」だ。→「『限界費用ゼロ社会』(4) ホモ・エンパテクス Homo empathecus」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-02-20》(「出るべくして出た政党か」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-08)
DSとどう繋がりどう違うのかは、とりあえずはどうでもいいことなのです。われわれ本来日本人の感覚に合っているからこその今の勢いと思えます。それをコントロールしようというDSの動きもあるのかもしれませんが、勝手にやってくれればいい、われわれはひたすらわれわれの感覚を掘り下げることと思っています。ほんとうにありがたいことに、その原点の体験をわれわれは持っています。昭和20年8月15日正午のあの一瞬です。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-17-5
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新・mespesadoさん講義(155)参政党の問題点②ブロックチェーンの是非 [mespesado理論]
mespesadoさんに早速ブロックチェーンについての意見をいただきました。《ブロックチェーンでは、・・・すべての参加者の取引データをすべての参加者が記録として持つことになります。すると、当然「政府」も「すべての国民」の「すべての取引データ」を保持することになります。》政府発行のデジタル通貨の枠内ではたしかにそういうことです。しかし、松田氏はこう言っています。《われわれは現在、お金を尺度としてしか理解していませんが、お金とは本来、情報機能であり、そうであれば、国だけが発行するのではなく、協働型コモンズの中でお互いが価値を認めれば、そこだけで使える新しい通貨が存在してもよい》(『これで日本は大丈夫』58p)。このことこそが肝腎な点です。
5月5日、山形市での松田学氏とのタウンミーティングに参加した。そうなるとは思っていなかったのだが、懇親会まで参加する流れになり松田氏と隣り合わせることができた。こう書いている。《松田氏とはいろいろ話すことができた。youtubeでの「聴き上手」のイメージ優先だったが、主張すべき柱あっての聴き上手であることがよくわかった。その一端を理解しただけだが、松田先生のその「柱」は感覚的にかなりぴったりだ。》(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-08)会場で求めて松田氏にサインしていただいた『日本をこう変える』を読みだして、松田氏の”ただものでなさ”に驚いた。私にとって手元に置くべき教科書的価値を持つ本と認識した。そこから引く。《ユーザーの論理で社会の仕組みを動かすことができるようにする技術がブロックチェーンです。・・・ユーザー目線で国民生活に関するあらゆる仕組みを、縦割りの制度に対して地域社会で横串を通しながら組み替えていくうえで、このブロックチェーンがその技術的な基盤を提供することになるはずです。/ブロックチェーンで社会がユーザー側の論理の仕組みに変わると、そこには従来にない利便性や付加価値が生まれます。私が提唱している「松田プラン」のポイントは、これをバックにして人々が使おうと思うようになる新しいマネーをつくろうということです。》(『日本をこう変える』204p)
そういえばかつて、「置賜市」を構想しつつ地域通貨の可能性について考えたことがあった。→「置賜地域の合併ビジョン私案 補説 地域通貨とベーシックインカム」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-02-29 その根底にあった思いは、「DS」 支配からどうやって脱け出すかだった。(当時は「Deep State」の言葉はなくて、私の中では「ユダヤ」あるいは「イルミナティ」だった。太田龍氏が健在だった。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2007-08-12/https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-07-14)当然地域通貨もブロックチェーンの射程内だ。DS支配の及ばぬところに参政党の立ち位置は在る、そう思える。
(亀さん紹介のリンク先、重要情報盛り沢山です。)
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