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的外れの参政党批判:めいこさん [参政党]

放知技板(359)で知って、やたら早口のめいこさんという若い女性のyoutubeを見た。不快感をこらえながら1時間近く、なんとか最後まで見た。→「参政党を支持しないワケを解説するから、もう質問しないで下さい」
https://www.youtube.com/watch?v=9ggEPOixfks

なぜこんなに不快なのかを思って、池田信夫氏を思い出した。6年前、ジェレミー・リフキン著『限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭 』(NHK出版 2015/10/27)を読んでアマゾンにレビュー(★5)したが、その評価の対極に池田氏がいた。

池田信夫氏が「良書悪書」という書評サイトでこの本をとりあげ最低の評価を下している。いわく《限界費用がゼロに近づく第3次産業革命は、投資収益を上げる資本主義と矛盾する。それをどう解決するのかというのは文明的な問題だが、著者はそれに気づいてもいない。》池田氏のそもそもの関心は、《IoTも昔の「ユビキタス」と同じで、大事なのはバズワードではなく、具体的にどういうビジネスに使って利益を出すのかだ。》と言うごとく「利益」である。池田氏の立ち位置は「資本主義」パラダイムの中にあり、リフキン氏の提起しているはずの「文明的問題」は、池田氏の狭い視界には入らない。リフキン氏は言う、《社会的起業家の成功の度合いは、投資収益率よりもむしろ、彼らが貢献するコミュニティにおける福祉の改善によって測られる。社会的関係資本はきわめて重要な資産であり、同時に社会的企業とコミュニティの協働的な協力関係によって築かれた連帯と信頼の絆の反映でもある。この点において、例外はあるにせよ、非営利の社会起業家は一般に、利益追求型の社会的起業家よりも優位に立つ。というのも、前者の第一義的な動機は「良い業績を残す」ことよりも「善いことをなす」点にあるからだ。》(416p)「限界費用ゼロ社会」とは「善いことをなす」ことを第一義として成り立つ社会であるとしたら、まさに文明史的大転換ではないか。(以下略)》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-20

要するにめいこさんは、池田氏同様「文明史的大転換」に思い至ることができなくて、既成知の枠内で、才走った自分を自慢気にひけらかしているようにしか見えない。見るほどに不快さが募ってきた。

実は松田学氏は『日本をこう変える』で、井上智洋氏との対談から「限界費用ゼロ社会」に言及している。井上氏については3年前に『純粋機械化経済』を読んでアマゾンにレビュー(★5)した。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-09-26)松田氏、リフキン氏、井上氏と通じる気線を感じてうれしい。

一方のめいこ氏、ドイツ帰りの帰国子女らしいが、「基本的に人間というのは信用しないんです」「若者が政治に興味を持った時点でケッコーオワッテル」とか宣っていて驚いた。そう思っていたら今朝、藤原直哉氏のツイッターからのリンクで、タス通信の下記転載記事を読んだ。今起きている欧米とロシアの方向性の違いがわかる。《「ヨーロッパでもアメリカでも、新しい教会が建てられることはなく、人々はもう教会を必要としていないのです。今で言う「再利用」で閉鎖され、寺院の代わりにダンスフロアなどの娯楽施設があることもあるそうです。そして、私たちは、私たちを理解することができない世界の恐怖の中で、神の神殿を建設するのです。私たちは21世紀のロシアです。神の奇跡ではないでしょうか。」》
昨日の記事で、「神人さん講演会」に集う人の多くが参政党を支持していることに驚いたことを書いた。その人たちは、ワクチン接種の危険性を知り、ウクライナ侵攻のロシアの正当(必然)性について理解している人たちだ。「神人さん講演会」そのものがいわゆるスピリチュアルな講演会なわけで、それはそのまま、タス通信の記事に通ずる。時代は確実にその方向に動いている。参政党はその顕在化の象徴だ。参政党はその流れの中心に在って広がり続ける。めいこ氏的存在は、はじき出されざるをえない。
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