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新・mespesadoさん講義(157)参政党の問題点④「本来民主主義」の実現へ [参政党]


《その「骨格・芯が万人に受け入れられるような考え方を提示できる人物」が、更に「真の骨格以外の部分は他人に妥協でき、しかも他人に対する共感能力も持っている」ような人物であれば、その「万人」や「他人」には一般庶民や一般の政治家だけでなく「実質権力者」も含まれるわけですから、その政策が政治的に実現できる可能性が格段に高くなるわけです。これこそが、(当初「民主主義」を本当は自分達による独裁主義を実現するための名目として導入した成金たちの思惑を超えて)真に有効な政治形態になる可能性を秘めている、と思います。》

私は、松田学氏はじめ、武田邦彦氏、小名木善行氏、井上正康氏等が支える参政党に、その可能性を見ています。

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新・mespesadoさん講義(156)参政党の問題点③「極めて真っ当な常識人」 [mespesado理論]

《はぐらめいさんも実際にご本人に会った印象のとおり、確かに極めて真っ当な常識人で一本筋の通った国士であろうとは思いますが、どうも上に挙げたように不可解な謎が多すぎる。そこがスッキリしないと、これ以上松田さんや参政党について深入りできないな、というのが今の正直な気持ちです。》

mespesadoさんのこの気持ち、理解できます。松田氏はまさに「真っ当な常識人」なのだと思います。「真っ当な常識人」とは、「だれにでも合わせることのできる人」です。「だれにでも合わせることのできる人」とは、「その人の立場で理解できる人」です。

松田氏には大蔵省官僚としての体験と衆議院議員としての体験があります。「松田プラン」については財務官僚も「それならできる」と言ってくれる、と言われました。この松田氏の感覚が参政党を下支えしていると、その時思いました。れいわ新選組とは根っこにおいてちがうのです。

私は参政党をれいわと同じレベルの「現状打破」の政党と思って、私の周りの多くが関わりだしている参政党のタウンミーティングに参加しました。松田氏の話を聴き本を読んで、明確なプラン、ビジョンあっての政党なんだと考えを改めました。その言われることがいちいち私の感覚に合っていてこう書きました。松田先生のその「柱」は感覚的にかなりぴったりだ。会場で求めた『日本をこう変える 世界を導く 課題解決型国家 の創り方、読み始めたらリフキンの『限界費用ゼロ社会』が出てきてうれしかった。リフキンの「共有型経済」について《そこでは人々は、特定の価値に対する共感、共鳴で結びつくことになります。一人ひとりが大事だと思う多種多様な価値をみんなで支えあっていく社会です。》(8p)そのまま「魂の共同体」だ。→「『限界費用ゼロ社会』(4) ホモ・エンパテクス Homo empathecus」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-02-20》(出るべくして出た政党か」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-08

DSとどう繋がりどう違うのかは、とりあえずはどうでもいいことなのです。われわれ本来日本人の感覚に合っているからこその今の勢いと思えます。それをコントロールしようというDSの動きもあるのかもしれませんが、勝手にやってくれればいい、われわれはひたすらわれわれの感覚を掘り下げることと思っています。ほんとうにありがたいことに、その原点の体験をわれわれは持っています。昭和20年8月15日正午のあの一瞬です。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-17-5

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