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『神やぶれたまはず』再々読(7) [本]

平成26(2014)年、『神やぶれたまはず』を読み終えてこう書いていた。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10#more

 

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昭和208月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282

 

国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。

 

しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。

 

いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。

 

昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。


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『神やぶれたまはず』を三度目読み終えての今の思いは、大すじ同じだ。ただ、「かつて辿った道を遡る道に過ぎない。」という言葉については、その意味するところは輻輳している。

あの敗北は、「最終戦争」を戦い得ての敗北だった。そうであってはじめての「その一瞬」であった。仮に今のまま西側陣営の一員として戦争に突っ込んでいくとして、その戦争は「使い走り戦争」以外の何ものでもない。「通常の歴史が人間の意識に実現された結果に重点を置くとすれば、実現されなかつた内面を、実現された結果とおなじ比重において描くといふ方法」が「精神史」の方法》と桶谷秀昭氏が言ったというが、語るに値する「内面」の持ち合わせなど皆無であり、それゆえ「精神史」など思うもおこがましい。跋扈するのは、利害打算のあさましさだけだ。

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『神やぶれたまはず』再々読(6)「イエスの死にあたる意味」 [本]

戦争末期の「”国体”護持の思想」について考える。そもそも”国体”観念は、西洋諸国侵略の危機に瀕した幕末に本格的に登場した。藤田東湖は言う、「蓋し蒼生安寧、是を以て宝祚窮りなく、宝祚窮りなし是を以て国体尊厳なり。国体尊厳なり是を以て蛮夷・戎狄率服す。四者循環して一の如く各々相須(ま)つて美を済(な)す。」すなわち、《天皇が民を「おほみたから」として、その安寧をなによりも大切になさることが皇統の無窮の所以であり、だからこそ国体は尊厳である。そしてさういふ立派な国柄であればこそ、周辺諸国も自づからわが国につき従ふ。これらはすべて一つながりの循環をなしてわが国の美を実現してゐるのだ、といふことである。》「国体」とは、上からの愛民、下からの忠義といふ上下相互に交流するダイナミックなものであるがゆえに、「君民対立」が大前提の他国の政治思想とは根本において異なる。《かくして、大東亜戦争の末期、わが国の天皇は国民を救うふために命を投げ出す覚悟をかため、国民は戦ひ抜く覚悟を固めていた。》(p.242)すなはち、天皇は一刻も早い降伏を望まれる一方、国民にとっては、降伏はありえない選択であったのである。入江隆則『敗者の戦後』に曰く、《1945年の日本の戦略降伏のいちじるしい特徴は、天皇を護ることを唯一絶対の条件としたことだった。同時に天皇は国民を救ふために『自分はどうなってもいい』という決心をされていて、こんな降伏の仕方をした民族は世界の近代史のなかに存在しないばかりか、古代からの歴史のなかでもきわめて珍しい例ではないかと思う。」》いまや国土全体大量虐殺の場と化した現状から民を救うために命を投げ出すことを厭わぬ天皇と、天皇の命と引き換えに自分たちの命が助かるなどありえないと考える国民、「降伏することもしないこともできない」というジレンマである。著者(長谷川)は「美しいジレンマ」であると同時に「絶望的な怖ろしいジレンマ」であるという。戦後ズタズタにされてしまったが、日本とは本来そういう国であったのだ。国民の意識において、そこに立脚しているがゆえの、文字通り「最終戦争」であったのだ。

このジレンマから抜け出すにはどうするか。本来ダイナミックな「国体」を、「立憲民主制」という意味に矮小化して、そのことの維持を以って降伏の条件とするというのが、日本政府によってひねり出された「国体護持の思想」であった。《これは天皇陛下の切実なお気持ちからも、国民の決意からも遠くはなれた話になっている。・・・しかし、「国体」のジレンマによって、文字通り身動きのできない状態にある政府にとって、これは唯一の脱出口であつたに違ひない。》(248p)これは「ポツダム宣言」の示唆するところを日本政府なりに受けとめた結果でもあった。《彼らは、日本人がただ脅しつけられただけでひるむやうな民族ではないことをよく知つていた。と同時に、日本にはその国家の中核をなす価値といふものがあり、それが日本人全体のコンセンサスによつて支へられてゐるといふことも心得てゐた。したがつて、その価値が損なはれないといふことを明らかにした上で降伏を勧告するならば、どんなむごたらしい攻撃を加へるよりも速やかに、日本人の降伏を引き出すことができるーー「知日派」グループには、さういふ確信があつたことであらう。》(253p)それはしっかり「ポツダム宣言」の中に盛り込まれる。「前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」。降伏後の日本の政治形態については日本国民の自由意志にまかせる、ということである。

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