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石原莞爾『最終戦争論』(2)石川理紀之助 [本]

石川理紀之助th-1544811182.jpg『最終戦争論』の第二部「質疑回答」を読み終えた。いま心の昂ぶりがある。秋田の篤農家石川理紀之助という人を初めて知ったことも大きい。

実は今朝、ある所用で出かけるばかりにしていたのだが、石川理紀之助を知って動けなくなった。質疑の第13問《日本が最終戦争に於て必勝を期し得るという客観的条件が十分に説明されていない。単なる信仰では安心できないと思う。》の答えの中にこうあった。私の強調したいのは、西洋人が物質文明に耽溺しているのに、われらは数千年来の父祖の伝統によって、心から簡素な生活に安んじ得る点である。日本の一万トン巡洋艦が同じアメリカの甲級巡洋艦に比べて、その戦闘力に大きな差異があるのは、主として日本の海軍軍人の剛健な生活のためである。先日、私は秋田県の石川理紀之助翁の遺跡を訪ねて、無限の感にうたれた。翁は十年の長い年月、草木谷という山中の四畳半ぐらいの草屋に単身起居し、その後、後嗣の死に遇い、やむなく家に帰った後も、極めて狭い庵室で一生を送った。この簡素極まる生活の中に数十万首の歌を詠み、香を薫じ、茶をたてつつ、誠に高い精神生活を営み、且つ農事その他に驚くべく進歩した科学的研究、改善を行なったのである。この東洋的日本的精神を生かし、生活を最大級に簡素化し、すべてを最終戦争の準備に捧げることにより、西洋人の全く思い及ばぬ力を発揮し得るのである。日本主義者は空論するよりも率先してこれを実行せねばならぬ。この簡素生活は目下国民の頭を悩ましつつある困難な防空にも、大きな光明を与えるものと信ずる。》

食糧危機が目前にある今、どう処するかについての指針がある。思えば、安藤昌益の生地が近い。昌益に重なる。そもそもわれわれの根っこにある感覚なのだ。何も難しいことではない、足元を掘り起こしさえすればいい。→「気張らず自然(じねん)で通すこと」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-30-1

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