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「覚悟」がキーワード(「鎌倉殿の13人」)

上総広常Screenshot 2022-04-19 at 04-21-22 (20) 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) _ Twitterのコピー.jpg17日の「鎌倉殿の13人」第15回はすごかった。木曽義仲討伐をめぐる源頼朝(大泉洋)に対する御家人の謀反。その収拾に功あったのが上総広常(佐藤浩市)だった。頼朝は上総を訪れて労う。その翌日、まずはめでたしと喜ぶ中で、「だれかひとり首謀者として死んでもらわねばしめしがつかぬ。また同じことが起こる」「では、だれか」思いもかけぬ名が大江広元(栗原英雄)の口から出る。「上総介」。そして言う、「最も頼りになる者が最も恐ろしい」。そのあとの一場面一場面の展開がすごい。佐藤浩市の渾身の演技もさることながら、頼朝が、「極悪の謀反人」と言い切って立ち去る場面、その直前の展開、思うだに辛い。
8時からの地上波に先立ち、6時からのBSで観た。見終えて思い立って、facebookと放知技板に今日の「鎌倉殿の13人」必見です。BSで一足先に観ました。その覚悟、決して今の時代も無縁ではないと思えました。》と書いた。つい書いた「その覚悟」というのは、だれの覚悟だったのだろうかと、後で思った。だれというのではなく、それぞれが「覚悟」を持って生きていた、そういう時代として描かれていたのだと思った。
栗原英雄Screenshot 2022-04-19 at 04-34-29 登場人物 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のコピー.jpgそれにしても、その覚悟が根っから際立っていたとすれば、大江広元ではなかったか。
広元の次男が大江(長井)時広(?-1241)。兄大江親広が承久の乱で失脚すると大江氏の惣領となり幕府中枢で活躍。出羽国置賜郡長井荘を所領とし、長井氏の祖となる。時広は置賜には入らなかったが、その広元の孫泰秀はわが熊野大社再興に功あった。時広の長男泰秀は建長2年(1250)、粟野東昌寺覚仏入道(伊達氏三代義宏1185-1251)に命じて宮内熊野宮を再興。正元2年(1260)熊野宮炎上。再び粟野東昌寺覚仏入道に命じて再興。融通神社.jpg熊野大社文殊堂(菅原神社)の背面に融通神社がありそこに祀られている。《前九年・後三年の役のとき、源義家は厚く当社を尊崇し、家臣鎌倉権五郎景政に命じて紀州熊野を勧請し、朱印三百貫とかずかずの品を寄進したとつたえる社伝を重んじ、長井氏二代泰秀はその恩に報いて保食宮(うけもちのみや)に義家を祀り、景政を祀る金剛見をそれぞれ造営して当社の末社とした。平氏の勢力の拠点をおさえるため、義家景政を祀って源氏色を濃厚にした。》(黒江太郎『宮内熊野大社史』)》(「宮内に流れる名家大江氏の血脈(南陽市民大学講座)(3)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-15-1
そうしたことを思いつつ、今朝読んだIn Deep中国のロックダウンは「第三次世界大戦の延長」かと。目的は「西側の食糧、エネルギー供給と流通システムの混乱による経済の崩壊」」《上海のロックダウンの状況を見て思うことは、「これも戦争か…」ということでした。》《ロシアとウクライナの問題で、食糧、物流、エネルギーにおいての大混乱が「目に見える形で西側で現れ始めたその時に」中国のロックダウンが始まった。「戦争だなあ」と思います。》ドンパチだけが戦争ではない。「敵(あるいは邪魔な相手)を大量に抹消できる方法はすべて戦争」》という意味で、自らを守るため、日本をも含む西側を敵とみなした致命的な「戦争」かもしれない。
三橋貴明氏の最新記事「命の危機」にこうあります。今後の日本は、過去の誤った政策のツケを支払うため、「食料やエネルギーが手に入れられない」状況で多くの国民が苦しむことになります。その時点で、過去の緊縮財政や構造改革が「間違っていた」という現実を認め、政策の大転換ができなかった場合、我が国の未来は真っ暗です。「命の危機」に直面しても、行動の転換ができない者は、普通に命を失うだけです。》「命の危機」が迫り来る今だからこそ、時代が一昨日の「鎌倉殿の13人」を作らせたのです。これからの時代、キーワードは「覚悟」、そう思わされています。
In Deep氏が、中国のロックダウンの背景に「戦争」を読み取ることになった、アメリカのQTR フリンジファイナンスの記事を転載しておきます。
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