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気張らず自然(じねん)で通すこと [日記、雑感]

マドモアゼル・愛さんが「悪魔と人間世界」という衝撃的な文章を書かれた。https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12739961569.html 現代では悪魔などと言うと物語の世界での出来事のように思われがちですが、つい100年ほど前の世界では、悪魔の存在は当然のように語られていたと思います。・・・今では(ボスニアヘルツェゴビナと)似た形がウクライナにあるように思います。ここにも悪魔が関与していることは確実でしょう。・・・この世は霊の戦いの場であり、最終的にはイエスと悪魔との戦いの場であり、それは人間の魂の奪い合いという様相を帯びているのかもしれません。この観点から物事を見ていくと、悪のやり方は嘘がうまく、巧みで、作り事を本当に見せる習慣があることがわかります。はかり事は彼らの特徴であり、魂の目がないと人はそのことを見抜くことが難しくなるのかもしれません。》

一方、今朝読んだIn Deep氏のメルマガ 第192号、《「無用な者たち」という概念は、 世界経済フォーラムとディープステートに通じる最大の概念であり、「その人たちをどうすればいいか」  ということが、この何十年ずっと考えられてきたのかもしれません。》という陰鬱なテーマで、フランスの未来学者ジャック・アタリと『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリがとりあげられている。

アタリは、40年前のインタビューでこう言った。《 人口削減はまず高齢者から始めます。なぜなら、60~65歳を超えると、人々は生産性がない状態で長生きし、それは社会に多大なコストがかかることになるからです。/次に弱者、次に役に立たない人たち。彼らは数は増えるが、社会の役に立ちません。そして何よりも最終的には、愚か者が対象です。/これらのグループを対象とした安楽死をおこないます。安楽死というものは、すべての場合において、私たちの将来の社会において不可欠な選択肢でなければなりません。》(アタリ『未来の人生 L'Avenir de la vie』)アタリはマクロン大統領擁立の中心人物だった。愛さんの言う「悪魔」とアタリが重なった。

さらに、ハラリのプーチン非難の文章が紹介されていた。日本語訳もあったがあえて原文を機械翻訳してみた。愛さんは「悪魔のやり方」として、「嘘がうまく、巧みで、作り事を本当に見せる習慣がある」という。まさにハラリの文章がそれだった。

In Deep氏は、文章の内容も、全然歴史家でも冷静な分析家でもなく、シュプレヒコールを叫ぶ活動家そのものになってしまっています。》として、「なんか、世界経済フォーラムもアセッてる」。「悪魔」に処するには、先ずは気張らず、自然(じねん)で通すこと。

安藤昌益チラシ小.jpg自然を「じねん」と読むことについては、安藤昌益の『自然真営道』関連で以前こう書いた。《明治22年生れの祖父がいつも言っていた(ような気がする)「じねーんと」という言葉がよみがえってきた。ものごとあわててもどうにもならないことはどうにもならない、いずれじねーんとなるようになるものなのだから・・・、そんなニュアンスが込められていたと思う。「気揉まねで、じねーんと」。の「自然」とはその「じねん」だったのだ。》(「安藤昌益は「神道思想家」に近い!」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-05『自然真営道』の「自然」は「じねん」だと思う。「悪魔に対してどう対処するか」が、思いがけなく安藤昌益にリンクした。→「安藤昌益」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/archive/c2306152777-1

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