仙台でシンポジウム「コロナとワクチンのリアル」 [コロナ危機]
《新型コロナ騒動が始まって早2年。政府や自治体は、ワクチン接種のベネフィットがリスクを上回るとして積極的に推進し、これまでに例を見ないような感染症対策を推し進めてきました。/私たちは、新型コロナやワクチンについて、正確な判断するための公正かつ多様な情報を得られているのでしょうか?これまで政府やメディアを通じて発信されてきた、過剰とも思われるコロナ対策やワクチンを推進する専門家の見解について、検証し、議論し、一緒に考えていきます。》ということで、「まっとう派」論客勢揃いのシンポジウムが仙台で開催されます。さらに、《このシンポジウムは、もともと、ワクチン接種について異なった見解を持つ専門家同士が、公の場で意見を戦わせる機会として企画致しましたが、TV等のメディアや動画サイトなどで積極発信されている推進派の方々は、結局誰一人として参加を承諾して下さる方はいませんでした。このため、推進派が発信している動画を用いてパネルディスカッションを行い、その結果についても、発信者に共有致します。一方通行の情報発信では、現在の情報合戦が終わることはないと考えております。》とのことですので、ワクチン推進派の主張にも耳を傾けながら考える、貴重な場になることが期待できます。
【参加費】 一般 2,000円、学生 1,000円、高校生以下無料
【申込(要事前申込)】https://ssl.form-mailer.jp/fms/51f985cc727944
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以下、コロナ、ワクチンをめぐる現状の空気を読み解く情報、いくつかです。
「四季南陽」構想、グレードアップ! [地方再生]
隈研吾さんが設計する宿泊施設のイメージ(隈・奥山両氏の事務所が共同作成)
今朝の日経東北版にビッグニュース。デジタル版には「奥山清行氏、山形・南陽で温泉施設再生 設計は隈研吾氏」の見出しで、東北方向高台から見たイメージ図もカラーで掲載。「新春なんよう」での奥山氏のビデオメッセージを聞いた限りでは一抹の不安もあって、つい「うまく軌道に乗ってくれるよう祈りつつ」と書いたのだが、とんでもない大きな構想で事は運んでいたのだった。
記事の最後に、隈氏の話として《山形県南陽市の建設予定地を視察した時、自然の美しさに圧倒された。渓谷の美を最大限に引き出せる建築を目指す。滞在する人がそれぞれ渓谷の美と向き合い、精神的体験を可能にする深みのあるリゾートが生まれると思う。》とあるのがうれしい。「渓谷の美」とはこれまで考えたこともなかった着眼だ。「精神的体験を可能にする深みのあるリゾート」の言葉が重い。熊野大社も視野に入ってのことと思われる。奥山氏のメッセージにも《昔ながらの上杉家の歴史とか。それから熊野大社があったりとか、それから童話の宝庫であったりとか、一般の方が思っていらっしゃる以上に、南陽市というのは宝の宝庫であり、文化の宝庫》との言葉があった。あの言葉を聞いた時、実は私がとっさに思ったのが小田仁二郎だった。寂聴さんにリンクしてゆくし、深いところで井筒俊彦ワールドへも。世界レベルの「南陽ブランド」の可能性がおおいに現実化してゆく。
30年近く前に、隈研吾氏の本を買っていた。いつどうして買ったのかの記憶もないし、何かに惹かれての衝動買いで、気になりながらの積読本だった。煤けていたのを引っ張り出してきた。『建築的欲望の終焉』(新曜社1994.12)。帯に《[住宅私有本位制]資本主義の行く方/[住宅私有の欲望が二十世紀の資本主義の原動力だった。][住宅は女性による家庭支配のための機械である]など、建築と住宅をめぐるわれわれの欲望を鮮やかに読み解く。》とある。隈氏40歳の時の著だ。とりあえず「あとがき」を読んだ。著者は1980年代世界的なバブルの崩壊に伴う「建築不況」を、人間の内面から突き崩す「建築的欲望の終焉」と考える。《建築といったエサを目の前にぶら下げることによって人々の欲望を喚起、誘導し、そのエサを与えることによってその欲望が充足されたという幻想を人々に与え続けてきた。この文明の本質が問われているのである。》以来日本は、デフレの泥沼に落ち込んで今に至る。いつの間にかひとり日本は世界の成長から取り残されてしまった。財務省のせいといえば財務省のせいだ。しかし、MMTの常識化とともに、そこから脱出の道筋は見えてきた。ではその先何をどうつくっていけばいいのか。隈氏はこれから先までを見据えた建築家のように思える。南陽が、新しい建築世界への実験場になるのかもしれない。期待したい。
以下は日経記事全文。
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