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『神やぶれたまはず』再々読(3)「最終戦争」と「使い走り戦争」 [本]

大東亜戦争は、敵がいつ目前に現れて爆撃されるかわからない状況下、「王道楽土」「五族協和」そして「八紘一宇」の思いを以って日々を生きていた、まさに命がけの「最終戦争」だった。

吉本隆明はこう語っている。《「戦後すぐに、児玉誉士夫と宮本顕治と鈴木茂三郎が大学に来て、勝手なことを講演して帰っていったことがあるんです。なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどう思っただろう(笑)、と発言して、ああいいことを言うなと僕は感心して聞きました。」》(136p) 加藤典洋、高橋源一郎、瀬尾育生との座談会での発言だ。「(笑)」は、戦中を生きた者と、それを理解できない戦後の人間の落差を示す。「最終戦争」の思いはすっかり風化させられていた。そして今、その「風化」の挙句の戦争への歩みがあるとすれば、命がけで押しとどめねばならないと思う。

日刊ゲンダイ5.13-1.jpg日刊ゲンダイ5.13-2.jpgいつもは西側プロパガンダのままだが、時折正気に戻る「日刊ゲンダイ」が、大事な記事を書いた。→「<国民は本当にそれでいいのか>戦争国家に向けて準備着々(日刊ゲンダイ)」http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/464.html

《11日成立した経済安全保障推進法。新聞テレビでは、<経済安全保障は、国民の生命や財産を守る安全保障に政府の経済政策や企業活動を結びつける考え方><半導体や医薬品など国民生活に欠かせない重要な製品「特定重要物資」が安定的に供給されるよう、企業の調達先を調査する権限を国に与える><サイバー攻撃を防ぐため、電力や通信などインフラを担う大企業が、重要な機器を導入する際に、国が事前審査を行えるようにする><軍事利用されかねない技術の情報公開を制限したりする>などと解説されているが、法律の狙いはズバリ、欧米諸国と対立を深める中国やロシアへの経済的依存からの脱却。そのための統制強化だ。・・・経済面より軍事的な包囲網が優先された法律です。世界の科学技術の潮流を考えれば、長期的に日本経済はガタガタになりますよ。日本の多くの人の認識と違うのは、いまや中国は、米国を抜いて世界トップの研究レベルにあること。そのシェアは25%近くを占めています。一方、日本は2%程度。つまり、日本から2%分の技術流出を止めれば、中国からは日本へ25%分が止まる。日本の受ける被害の方が圧倒的に大きく、バカげた法律なのです」(元外務省国際情報局長・孫崎享氏)》反対したのは共産党とれいわ新選組だった。法案が可決された5月11日の参議院本会議では、共産党から田村智子・参議院議員が反対討論に立ち、「漠とした不安や恐怖を煽り、仮想敵を前提とした安全保障戦略に企業活動や研究開発を組み込むことは、民間企業や大学等への国家権力による監視や介入をもたらす」などと訴えた。 同じく反対したのがれいわ新選組。山本太郎代表は4月15日、議員辞職の意向を示した記者会見上でも経済安保政策に言及。「これまで最大限日本の生産能力を低下させ海外に移し、労働者をどんどん切って空洞化させた。今更フォローするようなことをやっていくのは、火をつけて消火器を売りつける商法と一緒だ」と批判した。》https://news.yahoo.co.jp/articles/a479f6967f9e718ad85cc80f9374b665fe2b89ad?page=3

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『神やぶれたまはず』再々読(2) [本]

第4章は太宰治。《「厳粛とは、あのやうな感じを言ふのでせうか。私はつつ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、さうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くやうに感じました。/死なうと思ひました。死ぬのが本当だ、と思ひました。・・・ああ、その時です。背後の兵舎のはうから、・・・トカトントンと聞えました。」(「トカトントン」)(71-72p)著者(長谷川)の言葉、《”君の幻聴がどこから生じてゐるかは明らかで、それは君が自分の耳にふたをした、その耳栓のたてる音にほかならないのだ。君は、ひとたび天籟を聞きながら、その沈黙の深さに耐へられなくて、大いそぎで耳栓をしてしまつた。・・・勇気を出して耳栓をはづし、あの一瞬の静寂に耳をかたむけてみたまへ。そこにひろがる本物の「無」の淵をのぞき込んで戦慄したまへ。そのとき、君のちゃちな幻聴などたちまち止んでしまふことだらう。”》(82-83p)と言いつつ、その後では、トカトントンの音は、真理から耳をふさいでゐるが故に聞こえてくる音なのではない。むしろそれは、もつとも戦慄すべき事実ーー「死ぬのが本当」なのに、その道が閉ざされてしまつてゐるという事実ーーを、くりかえし目の前に呼び出し、つきつけてくる音なのである。》(91p)「最終戦争」であったはずが、敗れてなお生きねばならなかった戦後、三島由紀夫は、《無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。》(84p)と言い放ってその数ヶ月後、自から命を絶った。《悲壮も厳粛も消え失せた〈トカトントンの日本の姿〉がある。》さらにそれから40年、《単なる「経済的大国」でゐつづけることすらできな》くなり、《現在の日本の精神的麻痺状態は、まさにこの、トカトントン」症状の最終段階にまで達してゐると言ふべきであらう。》(84-85p)「あの一瞬」に還るしかない。
第5章、伊東静雄。その日記の一節、《「十五日陛下の御放送を拝した直後。/太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない。」》(101p)ここに至る日々を桶谷が語る。《「この最後の日々は、日本の歴史においてかつてなかつた異様な日々であつた。梅雨が明けると夏空はいやましに澄みわたり、匂ひ立つ草木のみどりが、人びとにけふのいのちの想ひをさらに透明にした。/マリアナ、硫黄島、沖縄の基地から連日やつてくるB29爆撃機の空襲は、大都市から中都市に範囲をひろげ、焦土廃墟の地域が急激に増えていつた。/家を焼かれ、肉親を失ひ、着のみ着のままで、食べるものも満足にない多くの日本人が、何を考へて生きてゐたかを、総体としていふことはむづかしい。/ただひとついへることは、平常時であれば人のくらしの意識を占める、さまざまの思ひわづらひ、利害の尺度によつてけふとあすのくらしの方針をたてる考へ方が捨てられたことである。何らかの人生観によって捨てられたのではなく、さういふ考へ方を抱いてゐても無駄だつたからである。/もちろん、人の生き方はさまざまであり、口に一億一心をとなへながら、疎開者から取って置きの衣類を巻きあげて闇米と交換する農民や、都市の焼跡の二束三文の土地をせつせつと買ひ占める投機者はいくらでもゐた。/しかしそんな欲望も、本土決戦が不可避で在るといふ思ひのまへには、実につまらない、あさはかなものにみえた。/あすのくらしの思ひにおいて多くの日本人が抱いてゐたのは、わづかばかりの白米、あづき、砂糖を大事にとつて置いて、いよいよとなつたらそれらを炊いて食べて、死なうといふことであつた。」》(112-113p)コロナ禍を引きずり、さらに深刻な食糧危機を迎えようとしているる今、この文章、むしろ親しくさえ思える。
第6章は磯田光一。桶谷が「”その瞬間”まで」にこだわり続けたのに対し、磯田の関心は、「”その瞬間”の後」だった。《ただもつぱら「生の方へ歩きだした日本人」だけに目を向けてゐる。》(116-117p)

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『神やぶれたまはず』再々読(1) [本]

神やぶれたまはず.jpg『神やぶれたまはず』、自分のも含めてアマゾンレビューのいくつかを読んで、あらためて読まねばと思って開いた。

序の書き出し、《一国の歴史のうちには、ちやうど一人の人間のうちにおいてもさうであるやうに、或る特別の瞬間といふものが存在する。その瞬間の意味を知ることが、その国の歴史全体を理解することであり、その瞬間を忘れ、失ふことが、その国の歴史全体を喪失することである、といった特別の瞬間ーーさうした瞬間を、われわれの歴史は確かに持つている。/わたしがいまここでしようとしてゐるのは、その瞬間をもう一度ありありとわれわれの心に甦らせ、その瞬間の意味を問ひ、そしてその答へを得ることである。》(1p)

折口信夫を語った第1章、《われわれにとっての大東亜戦争は、決して単なる、他の手段をもってする政治などではなく、或る絶対的な戦争だったということ。そして、もし「日本の神学」といふものが構築されうるとすれば、その基はこの「絶対的な戦争」の経歴以外のところには見出されえない》(29p)当時の日本人の意識において、たしかに石原莞爾の言う「最終戦争」だったのだ。そうしてこそ国挙げて戦い得た戦争であった。間違っても、どこぞの「属国」が取り組んだ戦争ではない。《しかしそれにしても、日本人の大東亜戦争の経験の、いったいどこに「絶対的」なものがひそんでゐるといふのだろうか?》(30p)と結ぶ。

橋川文三の第2章、《氏自身の「戦争体験」ーーその底に、「イエスの死の意味に当たるもの」をかいま見た体験ーーの記憶があったのに違ひない。》(36p)

第3章は桶谷秀昭。《「精神過程の上で、昭和21年末までに、大きな 変質が日本人に起った。・・・昭和精神史における”戦後”とは、大枠において、過去の日本を否定し、忘却しようとする意識的な過程である。」》(48p)河上徹太郎の語る言葉に注目する。《「国民の心を、名も形もなく、たゞ在り場所をはつきり抑へなければならない。幸ひ我々はその瞬間を持った。それは、八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理屈をいひ出したのは十六日以後である。あの一瞬の静寂に間違はなかった。又、あの一瞬の如き瞬間を我々民族が曽て持つたか、否、全人類であれに類する時が幾度あったか、私は尋ねたい。御望みなら私はあれを国民の天皇への帰属の例証として挙げようとすら決していはぬ。たゞ国民の心といふものが紛れもなくあの一点に凝集されたといふ厳然たる事実を、私は意味深く思ひ起こしたいのだ。今日既に我々はあの時の気持と何と隔りができたことだらう!」》桶谷、《そのとき、人びとは何を聴いたのか。あのしいんとした静けさの中で何がきこえたのであらうか・・・『天籟』を聴いたのである・・・彼(『斉物篇』の隠者)は天を仰いで静かに息を吐いた。その時の彼の様子は、『形は槁木(枯れ木)の如く、心は死灰の如く』『吾、我を喪ふ』てゐるやうであつたといふ。(61p)(つづく)

以下は、アマゾンレビューのいくつか。

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石原莞爾『最終戦争論』(2)石川理紀之助 [本]

石川理紀之助th-1544811182.jpg『最終戦争論』の第二部「質疑回答」を読み終えた。いま心の昂ぶりがある。秋田の篤農家石川理紀之助という人を初めて知ったことも大きい。

実は今朝、ある所用で出かけるばかりにしていたのだが、石川理紀之助を知って動けなくなった。質疑の第13問《日本が最終戦争に於て必勝を期し得るという客観的条件が十分に説明されていない。単なる信仰では安心できないと思う。》の答えの中にこうあった。私の強調したいのは、西洋人が物質文明に耽溺しているのに、われらは数千年来の父祖の伝統によって、心から簡素な生活に安んじ得る点である。日本の一万トン巡洋艦が同じアメリカの甲級巡洋艦に比べて、その戦闘力に大きな差異があるのは、主として日本の海軍軍人の剛健な生活のためである。先日、私は秋田県の石川理紀之助翁の遺跡を訪ねて、無限の感にうたれた。翁は十年の長い年月、草木谷という山中の四畳半ぐらいの草屋に単身起居し、その後、後嗣の死に遇い、やむなく家に帰った後も、極めて狭い庵室で一生を送った。この簡素極まる生活の中に数十万首の歌を詠み、香を薫じ、茶をたてつつ、誠に高い精神生活を営み、且つ農事その他に驚くべく進歩した科学的研究、改善を行なったのである。この東洋的日本的精神を生かし、生活を最大級に簡素化し、すべてを最終戦争の準備に捧げることにより、西洋人の全く思い及ばぬ力を発揮し得るのである。日本主義者は空論するよりも率先してこれを実行せねばならぬ。この簡素生活は目下国民の頭を悩ましつつある困難な防空にも、大きな光明を与えるものと信ずる。》

食糧危機が目前にある今、どう処するかについての指針がある。思えば、安藤昌益の生地が近い。昌益に重なる。そもそもわれわれの根っこにある感覚なのだ。何も難しいことではない、足元を掘り起こしさえすればいい。→「気張らず自然(じねん)で通すこと」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-30-1

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馬野周二『世界最終戦争論』 [本]

世界最終戦争論のコピー.jpg30年以上前の本、馬野周二著『世界最終戦争論』(1988 東興書院)を引っ張り出してきた。石原莞爾が陸軍大学校時代に構想したといわれ、その後昭和15年(1940)に上梓された『世界最終戦論』を高く評価し、それを現在的視点から敷衍したものだ。

「第4章 人類の前史終る 5 石原莞爾の洞見」にこうある。《われわれ人類は平和な狩猟採取の時代から、戦争が社会の中に嵌め込まれた農業の時代に入り、随分と血を流した揚句、戦争の止揚された平和なユートピアであるべき、第二次工業時代に入りつつある。原子爆弾は、地獄の入口なのではなく極楽の入口であったことを、後世の人達は悟るであろう。》とし、こう言う。科学は神である。熱力学というこの神の託宣によれば、われわれが無心にエネルギーを使って低いエントロピーを生産し続けるかぎり、人類はユートピアに向って進む。/逆さ眼鏡というものがある。これを掛けると上下が逆に見えるのだ。恐ろしいのは、これを掛けっ放しにして二、三日すると頭の中の天地が逆になって、この眼鏡を掛けていても外界が正立するようになる。どうも世の中にはこの手の逆さ眼鏡の人達が多いようで、工業化の進行は、公害、資源不足、人口増大、食糧不足、その他あらゆる悪の根源であると考え、現代工業化文明から離脱しなければ人類は亡びると信じている向きがある。》著者によると「逆さ眼鏡」の典型がローマクラブだ。「成長の限界」の登場は1972年だった。ローマクラブというのがあったが、何だか外国の偉い人が首唱して、日本でもこれに同調して熱を上げた人が多くいた。このクラブは一種の世直しを宣伝した。これは典型的な逆さ眼鏡発想で、こんなものは自然の流れに取り残さざるをえないのだ。このクラブは竜頭蛇尾であったが、自然の理法に反する考えが続くはずがない。》(158-159p)という。ところがどっこい、その逆さ眼鏡発想は「世界経済フォーラム」なる一大組織にしっかり引き継がれ、今や世界の「グレート・リセット」に向けて先陣を切る。コロナパンデミック、ロシアvsウクライナ、いずれもその関わりは深い。この先いったいどうなるのか。

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『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』を読んで [本]

世界の常識はウソばかりのコピー.jpg副島隆彦・佐藤優対談本『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』(ビジネス社 2022.2.1)を読んだ。アマゾンの初出レビューにこの二人の対談、噛み合うところもあれば噛み合わないところもある。しかし、お互いがリスペクトしあっているので感情的に反論することなく、互いに意見を言って終わっているところが紳士的でよい。》Kamusa)とあるが、同感である。それはそれとして、私なりに立ち止まって思わされたことがあったので書いておきます。
第2章「戦後リベラルの正体」の第3節「新左翼とは何だったのか」。二人の学生運動への関わりが語られる。そのやりとりの最後。
《副島 日本の過激派の学生運動、新左翼たちの運動は70年代で死に絶えました。現実味のない愚かで空疎な戦いの中で人生をボロボロにしていった約20万人活動家たちの魂を、私は引きずっています。バカだった、だけでは済まない。/ 新左翼の各派に、公安警察のスパイがかなりの数で潜り込んでいました。そして彼らが内部から扇動して内ゲバを嗾(けしか)けた。敵対するセクトの幹部たちの住居を教えて、ナタやバールをもって襲撃して惨殺させています。殺し合いが始まると互いの憎しみが頂点にまで達して、さらに血で血を洗う抗争になりました。/ 私はどんな国でも同じでしょうが、国家権力、警察というものの恐ろしさを、腹の底から知りました。大きく騙されてこんな殺し合いに嵌っていった人間は、限りなく愚か者です。息子たちを殺された親たちの嘆きは、とても言葉にならない。/ それでも私が知り合った、どこの大学の過激派の活動家たちも、みんな人間が良くて優秀な人たちでした。一人ひとりは、その後厳しい人生になった。ほとんどの人は、過去を隠して生きているでしょう。/佐藤 怖いのは、誰も左翼の活動のことをよく知らないまま、再び左翼思想が注目される時代となり、人々が無自覚的に時代の波に飲み込まれてしまうことです。そうなると、かつての左翼たちが犯してきた、さまざまな誤りや悲劇が繰り返されることになります。》(108-109p)
副島氏は昭和28年生まれ、佐藤氏は昭和35年生まれ、私よりだいぶ若い。私が体験したのは「大学争」だったが、二人にとっては「大学争」だったようだ。しかしそれは「現実味のない愚かで空疎な戦い」であり、「大きく騙されての殺し合い」であり、「さまざまな誤りや悲劇」であり、「ほとんどの人は、過去を隠して生き」ざるを得なかった「闘争」だったと言う。「大学闘争」は、「自己否定」の必然の結果ともいえる「さまざまな誤りや悲劇」の形で「死に絶えた」。しかしその「大学闘争」は、「大学紛争」を生きる当時の若者の多くの「共感」に支えられてもいたはずだ。

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『イベルメクチン』(大村智編著)を読む [本]

イベルメクチン 大村智.jpg大村智編著『イベルメクチン』(河出新書 2021.11)。大村博士の菩提寺に叔父が眠っているという縁があって、身近かに思えるのがうれしい。→「韮崎行(1)大村博士の菩提寺で叔父の一周忌 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-27

イベルメクチンが、なぜ新型コロナに効くのかについて大村博士のわかりやすい説明がある。《細胞にウイルスが侵入する際、ウイルス表層にある突起状の糖たんぱく質であるスパイクたんぱく質にイベルメクチンが結合して、ACPレセプターとの結合が阻害されるのです。ACPレセプターは、気管支、肺、心臓、腎臓、消化器などの臓器表層細胞の細胞膜にあり、臓器保護作用があるとされていますが、新型コロナにおいては、ウイルスのスパイクたんぱく質と結合する受容体として機能しています。この受容体との結合をイベルメクチンが阻害することで、ウイルスは細胞の中に入れなくなるのです。》(49p)

イベルメクチン アフリカ諸国.jpgその有効性については、国内での臨床報告のほか、インド、インドネシア、ブラジル、ハイチ等でのイベルメクチン投与による感染者・死亡者数の少なさが例として挙げられているが、なんといってもアフリカ大陸における投与国と非投与国の大きな差を見ればいい。《WHOが熱帯病撲滅戦略でイベルメクチンを投与してきた国は合計32カ国です。・・・イベルメクチンが投与された32カ国と不投与の22カ国の新型コロナの感染者・死者数について、毎週、WHOが発表している各国の感染者・死亡者数と人口10万人当たりの数値を一覧表にしてみました。ざっと見ただけでも投与している国々の数字は不投与の国々に比べて明らかに低い数字になっています。投与・不投与の国の10万人当たりの数字を比べてみると、不投与国の死亡者数は投与国の13倍も多いのです。》(241-242p)コロナパンデミックの緊急性を背景に、イベルメクチンの現実的有効性ゆえの臨床試験研究、その公開も飛躍的に進む。42件の臨床試験の対象患者14,906人について統合分析したところ、《早期治療では83%、後期治療では51%、発症予防では89%の改善が認められ・・・イベルメクチンが優れているという間違った判断を起こす確率は、4兆分の1と推測される》(118p)との発表もある。

にもかかわらず、イベルメクチンが新型コロナ適応薬としての承認が進まないのはなぜか。米国の医師らが組織する「新型コロナ救命治療最前線同盟」(FLCCC)は、WHOが出した、イベルメクチンの新型コロナ治療への使用に反対するガイドライン公表に公式声明で異議を唱えた。(2021.4.3)《科学的なデータに基づいて決定されるべき事柄が、巨大なワクチン市場や新規医薬品市場を見込んだ巨大製薬企業が多額の資金を投じて主導する巨大科学、多数の研究者を動員して行われる巨大試験、巨大国際機関、巨大学界、巨大メディアの組み合わせによる非科学的な政治的・経済的な虚偽情報に基づいて決定されていることに警鐘を鳴らしています。》(146p)さらに、イベルメクチンへの攻撃はネット上にも及ぶ。《2021年になってjからイベルメクチンに関するネット上の情報をブロックする動きが始まり、急速に広がりつつあります。Facebook、YouTubeなどが、イベルメクチンのニュースや論評をブロックすることを始めているのです。》(251p)

イベルメクチン.jpg最後の章「イベルメクチンの未来図」の最終節は「イベルメクチンはどこへ向かうのか」。《イベルメクチンの世界の動向はこの薬剤が新型コロナに有効かどうかという医学的テーマだけでなく、薬剤開発を展開する医薬品企業の思惑、それを監督する立場の政府機関、パンデミックの対応を迫られる国際機関と公衆衛生機関などの思惑が複雑に絡んで、見方によっては政治問題の様相を見せ始めています。》(252p)すなわち、《病気にかかった人の命を救うという究極の目的が1つにならず、歪められた判断や思惑にまみれ、様々な顔を見せるようになっています。》果てしないワクチン接種、心身を蝕むマスク禍、理不尽渦巻く今の世にあって、イベルメクチンもその渦中で翻弄されている。とはいえ、これまで多くの人を救い、今また新たな可能性が注目されるイベルメクチンは、暗澹たる中での一筋の光明である。最後は次の言葉で締め括られる。《イベルメクチンは研究現場から見ても魅力あふれる物質です。イベルメクチンの先に新たな知見の発見が待ち構えており、その成果で新たなノーベル賞が出るのではないか。それは人の命を救うという目的がさらに拡充されることを意味します。イベルメクチンには、そう予感させるだけの魅力があるのです。》(254p)私にとってこの著は、ネットで手に入れたイベルメクチンとともに、コロナ禍を泳ぎきるための「御守」となりそうだ。

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『徳政令』(早島大祐)を読む [本]

徳政令.jpeg『徳政令 なぜ借金は返さねばならないのか』(早島大祐)、講談社現代新書2018年刊。

徳政令は「借金帳消し」と理解される。出発点においてそれは「徳ある政策」すなわち、天変地異や疫病の流行などを君主の不徳によって生ずるものと考え、それを除くために行われる仁徳ある政治、善政であった。しかし16世紀中葉において、徳政観念の転換があった。その過程を経て「借金は返さなければならない」という現代に通ずる倫理観が形成される。

最終章において、この転換が文明史的転換であったことが明かされる。すなわち徳政令は、そもそも災害等、自然と向き合わざるを得ない中で発祥した。しかし「私利私欲」に絡め取られながら、変質が余儀なくされる。《徳政の脅威が、地域社会の信頼をどん底にまで突き落としていたのだ。徳政が起これば、いかに信用のおける相手であっても貸したお金が返ってこないかもしれない。》(263p)そして《脅威へと変貌した徳政から個々がおのれの利益のみを守ろうとするようになった結果、社会が個々へと分断されてしまった時期への変化》(266p)をたどる。以来「借りた金は返せ」が第一義となり、「人本来のくらし」は背景に退いて今に至る。そのことで家族を捨てざるを得なくなった人、命を絶たざるを得なかった人がどれだけいることか。

いまこの本を手に取った理由。コロナ禍対策としての「実質無利子・無担保融資(ゼロゼロ融資)」の返済据置期間がまもなく切れようとしている。多くの経営はコロナ前に戻ってはいない。「徳政令しかない」、そう思った。

日本政策金融公庫が引き受けている、弁済不能に備えた保険は33兆円という。国債発行でまかなえばいい。れいわ新選組の主張参議院調査情報担当室の試算では、国民1人に対して10万円を配ると1年144兆円の予算がかかりますが、1年目インフレ率1.2%、2年目インフレ率1.4%、3年目インフレ率1.8%、4年目インフレ率1.7%となり、国民1人あたり10万円の給付を4年間続けたとしても、インフレ率は2%を下回るので可能であることが判明しています。》33兆円は十分余裕。

以下はこの本のアマゾンレビューから。

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『DSとの血みどろの戦いを勝ち抜く中国』(副島隆彦)を読む [本]

DSとの血みどろの・・・.jpg幸福実現党の及川幸久氏を知ったのは副島隆彦氏によってだった。《私が、ひとつだけ、おお、この人は、凄い。この人が、ユーチューブで、語っていることは、冷静沈着で、理詰めで、実に、しっかりした、SNSの報道になっている。それは、及川幸久という人物の Youtube での番組だ。ところが、何と、この人は、幸福実現党の対外局長という役職にある人だ。私は、驚いた。幸福実現党は、大川隆法という教祖を頂点に戴く、多くの出版物を出している、おかしな宗教団体の幸福の科学の、その政治政党部門だ。/ここは、大きくは、統一教会Moonies の 表面団体であり、フロント組織だ。どうして、こんな、私、副島隆彦にとっての警戒対象の組織に、こんな、優れた頭脳をした人物が、いて、今度のトランプ選挙のことで、極めて正確で、緻密な報道、報告をしてくれているのか、私に、今のところ分からない。私の理解を超えている。そのうち、この謎は解けるだろう。 取り敢えず、以下の 及川幸久氏の、最新の11月16日の、ユーチューブ番組を開いて視聴して下さい。/https://www.youtube.com/watch?v=53hoDJwrOD82020.11.16【大統領選継続中[exclamation]?】続ドミニオン疑惑!米24州で票改ざん?!内部告発者が証言?(敵の正体が徐々に明らかに…?)【及川幸久?BREAKING?】》(http://www.snsi.jp/bbs/page/1/view/5704以来惹かれて及川氏の動画を見てきた。及川ファンになったといっていい。幸福実現党にも親近感を抱くようになった。「2類相当から5類へ」の請願でがんばっていただき、親しくなった新庄市議会の山科議員も幸福実現党だ。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-09-25

そんな中での、副島氏の最新刊『ディープ・ステイトとの血みどろの戦いを勝ち抜く中国』2021/12/3)。

《中国政府は、新疆ウイグルで100万人以上のウイグル人を収容所の入れて、ひどい虐待をしていると、言い続ける人たちがいる。だが、現場に行って本当に調べてきた日本人が果たしているのだろうか。/イギリスのBBC放送やアメリカのCIA情報だと思われる映像を根拠に、とにかく中国の悪口を言い、中国をけなし続ける。だが、そろそろ大きく中国を正面から冷静に見るという考え方を、私たちは身につけなければならないだろう。》(228p)私は及川氏に向けられたものとして読んだ。

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『死者と霊性』を読む。「正気」に還れ! [本]

死者と霊性.jpg『死者と霊性ー近代を問い直す』(岩波新書)、ポチポチ読んでゆくつもりで読みかけた本、一気に読むことになった。8日の晩つづらご(帯状疱疹)発症を発見。9日に医者に行って、10、11日はおとなしくしく布団にくるまっているほかはなかった。9日の文教厚生常任委員会での請願審査、あえなく玉砕、その態勢を立て直す上でもこの本は必要な本だった。時代の最も尖鋭的課題に応えてくれる本として手元に置いて何度も開くことになると思う。

昨日「「狂気」が「空気」の世の中です」と書いた。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-09-12-1 mespesadoさんが紹介していた文が身につまされた。戦時下はこんな状況だったのだと、いまは肌感覚で理解できます。教育を受けた我々は、あの頃の人々とは違う。同じ轍は踏まないと他人事だったのは単なる思い上がりでした。お国のためにと竹槍を持ち特攻したあの頃と、私たちは何も変わってない》(カモノハシの旅人@sanjinowatashi)「どう生きるか」が切実に問われている。当面する課題の前でのジタバタはそれはそれとして、じっくり時代の流れ、その底流に身を置いてみること、それにはうってつけの一冊だ。座談を終えたところで、仕切り役の末木氏が言う。《実に丸一日にわたる座談会でありまして、私としてもすごく贅沢な時間でして、人生の最良の日みたいな思いがしています。》(169p)この言葉、決して誇張ではない実感として伝わった。

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