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『神やぶれたまはず』再々読(3)「最終戦争」と「使い走り戦争」 [本]

大東亜戦争は、敵がいつ目前に現れて爆撃されるかわからない状況下、「王道楽土」「五族協和」そして「八紘一宇」の思いを以って日々を生きていた、まさに命がけの「最終戦争」だった。

吉本隆明はこう語っている。《「戦後すぐに、児玉誉士夫と宮本顕治と鈴木茂三郎が大学に来て、勝手なことを講演して帰っていったことがあるんです。なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどう思っただろう(笑)、と発言して、ああいいことを言うなと僕は感心して聞きました。」》(136p) 加藤典洋、高橋源一郎、瀬尾育生との座談会での発言だ。「(笑)」は、戦中を生きた者と、それを理解できない戦後の人間の落差を示す。「最終戦争」の思いはすっかり風化させられていた。そして今、その「風化」の挙句の戦争への歩みがあるとすれば、命がけで押しとどめねばならないと思う。

日刊ゲンダイ5.13-1.jpg日刊ゲンダイ5.13-2.jpgいつもは西側プロパガンダのままだが、時折正気に戻る「日刊ゲンダイ」が、大事な記事を書いた。→「<国民は本当にそれでいいのか>戦争国家に向けて準備着々(日刊ゲンダイ)」http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/464.html

《11日成立した経済安全保障推進法。新聞テレビでは、<経済安全保障は、国民の生命や財産を守る安全保障に政府の経済政策や企業活動を結びつける考え方><半導体や医薬品など国民生活に欠かせない重要な製品「特定重要物資」が安定的に供給されるよう、企業の調達先を調査する権限を国に与える><サイバー攻撃を防ぐため、電力や通信などインフラを担う大企業が、重要な機器を導入する際に、国が事前審査を行えるようにする><軍事利用されかねない技術の情報公開を制限したりする>などと解説されているが、法律の狙いはズバリ、欧米諸国と対立を深める中国やロシアへの経済的依存からの脱却。そのための統制強化だ。・・・経済面より軍事的な包囲網が優先された法律です。世界の科学技術の潮流を考えれば、長期的に日本経済はガタガタになりますよ。日本の多くの人の認識と違うのは、いまや中国は、米国を抜いて世界トップの研究レベルにあること。そのシェアは25%近くを占めています。一方、日本は2%程度。つまり、日本から2%分の技術流出を止めれば、中国からは日本へ25%分が止まる。日本の受ける被害の方が圧倒的に大きく、バカげた法律なのです」(元外務省国際情報局長・孫崎享氏)》反対したのは共産党とれいわ新選組だった。法案が可決された5月11日の参議院本会議では、共産党から田村智子・参議院議員が反対討論に立ち、「漠とした不安や恐怖を煽り、仮想敵を前提とした安全保障戦略に企業活動や研究開発を組み込むことは、民間企業や大学等への国家権力による監視や介入をもたらす」などと訴えた。 同じく反対したのがれいわ新選組。山本太郎代表は4月15日、議員辞職の意向を示した記者会見上でも経済安保政策に言及。「これまで最大限日本の生産能力を低下させ海外に移し、労働者をどんどん切って空洞化させた。今更フォローするようなことをやっていくのは、火をつけて消火器を売りつける商法と一緒だ」と批判した。》https://news.yahoo.co.jp/articles/a479f6967f9e718ad85cc80f9374b665fe2b89ad?page=3

吉本にとっての戦争体験。《「戦争のような状況では、誰もその内的体験に、かならず生命の危険をかけている。だから、この体験を論理づけ、それにイデオロギー的よりどころをあたれば、もはや他の世代にたいして和解するわけにはいかない重大な問題を提出することを意味する。わたし自身にしても、戦争期の体験にたちかえるとき、生き死にを楯にした熱い思いが蘇ってきて、もはやどんな思想的な共感のなかへも、この問題を解決させようとはおもわなくなってくる。」・・・「私は徹底的に戦争を継続すべきだという激しい考えを抱いていた。死は、すでに勘定に入れてある。年少のまま、自分の生涯が戦火のなかに消えてしまうという考えは、当時、未熟ななりに思考、判断、感情のすべてをあげて内省し分析しつくしたと信じていた。》(132-133p)そして、敗戦の体験について。《敗戦は突然であった。都市は爆撃で灰燼にちかくなり、戦況は敗北につぐ敗北で、勝利におわるという幻影はとうに消えていたが、わたしは、一度も敗北感をもたなかったから、降伏宣言は、何の精神的準備もなしに突然やってきたのである。」・・・「わたしは、ひどく悲しかった。その名状できない悲しみを、忘れることができない。それは、それ以前のどんな悲しみともそれ以後のどんな悲しみともちがっていた。……生涯のたいせつな瞬間だぞ、自分のこころをごまかさずにみつめろ、としきりに自分に云いきかせたが、均衡をなくしている感情のため思考は像を結ばなかった。」》(137-138p)その天皇の降伏宣言は、吉本の死への覚悟(「神と己れとの直結性」)を打ち砕くものであった。《「わたしは、絶望や汚辱や悔恨や憤怒がいりまじった気持で、孤独感はやりきれないほどであった。」》(146p)長谷川は言う、《神に拒まれ、裏切られた人間をもっとも苦しめるのは、自らの心のうちにわき上る〈神への憤怒〉である。この〈神への憤怒〉こそは、神学におけるもつとも切実でもつとも逆説的な問題であると言ってもよい。・・・吉本氏は、当時の自分をふり返って、外見には「惰性的な日常生活にかえっていた」けれども、「こころは異常なことを異常におもいつめ」てゐたのだと言ふ。》(147-148p)吉本の言葉、《翌日から、自分が生き残ってしまったという負い目にさいなまれた。何に対して負い目なのか、よくわからなかったが、どうも、自分のこころを観念的に死のほうへ先走って追いつめ、日本の敗北のときは、死のときと思いつめた考えが、無惨な醜骸をさらしているという、火照りが、いちばん大きかったらしい。」》(152p)長谷川、《吉本隆明が敗戦時に体験した「やるかたない痛憤」は、その核心部をみづから「ごまかさずにみつめ」ることのないまゝ、素通りされ、ずらされ、捨て去られてしまつたのかも知れない。ひょつとすると、われわれの敗戦体験を明らかにするための大きな手がかりを含んでゐたのかも知れない〈神への憤怒〉は、つひに白日のもとにさらけ出されることのないまゝ埋もれたのである。》(157p)吉本は、人々の「生」へと向かう奔流のまえになすすべもなく、とりあえずは、「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる」(「廃人の歌」)との呪詛をもって沈潜するしかなかった。(つづく)


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