「最後の指揮官命令は島民の虐殺だった」(元日本軍兵士の手記) [本]
『テクノロジーが予測する未来』(伊藤穰一) [本]
米沢藩士・宇加地新八 [本]
『日本をこう変える 世界を導く「課題解決型国家」の創り方』 [本]
読み通した者にとって、「おわりに」での言葉は決して絵空事ではない。《日本が直面する危機を乗り越え、次の世代に誇れる日本を築いていくうえで最も大事なのは、一人ひとりの国民が直面する課題に当事者として向き合い、その解決に主体的に取り組んでいくことで、生きがいのある精神的にも豊かな人生を営んでいくことであると、私たちは考えています。》(309p)気づいた人一人ひとりが自ら判断し、そして身銭を切って政治に参加することでまともな日本を創ってゆく。7月6日時点で、党員数は8万人を超えたという。
今後改訂を加えながら、これから日本の指針として、教科書的役割を果たしてゆく著と思えた。
『DSはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』を読む [本]
副島隆彦『有事の金。そして世界は大恐慌へ』 [本]
『神やぶれたまはず』再々読(7) [本]
平成26(2014)年、『神やぶれたまはず』を読み終えてこう書いていた。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10#more)
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《昭和20年8月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282)
国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。
しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。
いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。
昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。