石原莞爾『最終戦争論』(2)石川理紀之助 [本]

◆山田経済会「吉凶屏風
天地の御恩を忘するべからず。産土神氏神を敬い、祖先の御墓を大切にすべし。父母を始め凡て老人を大切にすべし。但し良きものを喰わせ着するより心に苦労をかけべからず。兄弟姉妹嫁姑の間睦ましかるべし。女房の言うことを、みだりに用ゆべからず。子孫の愛におぼれて、我侭さすべからず。父母なき子、夫婦に後れし老人、かたわ、病人は恵むべし。みだりに生物を殺すべからず。廃れたるものは、人も器物もなるべく用ゆべし。村中は殊に睦まじくすべし。正直と礼を正しくすべし。自ら働きて人を使うべし。人の上は言うべからず。万事、堪忍すべし。難儀なる事は自分にして易きことは人にゆずるべし。人より仇されたらば、恩にて返すべし。物知り顔すべからず。予算を立て、竈(かまど)を持つべし。朝寝、夜更かし(よふかし)すべからず。遊芸を学ぶべからず。暇あらば学問すべし。無尽を建べからず、加入すべからず。利益ありとて、家業の外の事すべからず。家産は祖先のもの也。人の保証となるべからず。馬口労すべからず。大酒呑むべからず。博奕は勿論賭け事すべからず。煙草のむべからず。流行に入るべからず。深く料理を好むべからず。地形の境を正しくすべし。山林を大切にすべし。貯金、饑飢、備え等怠るべからず。備えは貸すべからず。度々取替るべからず。組合および村中の者へ必ず貸すべからず。この屏風を用いる婚礼と葬式は人の竃に奢りの入る時也。慎むべし。貢租は勿論、他に収むべきものは窮する程速にすべし。経済会は同じ事にても、相談の上すべし。此の事、一身に行わざれば身修まらず、一家に行わざれば家衰う、一村に行わざれば村乱る。慎むべし。 明治三十八年五月九日 於尚庵(しょうあんにおいて) 石川理紀之助 記す
- 2. 遠国(おんごく)の事を学ぶには先ず自国の事を知れ
- 外国のことを学ぶことはよいが、それにはまず自分の国のことを学んでからにしなさい。
- 3. 資金をのみ力にして起こす産は破れ易し
- お金のみ頼りにする事業は破産しやすい。
- 4. 金満家の息子は多く農家の義務を知らず
- 裕福に育った子供の多くは農家の義務を知らない。
- 5. 経済は唯沢山に金銭を持つことに非(あら)ず
- 農家の経済は単に金持ちになることではない。
- 6. 勧業の良結果は多く速成を要せざるにあり
- 産業を奨励して良い成果を得るには、じっくり取り組んで、結果を急いではならない。
- 7. 農家にして蓄財を望まば耕地に貸付けて利を取れ
- 農家で金を貯めたければ、農耕地に手を加えて収益を上げなさい。即ち農地を大切にしなさい。
- 8. 樹木は祖先より借りて子孫に返すものと知れ
- 山林は先祖から借りて子孫に返すものだと心得なさい。即ちみだりに自分で処分してはいけない。
- 9. 人力(じんりょく)のみにて成就するものは永久の産にならず
- 人の力のみで成し得る事は、永久の財産ではない、長く続かない。即ちよく考えて事を為すこと。
- 10. 子孫の繁栄を思わば草木に培養することを以て悟れ
- 子孫の繁栄を願うのであれば、草木に付加価値をつけることが大切である。
- 11. 国の経済を考えて家の経済を行え
- 国全体の利益を考えて、自分の家の利益を考えなさい。即ち国の流れをよく見て考えること。
- 12. 豊年にも大凶作あり気を付けて見よ
- 豊年の年でも大変な事態が起きるかもしれないので、注意深く観察しなさい。
- 13. 金銭はみだりに集むる事易くしてよく使う事難(かた)し
- お金を集める(貯蓄する)ことは簡単だが、有効に使うことは難しい。
- 14. 僥倖(ぎょうこう)の利益は永久の宝に非(あら)ず
- 偶然に得た利益は永久の宝にはならない。
最終戦争論
石原莞爾
第二部 「最終戦争論」に関する質疑回答
「鋒刃の威を仮らずして、坐ら天下を平げん」と考えられた神武天皇は、遂に度々武力を御用い遊ばされ、「よもの海みなはらから」と仰せられた明治天皇は、遂に日清、日露の大戦を御決行遊ばされたのである。釈尊が、正法を護ることは単なる理論の争いでは不可能であり、身を以て、武器を執って当らねばならぬと説いているのは、人類の本性に徹した教えと言わねばならない。一人二人三人百人千人と次第に唱え伝えて、遂に一天四海皆帰妙法の理想を実現すべく力説した日蓮聖人も、信仰の統一は結局、前代未聞の大闘争によってのみ実現することを予言している。
刃に※[#「衄のへん+絆のつくり」衅、U+8845、70-5]らずして世界を統一することは固より、われらの心から熱望するところであるが(六二頁)、悲しい哉、それは恐らく不可能であろう。もし幸い可能であるとすれば、それがためにも最高道義の護持者であらせられる天皇が、絶対最強の武力を御掌握遊ばされねばならぬ。文明の進歩とともに世は平和的にならないで闘争がますます盛んになりつつある。最終戦争の近い今日、常にこれに対する必勝の信念の下に、あらゆる準備に精進しなければならない。
最終戦争によって世界は統一される。しかし最終戦争は、どこまでも統一に入るための荒仕事であって、八紘一宇の発展と完成は武力によらず、正しい平和的手段によるべきである。
更に問題になるのは、たとい未曽有の大戦争があって世界が一度は統一されても、間もなくその支配力に反抗する力が生じて戦争が起り、再び国家の対立を生むのではなかろうかということである。しかしそれは、最終戦争が行なわれ得る文明の超躍的大進歩に考え及ばず今日の文明を基準とした常識判断に過ぎない。瞬間に敵国の中心地を潰滅する如き大威力(三七頁)は、戦争の惨害を極端ならしめて、人類が戦争を回避するに大きな力となるのみならず、かくの如き大威力の文明は一方、世界の交通状態を一変させる。数時間で世界の一周は可能となり、地球の広さは今日の日本よりも狭いように感ずる時代であることを考えるべきである。人類は自然に、心から国家の対立と戦争の愚を悟る。且つ最終戦争により思想、信仰の統一を来たし、文明の進歩は生活資材を充足し、戦争までして物資の取得を争う時代は過ぎ去り人類は、いつの間にやら戦争を考えなくなるであろう(四九―五一頁)。
人類の闘争心は、ここ数十年の間はもちろん、人類のある限り恐らくなくならないであろう。闘争心は一面、文明発展の原動力である。しかし最終戦争以後は、その闘争心を国家間の武力闘争に用いようとする本能的衝動は自然に解消し、他の競争、即ち平和裡に、より高い文明を建設する競争に転換するのである。現にわれわれが子供の時分は、大人の喧嘩を街頭で見ることも決して稀ではなかったが、今日ではほとんど見ることができない。農民は品種の改善や増産に、工業者はすぐれた製品の製作に、学者は新しい発見・発明に等々、各々その職域に応じ今日以上の熱を以て努力し、闘争的本能を満足させるのである。
以上はしかし理論的考察で半ば空想に過ぎない。しかし、日本国体を信仰するものには戦争の絶滅は確乎たる信念でなければならぬ。八紘一宇とは戦争絶滅の姿である。口に八紘一宇を唱え心に戦争の不滅を信ずるものがあるならば、真に憐むべき矛盾である。日本主義が勃興し、日本国体の神聖が強調される今日、未だに真に八紘一宇の大理想を信仰し得ないものが少なくないのは誠に痛嘆に堪えない。
しかし最終戦争は実に人類歴史の最大関節であり、このとき、世界に超常識的大変化が起るのである。今日までの戦争は主として地上、水上の戦いであった。障害の多い地上戦争の発達が急速に行かないことは常識で考えられるが、それが空中に飛躍するときは、真に驚天動地の大変化を生ずるであろう。空中への飛躍は人類数千年のあこがれであった。釈尊が法華経で本門の中心問題、即ち超常識の大法門を説こうとしたとき、インド霊鷲山上の説教場を空中に移したのは、真に驚嘆すべき着想ではないか。通達無碍の空中への飛躍は、地上にあくせくする人々の想像に絶するものがある。地上戦争の常識では、この次の戦争の大変化は容易に判断し難い。
戦争術変化の年数が千年→三百年→百二十五年と逐次短縮して来たことから、この次の変化が恐らく五十年内外に来るであろうとの推断は、固より甚だ粗雑なものであるが、全くのデタラメとは言えない。常識的には今後三十年内外は余りに短いようであるが、次の大変化は、われらの常識に超越するものであることを敬虔な気持で考えるとき、私は「三十年内外」を否定することはよろしくないと信ずるものである。もし三十年内外に最終戦争が来ないで、五十年、七十年、百年後に延びることがあっても、国家にとって少しも損害にならないのであるが、仮に三十年後には来ないと考えていたのに実際に来たならば、容易ならぬこととなるのである。
私は技術・科学の急速な進歩、産業革命の状態、仏教の予言等から、三十年後の最終戦争は必ずしも突飛とは言えないことを詳論した。更に、第一次欧州大戦までは世界が数十の政治的単位に分かれていたのがその後、急速に国家連合の時代に突入して、今日では四つの政治的単位になろうとする傾向が顕著であり、見方によっては、世界は既に自由主義と枢軸の二大陣営に対立しようとしている。準決勝の時期がそろそろ終ろうとするこの急テンポを、どう見るか。
また統制主義を人類文化の最高方式の如く思う人も少なくないようであるが、私はそれには賛成ができない。元来、統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、安全弁を欠く結果となる。ソ連に於ける毎度の粛清工作はもちろん、ドイツに於ける突撃隊長の銃殺、副総統の脱走等の事件も、その傾向を示すものと見るべきである。統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。今日の世界の大勢は各国をして、その最高能率を発揮して戦争に備えるために、否が応でも、また安全性を犠牲にしても、統制主義にならざるを得ざらしめるのである。だから私は、統制主義は武道選手の決勝戦前の合宿のようなものだと思う。
合宿生活は能率を挙げる最良の方法であるけれども、年中合宿して緊張したら、うんざりせざるを得ない。決戦直前の短期間にのみ行なわれるべきものである。
統制主義は、人類が本能的に最終戦争近しと無意識のうちに直観して、それに対する合宿生活に入るための産物である。最終戦争までの数十年は合宿生活が継続するであろう。この点からも、最終戦争はわれらの眼前近く迫りつつあるものと推断する。
文明の性格は気候風土の影響を受けることが極めて大きく、東西よりも南北に大きな差異を生ずる。われら北種は東西を通じて、おしなべて朝日を礼拝するのに、炎熱に苦しめられている南種は同じく太陽を神聖視しながらも、夕日に跪伏する。回教徒が夕日を礼拝するように仏教徒は夕日にあこがれ、西方に金色の寂光が降りそそぐ弥陀の浄土があると考えている。日蓮聖人が朝日を拝して立宗したのは、真の日本仏教が成立したことを意味する。
熱帯では衣食住に心を労することなく、殊に支配階級は奴隷経済の上に抽象的な形而上の瞑想にふけり、宗教の発達を来たした。いわゆる三大宗教はみな亜熱帯に生まれたのである。半面、南種は安易な生活に慣れて社会制度は全く固定し、インドの如きは今なお四千年前の制度を固持して政治的に無力となり、少数の英人の支配に屈伏せざるを得ない状態となった。
北種は元来、住みよい熱帯や亜熱帯から追い出された劣等種であったろうが、逆境と寒冷な風土に鍛錬されて、自然に科学的方面の発達を来たした。また農業に発した強い国家意義と狩猟生活の生んだ寄合評定によって、強大な政治力が養われ今日、世界に雄飛している民族は、すべて北種に属する。南種は専制的で議会の運用を巧みに行ない得ない。社会制度、政治組織の改革は、北種の特徴である。アジアの北種を主体とする日本民族の歴史と、アジアの南種に属する漢民族を主体とする支那の歴史に、相当大きな相違のあるのも当然である。但し漢民族は南種と言っても黄河沿岸はもちろんのこと、揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、ヒマラヤ以南の南種に比べては、多分に北種に近い性格をもっている。
清水氏は 『日本真体制論』に次の如く述べている。
「……寒帯文明が世界を支配はしたけれども、決して寒帯民族そのものも真の幸福が得られなかった。力の強いものが力の弱いものを搾取するという力の科学の上に立った世界は、人類の幸福をもたらさなかった。弱いものばかりでなくて、強いものも同時に不幸であった。本当を言うと、熱帯文明の方が宗教的、芸術的であって、人間の目的生活にそうものである。寒帯文明は結局、人間の経済生活に役立つものであって、これは人間にとって手段生活である。寒帯文明が中心となってでき上がった人間の生活状態というものは、やはり主客転倒したものである。……
この二つのものは別々であってよいかと言うに、これは一つにならなければならないものである。インド人や支那人は、実に深遠な精神文化を生み出した民族であるが今日、寒帯民族のもつ機械文明を模倣し成長せしめることに成功していない。白色人種は、物質文化の行き詰まりを一面に於て唱えながらも、これを刷新せんとする彼らの案は、依然として寒帯文明の範疇を出ることができない。……
とにかく、日本民族は明白に、その特色をもっているのである。この熱帯文明と寒帯文明とが、日本民族によって融合統一され、次の新しい人間の生活様式が創造されなければならない。どうも日本民族をおいて、他にこの二大文明の融合によって第三文明を創造しうる能力をもったものが、外にないと思われる。つまり、寒帯文明を手段として、東洋の精神文化を生かしうる社会の創造である。西洋の機械文明が、東洋の精神文明の手段となるときに、初めて西洋物質文化に意味を生じ、東洋精神文化も、初めて真の発達を遂げうるのである。」
寒帯文明に徹底した物質文明偏重の西洋文明は、即ち覇道文明である。これに対し熱帯文明が王道文明であるかと言えば、そうではない。王道は中庸を得て、偏してはならぬ。道を守る人生の目的を堅持して、その目的達成のための手段として、物質文明を十分に生かさねばならない。即ち、王道文明は清水氏の第三文明でなければならない。
同じ北種でも、アジアの北種とヨーロッパの北種には、その文明に大きな相異を来たしている。日本民族の主体は、もちろん北種である。科学的能力は白人種の最優秀者に優るとも劣らないのみならず、皇祖皇宗によって簡明に力強く宣明せられた建国の大理想は、民族不動の信仰として、われらの血に流れている。しかも適度に円満に南種の血を混じて熱帯文明の美しさも十分に摂取し、その文明を荘厳にしたのである。古代支那の文明は今日の研究では、南種に属する漢人種のものではなく、北種によって創められたものらしいと言われているが、その王道思想は正しく日本国体の説明と言うべきである。この王道思想が漢人種によって唱導されたものでないにせよ、漢民族はよくこの思想を容れ、それを堅持して今日に及んだ。今日の漢民族は多くの北種の血を混じて南北両文明を協調するに適する素質をもち、指導よろしきを得れは、十分に科学文明を活用し得る能力を備えていると信ずる。
西洋北種は古代に於て果して、東洋諸民族の如き大理想を明確にもっていたであろうか。仮にあったにせよ、物質文明の力に圧倒され、かれらの信念として今日まで伝えられるだけの力はなかったのである。ヒットラーは古代ゲルマン民族の思想信仰の復活に熱意を有すると聞くが、ヒットラーの力を以てしても、民族の血の中に真生命として再生せしめることは至難であろう。ヨーロッパの北種はフランスを除けば、イギリスの如き地理的関係にあっても南種の混血は比較的少なく、ドイツその他の北欧の諸民族は、ほとんど北種間のみの混血で、現実主義に偏する傾向が顕著である。殊にヨーロッパでは強力な国家が狭小な地域に密集して永い間、深刻な闘争をくり返し、科学文明の急速な進歩に大なる寄与をなしたけれども、その覇道的弊害もますます増大して今日、社会不安の原因をなし、清水氏の主張の如く、これも根本的に刷新することが不可能である。
西洋文明は既に覇道に徹底して、みずから行き詰まりつつある。王道文明は東亜諸民族の自覚復興と西洋科学文明の摂取活用により、日本国体を中心として勃興しつつある。人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。
最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。
自由主義時代は経済が政治を支配するに至ったのであるが、統制主義時代は政治が経済を支配せねばならぬ。世の中には今や大なる変化を生じつつある。しかし僅々三十年後にはなお、社会の最大関心事が依然として経済であり、主義が戦争の最大原因となるとは考えられない。けれども最終戦争を可能にする文明の飛躍的進歩は、半面に於て生活資材の充足を来たし、次第に今日のような経済至上の時代が解消するであろう。経済はどこまでも人生の目的ではなく、手段に過ぎない。人類が経済の束縛からまぬがれ得るに従って、その最大関心は再び精神的方面に向けられ、戦争も利害の争いから主義の争いに変化するのは、文明進化の必然的方向であると信ずる。即ち最終戦争時代は、戦争の最大原因が既に主義となる時代に入りつつあるべきはずである。
文明の実質が大変化をしても、人類の考えは容易にそれに追随できないために、数十年後の最終戦争に於ける最初の動機は、依然として経済に関する問題であろう。しかし戦争の進行中に必ず急速に戦争目的に大変化を来たして、主義の争いとなり、結局は王覇両文明の雌雄を決することとなるものと信ずる。日蓮聖人が前代未聞の大闘争につき、最初は利益のために戦いつつも争いの深刻化するに従い、遂に頼るべきものは正法のみであることを頓悟して、急速に信仰の統一を来たすべきことを説いているのは、最終戦争の本質をよく示すものである。
第一次欧州大戦以来、大国難を突破した国が逐次、自由主義から統制主義への社会的革命を実行した。日本も満州事変を契機として、この革新即ち昭和維新期に入ったのであるが、多くの知識人は依然として内心では自由主義にあこがれ、また口に自由主義を非難する人々も多くは自由主義的に行動していた。しかるに支那事変の進展中に、高度国防国家建設は、たちまち国民の常識となってしまった。冷静に顧みれば、平和時には全く思い及ばぬ驚異的変化が、何の不思議もなく行なわれてしまったのである。最終戦争の時代をおおむね二十年内外と空想したが(四六頁)、この期間に人類の思想と生活に起る変化は、全く想像の及ばぬものがある。経済中心の戦争が徹底せる主義の争いに変化するとの判断は、決して突飛なものとは言われない。
諸民族が長きは数千年の歴史によってその文化を高め、人類は近時急速にその共通のあこがれであった大統一への歩みを進めつつある。明治維新は日本の維新であったが、昭和維新は正しく東亜の維新であり、昭和十三年十二月二十六日の第七十四回帝国議会開院式の勅語には「東亜ノ新秩序ヲ建設シテ」と仰せられた。更にわれらは数十年後に近迫し来たった最終戦争が、世界の維新即ち八紘一宇への関門突破であると信ずる。
明治維新は明治初年に行なわれ、明治十年の戦争によって概成し、その後の数十年の歴史によって真に統一した近代民族国家としての日本が完成したのである。昭和維新の眼目である東亜の新秩序即ち東亜の大同は、満州事変に端を発し支那事変で急進展をなしつつあるが、その完成には更に日本民族はもちろん、東亜諸民族の正しく深い認識と絶大な努力を要する。
今日われらは、まず東亜連盟の結成を主張している。東亜連盟は満州建国に端を発したのであり当時、在満日本人には一挙に天皇の下に東亜連邦の成立を希望するものも多かったが、漢民族は未だ時機熟せずとして、日満華の協議、協同による東亜連盟で満足すべしと主張し、遂に東亜新秩序の第一段階として採用されるに至った。
東亜の新秩序は、最終戦争に於て必勝を期するため、なるべく強度の統一が希望される。東亜諸民族の疑心暗鬼が除去されたならば、一日も速やかに少なくも東亜連邦に躍進して、東亜の総合的威力の増進を計らねばならぬ。更に各民族間の信頼が徹底したならば、東亜の最大能力を発揮するために諸国家は、みずから進んで国境を撤廃し、その完全な合同を熱望し、東亜大同国家の成立即ち大日本の東亜大拡大が実現せられることは疑いない。特に日本人が「よもの海みなはらから」「西ひがしむつみかわして栄ゆかん」との大御心のままに諸民族に対するならば、東亜連邦などを経由することなく、一挙に東亜大同国家の成立に飛躍するのではなかろうか。
われらは、天皇を信仰し心から皇運を扶翼し奉るものは皆われらの同胞であり、全く平等で天皇に仕え奉るべきものと信ずる。東亜連盟の初期に於て、諸国家が未だ天皇をその盟主と仰ぎ奉るに至らない間は、独り日本のみが天皇を戴いているのであるから、日本国は連盟の中核的存在即ち指導国家とならなければならない。しかしそれは諸国家と平等に提携し、われらの徳と力により諸国家の自然推挙によるべきであり、紛争の最中に、みずから強権的にこれを主張するのは、皇道の精神に合しないことを強調する。日本の実力は東亜諸民族の認めるところである。日本が真に大御心を奉じ、謙譲にして東亜のために進んで最大の犠牲を払うならば、東亜の諸国家から指導者と仰がれる日は、案外急速に来ることを疑わない。日露戦争当時、既にアジアの国々は日本を「アジアの盟主」と呼んだではないか。
東亜連盟は東亜新秩序の初歩である。しかも指導国家と自称せず、まず全く平等の立場において連盟を結成せんとするわれらの主張は世人から、ややもすれば軟弱と非難される。しかり、確かにいわゆる強硬ではない。しかし八紘一宇の大理想必成を信ずるわれらは絶対の大安心に立って、現実は自然の順序よき発展によるべきことを忘れず、最も着実な実行を期するものである。下手に出れば相手はつけあがるなどと恐れる人々は、八紘一宇を口にする資格がない。
最終戦争と言えば、いかにも突飛な荒唐無稽の放談のように考え、また最終戦争論に賛意を表するものには、ややもすればこの戦争によって人類は直ちに黄金世界を造るように考える人々が多いらしい。共に正鵠を得ていない。最終戦争は近く必ず行なわれ、人類歴史の最大関節であるが、しかしそれを体験する人々は案外それほどの激変と思わず、この空前絶後の大変動期を過ごすことは、過去の革命時代と大差ないのではなかろうか。
最終戦争によって世界は統一する。もちろん初期には幾多の余震をまぬがれないであろうが、文明の進歩は案外早くその安定を得て、武力をもって国家間に行なわれた闘争心は、人類の新しい総合的大文明建設の原動力に転換せられ、八紘一宇の完成に邁進するであろう。日本の有する天才の一人である清水芳太郎氏は『日本真体制論』の中に、その文明の発展について種々面白い空想を述べている。
植物の一枚の葉の作用の秘密をつかめたならば、試験管の中で、われわれの食物がどんどん作られるようになり、一定の土地から今の恐らく千五百倍ぐらいの食料が製造できる。また豚や鶏を飼う代りに、繁殖に最も簡単なバクテリヤを養い、牛肉のような味のするバクテリヤや、鶏肉の味のバクテリヤ等を発見して、極めて簡単に蛋白質の食物が得られるようになる。これは決して夢物語ではなく、既に第一次欧州大戦でドイツはバクテリヤを食べたのである。
次に動力は貴重な石炭は使わなくとも、地下に放熱物体――ラジウムとかウラニウム――があって、地殻が熱くなっているのであるから、その放熱物体が地下から掘り出されるならば、無限の動力が得られるし、また成層圏の上には非常に多くの空中電気があるから、これを地上にもって来る方法が発見できれば、無限の電気を得ることになる。なお成層圏の上の方には地上から発散する水素が充満している。その水素に酸素を加えると、これがすばらしい動力資源になる。従って飛行機でそこまで上昇し、その水素を吸い込んでこれを動力とすれば、どこまでも飛べる。そして降りるときには、その水素を吸い込んで来て、次に飛び上がるときにこれを使用する。このようにして世界をぐるぐる飛び廻ることは極めて容易である。
この時代になると不老不死の妙法が発見される。なぜ人間が死ぬかと言えば、老廃物がたまって、その中毒によるのである。従ってその老廃物をどしどし排除する方法が採られるならば生命は、ほとんど無限に続く。現にバクテリヤを枯草の煮汁の中に入れると、極めて元気に猛烈な繁殖をつづける。暫くして自分の排出する老廃物の中毒で次第に繁殖力が衰えてゆくが、また新しい枯草の汁の中に持ってゆくと再び活気づいて来る。かくして次々と煮汁を新しくしてゆけば何時までも生きている。即ち不老不死である。
しからば人間が不老不死になると、人口が非常に多くなり世界に充満して困るではないかということを心配する人があるかも知れない。しかしその心配はない。自然の妙は不思議なもので、サンガー夫人をひっぱって来る必要がない。人間は、ちょうどよい工合に一人が千年に一人ぐらい子供を産むことになる。これは接木や挿木をくりかえして来た蜜柑には種子がなくなると同じである。早く死ぬから頻繁に子供を産むが、不老不死になると、人間は淡々として神様に近い生活をするに至るであろう。
また時間というものは結局温度である。人を殺さないで温度を変える。物を壊さないで温度を上げることができれば、十年を一年にちぢめることは、たやすいことである。逆に温度を下げて零下二百七十三度という絶対温度にすると、万物ことごとく活動は止まってしまう。そうなると浦島太郎も夢ではない。真に自由自在の世界となる。
更に進んで突然変異を人工的に起すことによって、すばらしい大飛躍が考えられる。即ち人類は最終戦争後、次第に驚くべき総合的文明に入り、そして遂には、みずから作る突然変異によって、今の人類以上のものが、この世に生まれて来るのである。仏教ではそれを弥勒菩薩の時代というのである。
清水氏の空想の如き時代となれば、人類がその闘争本能を戦争に求めることは到底考えることができない。要は質問者の言う如く、世界の政治的統一は決して一挙に行なわれるのではなく、人類の文明は、すべて不断の発展を遂げるのである。しかし文明の発展には時に急湍がある。われらは最終戦争が人類歴史上の最大急湍であることを確認し、今からその突破にあらゆる準備を急がねばならぬ。
過去数百年は白人の世界征服史であり今日、全世界が白人文明の下にひれ伏している。その最大原因は白人の獲得した優れた戦争力である。しかし戦争は断じて人生や国家の目的ではなく、その手段にすぎない。正しい根本的な戦争観は西洋に存せずして、われらが所有する。
三種の神器の剣は皇国武力の意義をお示し遊ばされる。国体を擁護し皇運を扶翼し奉るための武力の発動が皇国の戦争である。
最も平和的であると信ぜられる仏教に於ても、涅槃経に「善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして刀剣弓箭鉾槊を持すべし」「五戒を受持せん者あらば名づけて大乗の人となすことを得ず。五戒を受けざれども正法を護るをもって乃ち大乗と名づく。正法を護る者は正に刀剣器仗を執持すべし」と説かれてあり、日蓮聖人は「兵法剣形の大事もこの妙法より出たり」と断じている。
右のような考え方が西洋にあるかないかは無学の私は知らないが、よしあったにせよ、今日のかれらに対しては恐らく無力であろう。戦争の本義は、どこまでも王道文明の指南にまつべきである。しかし戦争の実行方法は主として力の問題であり、覇道文明の発達した西洋が本場となったのは当然である。
日本の戦争は主として国内の戦争であり、民族戦争の如き深刻さを欠いていた。殊に平和的な民族性が大きな作用をして、敵の食糧難に同情して塩を贈った武将の心事となり、更に戦の間に和歌のやりとりをしたり、あるいは那須の与一の扇の的となった。こうなると戦やらスポーツやら見境いがつかないくらいである。武器がすばらしい芸術品となったことなどにも日本武力の特質が現われている。
東亜大陸に於ては漢民族が永く中核的存在を持続し、数次にわたり、いわゆる北方の蕃族に征服されたものの、強国が真剣に相対峙したことは西洋の如くではない。殊に蕃族は軍事的に支那を征服しても、漢民族の文化を尊重したのである。また東亜に於ては西洋の如く民族意識が強烈でなく、今日の研究でも、いかなる民種に属するかさえ不明な民族が、歴史上に存在するのである。しかも東亜大陸は土地広大で戦争の深刻さを緩和する。
ヨーロッパは元来アジアの一半島に過ぎない。あの狭い土地に多数の強力な民族が密集して多くの国家を営んでいる。西洋科学文明の発達はその諸民族闘争の所産と言える。東洋が王道文明の伝統を保ったのに対し、西洋が覇道文明の支配下に入った有力な原因は、この自然的環境の結果と見るべきである。覇道文明のため戦争の本場となり、且つ優れた選手が常時相対しており、戦場も手頃の広さである関係上、戦争の発達は西洋に於て、より系統的に現われたのは当然である。私の知識の不十分から、研究は自然に西洋戦史に偏したのであるが、戦争の形態に関する限り甚だしい不合理とは言えないと信ずる。
私の戦争史が西洋を正統的に取扱ったからとて、一般文明が西洋中心であると言うのではないことを特に強調する。
右の如く同一時代に於て、ある時には決戦戦争が行なわれ、ある所では持久戦争となったのである。決戦・持久両戦争が時代的に交互するとの見解は十分に検討されなければならない。
如何なる時、如何なる所に於ても、両交戦国の戦争力に甚だしい懸隔があるときは持久戦争とはならないのは、もちろんであり、第二次欧州大戦に於けるドイツと弱小国家との間の如き、これである。戦争本来の面目はもちろん決戦戦争にあるが、戦争力がほぼ相匹敵している国家間に持久戦争の行なわれる原因は次の如くである。
1 軍隊価値の低下
文芸復興以来の傭兵は全く職業軍人である。生命を的とする職業は少々無理があるために、如何に訓練した軍隊でも、徹底的にその武力を運用することは困難であった。これがフランス革命まで持久戦争となっていた根本原因である。フランス革命の軍事的意義は職業軍人から国民的軍隊に帰ったことである。近代人はその愛国の赤誠によってのみ、真に生命を犠牲に供し得るのである。
支那に於ては、唐朝の全盛時代に於て国民皆兵の制度が破れて以来、その民族性は、極端に武を卑しみ、今日なお「好人不当兵」の思想を清算し得ないで、武力の真価を発揮しにくい状態にある。
日本の戦国時代に於ける武士は、日本国民性に基づく武士道によって強烈な戦闘力を発揮したのであるが、それでもなお且つ買収が行なわれ当時の戦争は、いわゆる謀略中心となり、必要の前には父母、兄弟、妻子までも利益のために犠牲としたのである。戦国時代の日本武将の謀略は、中国人も西洋人も三舎を避けるものがあった。日本民族はどの途にかけても相当のものである。今日、謀略を振り廻しても余り成功しないのは、徳川三百年の太平の結果である。
2 防禦威力の強大
戦争に於ける強者は常に敵を攻撃して行き、敵に決戦戦争を強制しようとするのである。ところが、そのときの戦争手段が甚だしく防禦に有利な場合には、敵の防禦陣地を突破することができないで、攻者の武力が敵の中枢部に達し得ず、やむなく持久戦争となる。
フランス革命以来、決戦戦争が主として行なわれたのであるが、第一次欧州大戦に於ては防禦威力の強大が戦争を持久せしめるに至った。第二次欧州大戦では戦車の進歩と空軍の大発達が攻撃威力を増加して、敵線突破の可能性を増加し、第一次欧州大戦当時に比し、決戦戦争の方向に傾きつつある。
戦国時代の築城は当時の武力をもってしては力攻することが困難で、それが持久戦争の重大原因となった。謀略が戦争の極めて有力な手段となったのは、それがためである。
ナポレオンは十年にわたるイギリスとの持久戦争を余儀なくされ、遂に敗れた。イギリスはその貧弱な陸上兵力にかかわらず、ドーバー海峡という恐るべき大水濠の掩護によって、ナポレオンの決戦戦争を阻止したのである。今日のナチス・ドイツに対する頑強な抵抗も、ドーバー海峡に依存している。イギリスのナポレオン及びヒットラーに対する持久戦争は、ドーバー海峡による防禦威力の強大な結果と見るべきである。
3 国土の広大
攻者の威力が敵の防禦線を突破し得るほど十分であっても、攻者国軍の行動半径が敵国の心臓部に及ばないときは、自然に持久戦争となる。
ナポレオンはロシヤの軍隊を簡単に撃破して、長駆モスコーまで侵入したのであるが、これはナポレオン軍隊の堅実な行動半径を越えた作戦であったために、そこに無理があった。従ってナポレオン軍の後方が危険となり、遂にモスコー退却の惨劇を演じて、大ナポレオン覇業の没落を来たしたのである。ロシヤを護った第一の力は、ロシヤの武力ではなく、その広大な国土であった。
第二次欧州大戦に於て、ソ連はドイツに対する唯一の強力な全体主義国防国家として、強大な武力をもっていた。統帥よろしきを得たならば、スターリン陣地を堅持して、ドイツと持久戦争を交え得る公算も、絶無ではなかったろうと考えられるが、ドイツの大奇襲にあい、スターリン陣地内に大打撃を受けて作戦不利に陥り、まさにモスコーをも失おうとしつつある。しかしスターリンが決心すれば、その広大な国土によって持久戦争を継続し得るものと想像される。
今次事変に於ける蒋介石の日本に対する持久戦争は中国の広大な土地に依存している。
右三つの原因の中、3項は時代性と見るべきでなく、国土の広大な地方に於ては両戦争の時代性が明確となり難い。ただし時代の進歩とともに、決戦戦争可能の範囲が逐次拡大することは当然であり、ある武力が全世界の至るところに決戦戦争を強制し得るときは、即ち最終戦争の可能性が生ずるときである。
1項は一般文化と不可分であり、2項は主として武器や築城に制約される問題であって、時代性と密接な関係がある。ただし海軍により海を以て完全な障害となし得る敵に対しては、今日までは決戦戦争が不可能であった。空軍が真の決戦軍隊となるとき、初めてその障害が全く力を失うのである。
即ち土地の広漠な東洋に於ては、両戦争の時代性が明確であると言い難いが、強国が相隣接し国土も余り広くなく、しかも覇道文明のために戦争の本場である欧州に於ては、両戦争が時代性と密に関連し、従って両戦争が交互に現われる傾向が顕著であった。特に現代の西欧では、軍隊の行動半径に対し土地の広さはますます小さくなり、しかも兵力の増加は敵正面の迂回を不可能にするため、戦争の性質は緊密に兵器の威力に関係し、全く時代の影響下に入ったものと言うべきである。
刀槍は裸体の個人間の闘争には決戦的武器であるが、鎧の進歩によってその威力は制限され、殊に築城に拠る敵を攻撃することは甚だしく困難となる。
小銃は攻撃よりも防禦に適する点が多い。殊に機関銃の防禦威力は、すこぶる大きい。これに対し、火砲は小銃に比し攻撃を有利にするが、その威力も築城と防禦方法の進歩により掣肘される。即ち近時の機関銃の出現と築城の進歩とは防禦威力を急速に高めたが、大口径火砲の大量使用は一時、敵線の突破を可能ならしめた。しかるに陣地が巧みに分散するに従って、火砲の支援による敵線の突破は再び至難となった。
戦車は攻撃的兵器である。第一次欧州大戦に於ける戦車の出現は、戦術界に大衝動を与えたが、その質と量とは未だ持久戦争から決戦戦争への変化を起させるまでには至らなかった。爾来二十数年、第二次欧州大戦に於ける戦車の数と質の大進歩は、空軍の威力と相俟って、ドイツ軍が弱小国及びフランスに果敢な決戦戦争を強制し得た原因の一つである。しかし真剣な努力を以てすれば、戦車の整備に対し対戦車砲の整備は却って容易であり、戦車による敵陣地の突破は、十分に準備した敵に対しては今日といえども必ずしも容易とは言えない。
しかるに飛行機となると、戦車が地上兵器としては極めて決戦的であるのに対しても、全く比較を絶する決戦的兵器である。地上の戦闘では土地が築城に利用され、場所によってはそのまま強い障害ともなり、防禦に偉大な力となる。水上では土地の如き利用物がなく、防禦戦闘は至難であり、防ぐ唯一の手段は攻めることである。更に空中戦に於ては、防禦は全く成立しない。
海上よりの攻撃に対する陸上の防禦は比較的容易である。大艦隊をもってしても、時代遅れの海岸要塞を攻略することの不可能であった歴史が多い。しかも海上から陸上を攻撃し得る範囲は極めて狭い。しかるに空中からの陸上や海上に対する攻撃の威力は極めて大きいのに対し、防空は至難である。対空射撃その他の防空戦闘の方法は進歩しても、成層圏にも行動し速度のますます大となる飛行機に対しては、小さな目標はとにかく、大都市の如き大目標防衛のための地上よりする防禦戦闘は、制空権を失えば、ほとんど不可能に近い。空軍のこの威力に対し、あらゆるものを地下に埋没しようとしても実行は至難であり、仮に可能としても、各種の能力を甚だしく低下させることは、まぬかれ難い。
空軍に対する国土の防衛は、ますます困難となるであろう。成層圏を自由自在に駆ける驚異的航空機、それに搭載して敵国の中枢部を破壊する革命的兵器は、あらゆる防禦手段を無効にして、決戦戦争の徹底を来たし、最終戦争を可能ならしめる。
飛行機も軍艦と同様である。飛行機によって敵をいためるのではない。迅速に、遠距離に爆弾等を送り得ることが、飛行磯の兵器としての価値である。
もし殺人光線、殺人電波その他の恐るべき新兵器が数千、数万キロメートルの距離に猛威をほしいままにし得るに至ったならば、航空機が兵器としての絶対性を失い、空軍建設の必要がなくなるわけである。しかし最終戦争に用いられる直接敵を撃滅する兵器が、みずからかくの如き遠距離に威力を発揮し得ない限り、将来ますます行動力の飛躍的発展を見るべき航空機によることが必要であり、空軍が決戦軍隊として最終戦争に活用されなければならない。即ち破壊兵器として今日の爆弾に代る恐るべき大威力のものが発明されることと信ずるが、これを遠距離に運んで、敵を潰滅するために航空機が依然として必要であろう。
戦闘機は燃料の制限を受けて行動半径が小さいのみでなく、飛行機の進歩に伴い、余り小型のものは、いろいろな掣肘を受け、大型機の速度増加に対して在来の如き優位の保持が困難となるし、大型爆撃機の巧妙な編隊行動と武装の向上によって、戦闘機の価値は逐次低下するものと判断されたのである。しかるに支那事変及び第二次欧州大戦の経験によれは、制空権獲得のためには戦闘機の価値は依然として極めて高い。
敵に爆弾を投ずる爆撃機の任務は固より重大であるが、将来とも空中戦の主体は依然として戦闘機であるとも考えられる。動力の大革命が行なわれ小型戦闘機の行動半径が大いに飛躍すれば、戦闘機は空中戦の花形として、ますます重要な位置を占める可能性がある。大型機は編隊行動と火力のみでなく、装甲等による防禦をも企図するであろうが、空中では水上のような重量の大きな防禦設備は望み難く、小型機はその攻撃威力を十分に発揮できる。空中戦の優者が戦争の運命を左右し、空中戦の勝負は主として小型戦闘機で決せられるものとせば、指揮単位が個人と言うのが正しいこととなる。
統制には、混雑と力の重複を避けるために必要の強制即ち専制的威力を用いると同時に、各兵、各部隊の自主的独断的活動は更に多くを要求されるのである。専制的強制は自由活動を助長するためである(二八頁)。即ち統制は自由から専制への後退ではなく、自由と専制を巧みに総合、発展させた高次の指導精神でなければならない。
専制は封建時代に於ける社会の指導精神であり、封建はすべての優秀民族が一度は経験したところである。文化のある時期には封建を必要とするのである。朝鮮の近世の衰微は、過早に郡県政治が行なわれ、官吏の短い在職期間に、できるだけ多く搾取しようとした官僚政治により、遂に国民の生産的、建設的企図心を根底的に消磨し、生活し得る最小限度の生産が、人民の経済活動の目標となった結果であった。封建君主がその領土、人民を子孫に伝えるため、十分にこれを愛惜する専制政治は、その時代には最もよい制度であったのである。しかし人智の進歩は遂に専制下では十分にその進歩的能力を活用し得ないようになり、フランス革命前後に優秀諸民族の間に自由主義革命が逐次実行され、溌剌たる個人の創意が尊重されて、文明は驚異的進歩を見た。
しかし、ものにはすべて限度がある。個人自由の放任は社会の進歩とともに各種の摩擦を激化し、今日では無制限の自由は社会全体の能率を挙げ得ない有様となった。統制はこの弊害を是正し、社会の全能率を発揮させるために自然に発生して来た新時代の指導精神に外ならない。戦闘指導精神が自由から統制に進んだと同一理由である(二八頁)。
新しく統制に入るには、自由主義時代に行き過ぎた私益中心を抑えるために、最初は反動的に専制即ち強制を相当強く用いなければならないのは、やむを得ないことである。殊に社会的訓練の経験に乏しいわが国に於て、ややもすれば統制が自由からの進歩ではなく自由から統制への後退であるが如き場面をも生じたのは、自然の勢いと言わねばならぬ。しかし統制によって社会、国家の全能力を遺憾なく発揮するためにも、個人の創意、個人の熱情が依然として最も重要であるから、無益の摩擦、不経済な重複を回避し得る範用内に於て、ますます自由を尊重しなければならない。元来、理想的統制は心の統一を第一とし、法律的制限は最小限に止めるべきである。官憲統制よりも自治統制の範囲を拡大し得るようになることが望ましい。即ち統制訓練の進むに従って、専制的部面は逐次縮小されるべきである。
準決勝戦時代の統制訓練により、最終戦争時代の社会指導精神は、今日の統制より遥かに自由を尊重して、更に積極的に国家の全能力を発揮し得るものに進歩するであろう。「戦争史大観」では、兵役がフランス革命までの傭兵時代に於ては「職業」であったのに、フランス革命以後「義務」となったが、最終戦争時代は更に「義務」から「義勇」に進むものと予断している(一一八頁及び付表第二)。英米の傭兵を義勇兵と訳するのは適当でない。ここに言う「義勇」は皇運扶翼のために進んで一身を捧げる真の義勇兵である。
フランス革命後、兵力が激増し殊に準決勝時代である今日の持久戦には、全健康男子が戦線に動員される。かくの如き大動員は義務を必要とする。最終戦争では、敵の攻撃を受けて堪え忍ぶ消極的戦争参加は全国民となるが、攻勢的軍隊は少数の精鋭を極めたものとなるであろう(三六―三七頁)。
かくの如き軍隊には公平に徴募する義務兵では適当と言えぬ。義務はまだ消極的たるをまぬがれない。人も我も許す真に優れた人々の義勇的参加であることが最も望ましい。ナチスの突撃隊、ファッショの黒シャツ隊等は、この傾向に示唆を与えているのではなかろうか。
戦闘指導精神も兵役と同一の方向をとり、最終戦争時代の社会指導精神と同じく、今日の統制よりも更に多くの自由を許すことにより、戦闘能力の積極的発揮に努めることとなるであろう。即ち自由と統制との総合発展ではなかろうか。
更に最終戦争終了後、即ち八紘一宇の建設期に入れば、人々の自由は更に高度に尊重され、全人類一致精進の中にも、各人は精錬された自由の精神を以て、自主的に良心的にその全能力を発揮するような社会状態となるであろう。
統制主義の今日は、人類歴史中最も緊張した時代であり、少々の無理があっても最短期間に最大効果を挙げようとする合宿時代である。
この頃の日本人は口に精神第一を唱えながら、資源獲得にのみ熱狂している。ドイツの今日は資源貧弱の苦境を克服するための努力が科学、技術の進歩をもたらしたのである。ドイツを尊敬する人は、まずこの点を学ぶべきである。特に最終戦争と不可分の関係にある、いわゆる第二産業革命に直面しつつある今日、この点が最も肝要である。
資源もある程度は必要である。しかるに日満支だけでも実に莫大な資源を蔵している。世界無比の日本刀を鍛えた砂鉄は八十億トン、あるいは百億トンと言われている。これだけでも鉄について日本は世界一の資源を持っていると言える。ただ砂鉄の少ない西洋の製鉄法を模倣して来た日本は、まだ砂鉄精錬に完全な成功を収めなかった。最近は純日本式の卓抜な方法が成功しつつある。楢崎式の如き、それである。満州国の鉄の埋蔵量もすばらしい。石炭は日本内にも相当にあるが、満州国の東半分は、どこを掘っても豊富な石炭が出て来る。更に山西に行けば世界衆知の大資源がある。石油は日本国内にも、まだまだある。熱河から陜西、甘粛、四川、雲南を経てビルマに至るアジアの大油脈があることは確実らしく、蘭印の石油はその末端と言われる。現に熱河には石油が発見され、陜西、甘粛、四川に油の出ることは世人の知るところである。大規模な試掘を強行せねばならぬ。石炭液化も今日まで困難な路を歩んで来たが、そろそろ純日本式の簡単で優秀な世界無比の能率よい方式が成功しつつある。前記の楢崎式の成功は、われらの確信するところである。その他の資源も決して恐れるに足りない。山西、陜西、四川以西の地は、ほとんど未踏査の地方で、いかなる大資源が出るかも計り難い。
東亜の最大強味は人的資源である。生産の最大重要要素は今日以後は特に人的資源である。日本海、支那海を湖水として日満支三国に密集生活している五億の優秀な人口は、真に世界最大の宝である。世人は支那の教育不振を心配するが、大したことはない。支那人は驚くべき文化人である。世界の驚異である美術工芸品を造ったあの力を活用し、速やかに高い能力を発揮し得ることを疑わない。
ただ問題となるのは、この人的物的資源を僅々二十年内に大動員し得るかである。固より困難な大作業である。しかし革命によって根底的に破壊したソ連が、資源は豊富であるにせよ、広大な地域に資源も人も分散している不利を克服し、あの蒙昧な人民を使用して五年、十年の間に成功した生産力の大拡張を思うとき、われらは断じて成功を疑うことができない。ただし偉大な達見と強力な政治力が必要だ。一億一心も滅私奉公も、明確なこの大目標に力強く集中されて初めて真の意義を発揮する。
特に私の強調したいのは、西洋人が物質文明に耽溺しているのに、われらは数千年来の父祖の伝統によって、心から簡素な生活に安んじ得る点である。日本の一万トン巡洋艦が同じアメリカの甲級巡洋艦に比べて、その戦闘力に大きな差異があるのは、主として日本の海軍軍人の剛健な生活のためである。先日、私は秋田県の石川理紀之助翁の遺跡を訪ねて、無限の感にうたれた。翁は十年の長い年月、草木谷という山中の四畳半ぐらいの草屋に単身起居し、その後、後嗣の死に遇い、やむなく家に帰った後も、極めて狭い庵室で一生を送った。この簡素極まる生活の中に数十万首の歌を詠み、香を薫じ、茶をたてつつ、誠に高い精神生活を営み、且つ農事その他に驚くべく進歩した科学的研究、改善を行なったのである。この東洋的日本的精神を生かし、生活を最大級に簡素化し、すべてを最終戦争の準備に捧げることにより、西洋人の全く思い及ばぬ力を発揮し得るのである。日本主義者は空論するよりも率先してこれを実行せねばならぬ。この簡素生活は目下国民の頭を悩ましつつある困難な防空にも、大きな光明を与えるものと信ずる。
困難ではあるが、われらは必ず二十年以内に米州を凌駕する戦争力を養い得るだろう。ここで注意すべきことは、持久戦争時代の勝敗を決するものは主として量の問題であるが、決戦戦争時代には主として質が問題となることである。しかし、われらが断然新しい決戦兵器を先んじて創作し得たならば、今日までの立遅れを一挙に回復することも敢えて難事ではない。時局が大急転するときは、後進国が先進者を追い越す機会を捉えることが比較的に容易である。科学教育の徹底、技術水準の向上、生産力の大拡充が、われらの奮闘の目標であるが、特に発明の奨励には国家が最大の関心を払い、卓抜果敢な方策を強行せねばならぬ。
発明奨励のために国民が第一に心掛けねばならないのは、発明を尊敬することである。日本に於ける天才の一人である大橋為次郎翁は、皇紀二千六百年記念として、明治神宮の近くに発明神社を建て、東西古今を通じて、卓抜な発明によって人類の生活に大きな幸福を与えてくれた人々を祭りたいと、熱心に運動していた。私は極めて有意義な計画と信ずるが、残念ながら創立できなかった。願わくば全国民が胸の中に発明神社を建てて頂きたい。この重大時期に於て天才はややもすれば社会的重圧の下に葬られつつある。
発明奨励の方法は官僚的では絶対にいけない。よろしく成金を動員すべきである。独断で思い切った大金を投げ出し得るものでなければ、発明の奨励はできない。発明がある程度まで成功すれば、その発明家に重賞を与えるとともに、その発明を保護したものに対しては勲章を賜わるようお願いする。現在では勲章は主として官吏に年功によって授けられる。自由主義時代ならば、国家の統制下にある官吏が特別の恩賞に浴するのは当然であろうが、統制時代には、真に国家に積極的な功績のあったものに、職域等にこだわらず、公正に恩賞を賜わることが肝要である。発明の価値によっては、その保護者に授爵も奏請すべきである。更に一代の内に儲けた財産に対しては極めて高い相続税を課する等の方法を講じたならば、成金は自分の儲けた全部を発明奨励に出すことになるだろう。自分の力によって儲けた富を最終戦争準備の発明奨励に捧げることは、昭和時代の成金の名誉であり、誇りでなければならぬ。
成功の確実な見込がついた発明は、これを国家の研究機関で総合的学術の力によって速やかに工業化する。大研究機関の新設は固より必要であるが、全日本の研究機関を、形式的でなく有機的に統一し、その全能力を自主積極的に発揮させるべきである。
最終戦争のためには、どれだけの地域をわが協同範囲としなければならないかは一大問題である。作戦上及び資源関係よりすれば、なるべく広い範囲が希望されるのであるが、同時に戦争と建設とはなかなか両立し難く、大建設のためにはなるべく長い平和が希望される。徒らに範囲拡大のために力を消耗することは、慎重に考えねばならぬ。このことについても持久戦争時代と異なり、決戦戦争に徹底する最終戦争に於ては、必ずしも広い地域を作戦上絶対的に必要とはしないのである。優秀な武力が一挙に決戦を行ない得るからである。
以上の如く、われらが最終戦争に勝つための客観的条件は固より楽観すべきではないが、われらの全能力を総合運用すれば、断じて可能である。そしてこの超人的事業を可能にするものは、国民の信仰である。八紘一宇の大理想達成に対する国民不動の信仰が、いかなる困難をも必ず克服する。苦境のどん底に落ちこんでも泰然、敢然と邁進する原動力は、この信仰により常に光明と安心とを与えられるからである。日本国体の霊力が、あらゆる不足を補って、最終戦争に必勝せしめる。
私の軍事科学の説明が甚だ不十分であることは、固より自認するところである。しかしかくの如き総合的社会現象を完全に科学をもって証明することは不可能のことである。科学的とみずから誇るマルクス主義に於てすら、資本主義時代の後に無産者独裁の時代が来るとの判断は結局、一つの推断であって、決して科学的に正確なものとは言えない。この見地に立てば、不完全な私の最終戦争必至の推断も相当に科学的であるとも言い得るではなかろうか。日本の知識人は今日まで軍事科学の研究を等閑にし、殊に自由主義時代には、歴史に於て戦争の研究を、ことさらに軽視していた。戦争は人類の有するあらゆる力を瞬間的に最も強く総合運用するものであるから、その歴史は文明発展の原則を最も端的に示すものと言うべきである。また戦争は多くの社会現象の中で最も科学的に検討し易いものではなかろうか。
近時、宗教否定の風潮が強いのに乗じ、「『最終戦争論』に予言を述べているのは穏当を欠く。予言の如きは世界を迷わすものである」と批難する人が多い由を耳にする。人智がいかに進んでも、脳細胞の数と質に制約されて一定の限度があり、科学的検討にも、おのずから限度がある。そしてそれは宇宙の森羅万象に比べては、ほんの局限された一部分に過ぎない。宇宙間には霊妙の力があり、人間もその一部分をうけている。この霊妙な力を正しく働かして、科学的考察の及ばぬ秘密に突入し得るのは、天から人類に与えられた特権である。人もし宇宙の霊妙な力を否定するならば、それは天御中主神の否定であり、日本国体の神聖は、その重大意義を失う結果となる。天照大神、神武天皇、釈尊の如き聖者は、よく数千年の後を予言し得る強い霊力を有したのである。予言を批難しようとする科学万能の現代人は、「天壌無窮」「八紘一宇」の大予言を、いかに拝しているのか。皇祖皇宗のこの大予言は実にわれらが安心の根底である。
この質疑回答の中にも、私の分を越えた僭越な独断が甚だ多いのは十分承知しており、誠にお恥ずかしい極みである。志ある方々が、思想・社会・経済等あらゆる方面から御検討の上、御教示を賜わらんことを切にお願い申上げる次第である。「東亜連盟」誌上の橘樸氏の発表に対しては、私は心から感激している。
底本:「最終戦争論・戦争史大観」中公文庫、中央公論社
1993(平成5)年7月10日初版
1995(平成7)年6月10日5版
底本の親本:「石原莞爾選集3 最終戦争論」たまいらぼ
1986(昭和61)年3月
※丸括弧中に示したページ数は、底本のそれである。
入力:林孝司@石原莞爾デジタル化同志会
校正:KOKODA@石原莞爾デジタル化同志会
2001年8月29日公開
2012年10月1日修正
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