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参政党除名の顛末 [参政党]

放知技板、飲尿獣医さんと亀さんのやりとりで知った赤尾由美さんの動画を見たりして、参政党の内情を理解した。

参政党の吉野敏明さんとお会いしたのは9月23日だった。その前日、天童市議選でがんばっている斉藤みちよさんに置賜獅子の会の応援幕を届けに行ったら、その翌日吉野さんが応援に入るというので二日連続で天童に行った。→「吉野敏明さんの斉藤みちよさん応援演説」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-09-23-1

吉野さんに名刺を渡す時「参政党を除名されました。」と言ったら、吉野さん笑みを含みながら「ご苦労さんです」と言われた。赤尾さんによると、事の発端は6月23日というから、その頃すでにいろいろあった後だったわけだ。そんなことは私は知らない。今思えば、なんか親しさを感じさせる笑みだった。しかし私に対する除名処分は今回の流れとはちがう。昨年夏のことだ。

私の除名の理由は、昨年夏の参院選告示後まもない、参政党山形選挙区から立候補した黒木候補の選挙カーが南陽に入る6月24日のことだ。ちょうどその日舟山やすえ候補の決起集会が南陽のシェルターで予定されていた。大内りか候補のぎりぎりになっての出馬に、舟山陣営にとって一転厳しい選挙となっていた。そういう中での決起集会、南陽が皮切りだった。その日の成否がその後の情勢を決する、そんな私なりの思いで、参政党の選挙カーで「全国区は参政党、山形県は舟山やすえ、今晩シェルター南陽で舟山やすえの演説会」と叫んで回った。それが除名につながった。

山形県の県内事情を考えない参政党候補の立候補に対して異議の念を持っていた。「私にとっての参政党」は私の異議は理解してくれると思っていた。私の行動は「当然」の行動だった。「除名」につながる行動とはつゆほども考えなかった。しかし「除名」と聞いて「過度の期待」を反省、すぐ身を引いた。「私にとっての参政党」とは違っていた。

その前年(令和3年)の9月議会、「新型コロナを2類相当から5類への意見書提出」請願のために走り回ったが全く成果は得られなかった。(「「2類相当から5類へ」請願活動総括(9月議会)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-10-15)後ろ盾なくがんばる事の限界を思い知った。最初れいわ新撰組に近づいたが、いい反応はなかった。その後参政党が視野に入ってきた。請願で一緒の仲間たちがメンバーになっていた。松田さんの講演会に行って参政党の考えを理解した。(「参政党の躍進で歴史的な選挙になる!」(松田学)https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-07-04)そうして党員になった。ここから日本の政治が変わる、そう思った。

7.320dennkokuno20-30cc7.jpg私が「参政党、最高!」と思ったのは、米沢でのリレー街頭演説会だった。《先ほど1時半からの米沢伝国の杜前での演説会に行ってきました。はからずも、こんな演説会だったらいいなあ、と漠然と思っていた演説会が実現しました。まさにこれこそが参政党の演説会だと思います。》と書いている。「マイクリレー演説会」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-07-03-2

赤尾由美さんが「反グローバリズム・反全体主義」を掲げながら「全体主義」に陥ってしまう矛盾を語っておられる。(「私の政治始末記」赤尾由美↓https://youtu.be/NtiEkcrgkw0?si=ILs5L27Vg1SbAdOc)ここをどう止揚するか。きっと道はある。参政党への期待を捨てたわけではない。

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