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熱気溢れた宮内公民館改築説明会 [議会]

一昨日、宮内公民館大ホールで宮内民館改築説明会。市長も出席。50人ぐらいで満席状態。別室での詩吟を抜けて会場に入ったらいちばん前しか空いていなかった。7時から始まって終わったのが8時50分。15人ぐらいはあったと思う。次々思いのこもった発言。市長がいちいち対応するのだが、だんだん通り一遍の答え方になってしまうのもやむを得ないか。市側と市民側、両方の考え方をそれなりに理解している立場で、収拾がつかないようなことになったら調整役の役回りを、そんな気持ちで臨んでいたのだが、結局私自身に不満が鬱積してきて発言することになった。

前から言われていたことでもあるが、「他の公民館と基本的に同じ設計」という指摘で気持ちに火がついた。「宮内から市民の新しい拠点をつくろう会」の議論での不満もそこに収斂する。要するに「必要に迫られて建てる」ことを最優先する市側と、「せっかく建てる以上、いろんな希望を汲み取ったよりいいものを」という思いで語り合ってきた市民側のギャップ。本来なら最初の段階で、今回のような会合を持つべきだったのに、なせか市側はそれを避けてきた。一応はコロナを理由に。今後については令和6年9月供用開始というタイムスケジュールを盾に「あれこれ議論する時間はない」という雰囲気。市長の軽いあしらいにだれも突っかかることもなく終盤をむかえようとしていることに「なんかちがう、これではだめ」と思い始めた。発言者の思いの重さをこれまでの経緯から理解できるだけに、このままでは不満がわだかまる。今日の発言にしても、ひとりひとりの思いのごくごく一部分しか発言になってはいないのだ。それっきりのこととして軽く受け流されるような思い付き的発言ではないことを理解できていないのではないか。

あるひとつのものごとを為すために「衆知を集める」ことの限界を思い始めていた。それは「拠点をつくろう会」の議論に参加して感じていた限界だった。みんなそれぞれ思いをもって参加しているのに、なんかまとまらない。どうすればいいのか。そうして気付いたのが「信頼できるプロのまとめ役」の必要性。その時の私の発言としては「具体的な設計をする人」だったが、本来はそれ以前に「プロのプランナー」が必要だったのだ。市側は市側で「プロ」を任じているのかもしれないが、到底市民側の思いを吸収できる器ではなかった。市民側は市民側であれこれ議論を重ねてきたが、その思いを「形」にまとめることはできていなかった。双方から信頼されるプロのプランナー的存在が必要だったのだと思う。ここまできて市民側の思いを汲み取ることがどの程度可能かはわからないが、とりあえずは設計者の姿勢と手腕が問われることになる、そう思う。

あらためて「民主主義政治」について考えさせられている。行政側にとって市民は「烏合の衆」にしか見えない。ただタテマエ上「意見を尊重する」。市民の側から見た行政は、自分たちの思いも理解できずにスムーズのことを運ばせることを最優先しているに過ぎない。本来そこで間に入って調整するのが政治(市長)の役割なのだが、この会合、「なんとかやりすごせばいい」という民主主義上タテマエ感だけが目立ってきたことに不満が募っての私の発言だったのだと思う。政治には、まとめて、そして引っ張る「理念」が必要なのだ。会を終えて市長と課長に言ったのは「この宮内の熱気を理解してことを進めてほしい」ということでした。3年前の第一回「宮内から市民の新しい拠点をつくろう会」を思い起こさせる熱気ある会合だった。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-06-16-1

以下、私の発言。

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