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一般質問(3)内発的地域振興のために② [地方再生]

⑶「四季南陽」についてです。
四季南陽全景.jpg 「四季南陽」は株式会社KEN OKUYAMA DESIGN への「ハイジアパーク南陽」の実質無償譲渡であることはもとより、初年度2000万円の補助金、源泉用地借上料年間280万を10年間負担、固定資産税相当額を奨励金として10年間支払う等々、普通の市民感情からして譲渡先にとって極めて優遇された条件といわざるを得ないものです。しかしこれまでKEN OKUYAMA DESIGN 代表である奥山清行氏について私なりに知り、リモートではありますが、奥山氏のお話を直にお聴きし、これからの取組み次第では、「四季南陽」を一つの起爆剤として、南陽が劇的変貌を遂げるチャンスになりうると考えています。奥山氏の口から出る「南陽を世界ブランドにする」の言葉は決して絵空事ではないと思えるからです。南陽市として「四季南陽」にどう乗るかについてお訊ねします。
 とりあえず一つの視点をあげさせていただきます。「四季南陽」が取り組む3つのプロジェクトの第一にあげられたのが、「世界に誇るすばらしい里山の魅力発掘活用」です。昨日島津議員も取り上げられましたが、里山をどうするかは、自然災害のみならず、日々深刻さを増す獣害を見るにつけても、いま直面する大きな課題です。《ここには日本人が古くから親しんできた「里山」があります。人と自然が共存する、失われつつある貴重な場所です。》ということで、「里山の自然」があげられていることに着目したい。最近感動しつつ読んだ、井上岳一著『日本列島回復論』に、《令和の世に懸念される自然災害と獣害の増加は、山林の過少利用と山からの撤退、すなわち人間の領域の急激な縮小の結果です。山林の過剰利用による災害・獣害の増加は過去(江戸時代)に経験済みですが、過少利用によるそれは、経験したことがありません。まさに未曾有の事態ですから、一体、今後、どのような展開になるのかは、誰も見通せません。そういう予測不能な時代を生きているという認識を私達は持つ必要があります。》とあり、日本列島回復の鍵は「里山」の回復如何にかかっている、というのがこの本の主張です。奥山氏による里山再興へのチャレンジに期待が高まります。「四季南陽」から始まる「里山再興」が南陽全域に広がり、さらに全国に広がってゆくとしたら、まさに「南陽が世界ブランドになる」わけです。【→里山の歴史は自然と人との共生の歴史。人口減少に伴い、放置荒廃が進む現在、地域住民の主体的取組による「内発的地域振興」の考え方が有効。「四季南陽」のコンセプトを通じ、地域との協働とともに「四季南陽」と連携しつつ、里山の価値を後世に引き継ぎ、本市の魅力を発信してゆく】
 いろいろ盛り込みましたが、それぞれ喫緊の課題と考えての質問です。私の意とするところをお汲取りいただき御答弁よろしくお願い申し上げます。

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一般質問(2)「内発的地域振興のために」① [地方再生]

 つぎ、大きな二番目、「内発的地域振興のために」ということで質問します。
 昭和55年2月、当時の宮内商工会、赤湯商工会、和郷商工会の青年部が中心になり、新山市長はじめ市の広聴企画課の協力を得て、「いかにして”南陽衆”たりうるか?!」をテーマに「明日の南陽への模索”講演と討論の集い”」と題するシンポジウムを開催したことがありました。当時「地域主義」の提唱者である清成忠男法政大教授への講演依頼に対して、「仲間5人で行くからシンポジウムをやろう」との逆提案に応えたものでした。来ていただいたメンバーは、大分県湯布院町のまちおこしや、大分県の平松知事による「一村一品運動」に深く関わったメンバーでした。その時地域づくりにとっていちばん大事な事として学んだのが「内発的地域振興」ということでした。私たちが地元の歴史に目を向けることになったのも、その成果といえそうです。
 このたび、「ハイジアパーク南陽」に替わる「四季南陽」の構想について、KEN OKUTAMA DESIGN奥山清行氏のお話を聴いたことで、41年前のシンポジウムで突きつけられた課題である「内発的地域振興」について、あらためて考えさせられることになりました。

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一般質問(1)新型コロナ感染症をめぐる問題 [コロナ危機]

昨日、一般質問でした。「新型コロナ感染症をめぐる問題」と「内発的地域振興のために」①②の3回に分けて、用意した発言原稿と市長答弁、そして再質問等について書いておきます。

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 大きな一番目、新型コロナ感染症をめぐる問題についてです。
 昨日の山形新聞、80年前の大東亜戦争の開戦を振り返る記事で、先立つ日中戦争の決断は、国民的人気に支えられた近衛文麿内閣であり、戦争へ突き進んだのは決して一部上層部によるものではないとし、《大衆社会が統制に加担していた。》と結論づけています。さらに、添えられた中島京子氏のコラムには、《出回っている情報を「本当か」と疑ってみる。・・・民主主義社会では国民一人一人が主権者、という原則を再確認しつつ、そういった当たり前のことを私たちが日常的に実行できるかが問われているのではないか。》とあります。私自身、そのことの困難さを実感しつつ、なんとかコロナ騒ぎの本当のところを見極め、そしてそれを伝えたいとの思いでこの場に立っています。一般の理解からは外れているかもしれませんが、よく耳を傾けていただきたい。
 たしかに人類の歴史は感染症との戦いの歴史です。江戸時代の記録によると、187年前の天保5年、宮内に毎日一人二人の死者が出る熱病でお獅子さま出動の事態になったことは3月議会で申し上げました。明治以降について『南陽市史』年表を見てみました。122年前の明治32年、赤湯町で赤痢が発生して、患者147名、死亡者36名。103年前の大正7年、世界的大流行となったスペイン風邪の県内死者数は919名。94年前の昭和2年、宮内町で腸チフス発生、患者240名、死亡者33名。83年前の昭和13年、漆山村で腸チフス、患者192名で10人が亡くなっています。それに比べて今回のコロナ騒ぎ、県内のこれまでを見ると、発症の程度は定かでありませんが、感染したと判断された人昨日現在で1978名、そのうち亡くなった人が43名。ただし、新型コロナが感染法上二番目に危険なⅡ類とされていることから、どんな病気で亡くなっても、PCR 検査で陽性判断が出ていれば新型コロナによる死亡に数えるという厚労省指示に基づく死者の数です。実は2020年の死亡者数は、コロナ騒ぎが起こる前の年より9,000人も減っているのです。 それまでは高齢化で毎年年2万人ぐらいずつ増えていたのが、新型コロナ騒ぎの中で、11年ぶりに減少したことに厚労省は戸惑い、正式発表をためらったほどでした。コロナ死者3,500名の一方で、肺炎とインフルエンザの死者が14,000人減ったのです。
 冷静になって身の回りを見回してみてください。いったいマスコミ報道以外で、新型コロナという病気自体で苦しむ人をどれだけ知ってますか。陽性判断が出たばかりに辛い思いをする人は知っていても、コロナが重症化して苦しむ人の顔を、私は思い浮かべることができません。緊急事態宣言等で、なんでここまで国民の暮らしを苦境に追い込まねばならないのか不思議でなりません。
 そうした中でのワクチン接種です。
 周りはみんな、当然のこととしてワクチン接種に向かっています。その中で「私はワクチン接種しません」と言うには勇気が必要です。なぜしないのか。知れば知るほど、コロナに罹ることよりも、ワクチン接種による危険性の方が怖いからです。「あなたが打たないことで周りに迷惑が及ぶ。」と非難されたら「臆病者でゴメンナサイ」と言うほかありません。
 厚生労働省は5月26日の専門家部会で、5月21日までにファイザーのワクチンの接種を受けた約600万人のうち、85人の死亡を確認したことを報告しています。その上で「重大な懸念は認められない」として引き続き接種を進めていくことにしています。600万分の85という確率をどう見るかはともかく、それ以上に私を臆病にさせているのは、ワクチン開発の当事者であったギアート・バンデン・ボッシェ博士が語った「コロナワクチンは新型コロナには確かに効くが、人間に本来備わった免疫機能を働かないようにしてしまう」という言葉です。いろんなウィルスに対抗する免疫力が損なわれ、ウイルスごとにワクチン接種が必要な体になるというのです。自然に逆らい、ひたすらその克服を目指してきた西洋的な考え方の行き着く先を見る思いです。
 厚労省のHPに は、《新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。/予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。/職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。》と明記してあります。このことを踏まえて、現状と今後の対応について質問します。

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