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「人は法によってのみ再び平等となる」(モンテスキュー) [メモ]

今日の『陥穽』は312回目。伊達小二郎(陸奥宗光)は、偶々立ち寄った大阪の刀剣屋で、死の三日前の坂本龍馬が、小二郎に呈すべく研ぎに出した脇差と偶然の出会いを果たす。この小説、場面の転換が極めて激しいのだが、ありがたいことにその日の内容に関連する場面に連れ戻してくれる仕掛けがある。関連する4回分が毎日紹介されているのだ。そこで312回から240回へ、遡ること10年、そこで小二郎が龍馬に示した論稿の言葉、《自然状態におきて人自ずから平等なものとして生まれども、人、自然に止まることを得ず、必ず社会(Society)を成す。社会必らず平等を失わしめる。そして、人は法によってのみ再び平等となる。実はこの言葉、先にモンテスキュー『法の精神』の一文として225回で既出だった。→「苫米地英人『超国家権力の正体』」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-11-02《「自然状態では、人間は確かに平等なものとして生まれる。だが人間は、自然状態に止(とど)まることは出来ないであろう。社会は平等を失わしめる。そして、人間は法によってのみ再び平等となる」》)

「人は法によってのみ再び平等となる」再三のめぐりあわせに、今あらためてじっくり噛み締めねばならない言葉のように思えてきた。徳田さんの「生命だけは平等だ」の言葉とともにあわせ考えたい。

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