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『カバールの正体』(2) [本]

コロナワクチンのいかがわしさについて、「目を覚ませ!全共闘世代」https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2021-06-13-1の記事を書いて、放知技板や副島重掲板で呼びかけたが、何の反応もなかった。われわれ「全共闘世代」とは何だったのかをあらためて思った。そして思い至ったのが、当時から「学生時代は大暴れしていた連中も、就職すればみんな会社人間になってゆく」と言われていたことだった。おそらくその通りだったのだ。別記事関連で手に取った『オリンピアン幻想』の巻末解説で若月弦太郎氏が《逆境の中で人は考えることを通じて鍛えられ、より本質的な不易の問題を大事にするものだが、不易に代わって流行が時代精神を支配し、節度と規範を捨てて物欲を指向したことで、バブル経済の中で亡国の歯車が回転し始めた。》(371p)と書いたことに対応する。そのあとにこうつづく。《利権として長野に招いたオリンピック大会や、大国意識への陶酔に続くバブル経済によって、日本列島を覆った宴の跡の狼藉のせいで、その悲惨さは目を覆うばかりになっている。》(同p)まさにそういう時代を牽引したのが全共闘世代を含むわれわれ団塊の世代であった。学生から会社人間へ、そこのところでいとも簡単に「節度と規範」を捨てた。彼らに「一貫性」という言葉ほど似つかわしくない言葉はない。そもそもそうしてしまうことこそが、カバールがわれわれ世代に仕掛けた罠なのではなかったか。《1960年代のヒッピー・ムーブメントは、キリスト教の倫理を破壊するためにタヴィストック研究所が仕掛けたもので、CIAが密輸した麻薬がアメリカ人のヒッピー化を助長した》(32p)。そしてたやすく流行に乗る人間をつくりあげることに成功した。そういう人間たちが、何の疑いもなくコロナワクチン接種に雪崩打つのは必然なのだ。

そんな折のIn Deep、「機械になっていく人間の社会を見つめながら」https://indeep.jp/while-staring-at-human-becoming-the-machines/、下記転載してじっくり読んだ。こういう今を予知していたシュタイナー。In Deep氏は言う、《最近、遺伝子コロナワクチンが「自身の中の神との接続を断ち切る方法」が漠然とわかってきた感じがしています。》この辺のこと、『カバールの正体』に関連してもう少し書く。(つづく)

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新・mespesadoさん講義(52)”知”からの自由を [mespesado理論]

亀さんとmespesadoさんのやりとりで紹介された「悪の遺産ヴェネツィア」については、実に興味深く読んだ。→「『カバールの正体』(3)”知”は、最後は、狂気に至る」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-07-28

教科書的知識から逸脱した分「変わり者」と呼ばれる。「変わり者」の真実性を保証するのは「審神者(サニワ)力」である。「審神者力」とは何かといえばおそらく、「己れからの解放の度合い」なのではないか。そうしたことが問われる世の中になってきた、そんな気がする。「神に近づきつつある」とも言えそうだ。マドモアゼル・愛さんが「”知”は、最後は、狂気に至る」と言った→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-07-28”知”から自由になること。

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