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新・mespesadoさん講義(51)『オリンピアン幻想』 [mespesado理論]

オリンピアン幻想.jpg①もろもろオリンピックにまつわる動き(騒動)についての考察。mespesado発言に関連して亀さんが『オリンピアン幻想』(藤原肇 1997)を紹介(>>396>>400)しておられたので、書棚から探しあてて、巻末の若月弦一郎氏の「アンチ解説」を読んだら、《1960年代の日本と世紀末の現在を較べると、青年期と老衰忌の違いが読み取れることは、週刊誌の写真や記事で一目瞭然であり、30年間でこれほどまで強烈に精神の荒廃が進んだ。猥雑な風潮が日本に君臨した原因は、老年、壮年、青年。少年という世代のケジメがなくなって、大人世代の節度の一般的低下に由来する。本来なら円熟した人間が責任感と共に占めるべき地位に、鍛錬不足の成人が年功序列に従って座り、愚劣で低俗な好みを氾濫させた結果でもある。》(370p)とあって、別記事「『カバールの正体』」の「つづき」で書こうとしていたことに重なった。それはまた、②の、学校卒業後すぐ就職して以来ずーっと組織から離れずに過ごしてきた人は、BIになれば「働かなくて済む」ということになってしまいます、という心配に通ずる。そういう人たちは《常に組織からの圧力によって指示されるばかりで真の内的な創造力を感じたことのない》不幸な人達なんだから、そんな人を基準にBIを考えるのはまちがいという指摘に納得。それにしてもやたら大きな見出しとウザい写真で埋め尽くされる今朝の新聞にホトホトうんざり。若月氏の嘆きからさらに四半世紀の今なのです。

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『カバールの正体』(1) [本]

「かバールの正体」.jpg朝の10分読書、西森マリー著世界人類の99.99%を支配する カバールの正体』を読み終えた。今朝の山新も日経もオリンピック一色。昨夜、まったく見る気のしなかった開会式と今日の紙面の落差、「感動」の押し売り。その世界とは絶縁して、今日から3日間、粛々と祭りの世界に没入したい。今年も昨年同様御神事のみ。

この著を読みつつ、きのこ組さんが7月20日の飯山忌に際して書かれた「俯瞰力」を思った。http://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-category-33.html

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鷲が鷲のことを一人称で「鷲」と書くことは、2012年01月19日から始めた。
これは、「鷲」という鳥のように「鳥瞰図」で世界を見て「俯瞰力」を鍛える意識をもつためである。

人間の目(眼)や脳は、広い世界の全体を上から見て(俯瞰=ふかん)、その全体像を描くことが出来ない。

しかも、人間の目(眼)は、構造的に狭い一点を見つめるように出来ている。さらに、網膜にうつる映像は二次元的で、その平面的な映像を脳が三次元の立体的なイメージに合成している。 (とても参考になる記事)

したがって、人間が普段、普通に見ている世界は、せまい世界の一部分の映像を「合成写真」で見ているだけなのだ。

世界の全体像は、意識して、深く考えながら、「自分は世界のことが分かってないんだ!」と自省しながら、時間をかけて見ていかないと、世界は、俯瞰図も鳥瞰図も見えてこないのである。

だっから…、色んな評論家やブログの文章を読む時も、
書き手が、世界像や世界観、モノの見方や考え方をキチン!とチェックしているかどうか? これを確認しながら読まないと、読み手はダマされる。

ま、そういうことです。 (飯山一郎)

飯山一郎のブログ アーカイブより
https://archive.is/ZFMxI

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