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双松公園、満開です! [宮内]

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(素案)新・宮内公民館(兼地域交流センター)その2 [宮内]

宮内公民館案2 2020.12.jpg12月16日、宮内議員団に対して副市長より、10月21日の第一回案につづいて第二回目の案が提示されました。

1回目と基本的に同じですが、「事業費 およそ4億円と想定する。(基本計画後に事業費を確定)」とするものの、「建物は、木造の一階建てを基本とする」となったことで、6億円までかかるかもしれないとのことです。「立地適正化計画」補助金活用により、総事業費の1/2の補助が得られます。1,000㎡以上が要件です。木造ゆえの林野庁補助とのドッキングは微妙なようです。スケジュールとしては、令和3年度に基本構想等に着手(補正予算)、4年度に実施設計、建設着工、5年度に完成、6年度から新公民館で業務開始」という予定です。現公民館は取り壊し、跡地利用はその後の検討ということです。解体費用は補助対象に含まれません。1億円は超えそう。アスベストがあったりすると大変です。新庁舎建設中の米沢市の現庁舎解体に8億円だそうです。

提示された図面は、配置計画図と建物平面図です。

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新・宮内公民館、「コンパクトシティ」構想の中で考えよう! [宮内]

21日の全員協議会の後、大沼副市長から宮内議員団に公民館問題について話したいということで、期待半分不安半分の気持ちで会合に臨みました。なんと、すばらしい叩き台が用意されていました。

提示されたのは、6項目が箇条書きになった「素案」と、蔵楽の敷地内に平屋で建てた場合と総二階にした場合の平面図、最近建設された他地区の公民館建設の際の費用等(沖郷公民館、吉野公民館、梨郷公民館)でした。

蔵楽 虹.jpg◆見出しが「(素案)新・宮内公民館(兼地域交流センター)」。「地域交流センター」というのは、沖郷公民館が「防災センター」で、吉野公民館が「吉野森林交流センター」であるのと同じで、公民館建設ということだけでは国の補助を得られないための名称です。必ずしもこの名称にこだわるものではないとのこと。
◆建設場所は蔵楽の駐車場、敷地の南東部分です。(写真は、建設地点となる南東方向から望んだ蔵楽です。24日朝、見事な虹でした。)
◆事業費は4〜5億円。沖郷公民館が242百万円ですから、その約2倍です。
◆延べ床面積は約1,000㎡。千平米を越えることで補助適用が可能になります。
◆事業手法は「立地適正化計画」に基づく補助を利用します。立地適正化計画とは、国土交通省がすすめる「コンパクトシティ」を目指すために各自治体が策定する計画です。コンパクトシティとは、《都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市、もしくはそれを目指した都市政策のことである。》であり、《都市郊外化・スプロール化を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、歩いて行ける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするのがコンパクトシティの発想である。》ということです。(ウィキペディア)

◆スケジュールについては、12月議会までに地元(宮内地区)の了解を得て、令和3年度予算で立地適正化計画策定、さらに新公民館の基本構想等に着手、それを受けて令和4年度着工。
◆現状の蔵楽には基本的に手をつけない。(建築基本法上、面積変更を伴う増改築は不可能)
◆現在の公民館は取り壊し、跡地利用については新公民館建設後に検討する。解体整地に1億円超かかるとのことです。

なんといっても「コンパクトシティ」にリンクなった意義が大きいです。公民館についての基本構想と並行して「立地適正化計画」策定が必要です。公民館改築から始まったこの問題、単に「公民館をどうするか」ではなく、「これからの宮内をどう構想するか」とあわせて考える必要に迫られることになります。まさに「宮内に新しい拠点をつくろう会」が根底において課題にしてきたところです。宮内の正念場です。いろんな場でいろんな話題を出し合って、おおいに論議が巻き起こることを期待します。まずその論議自体を楽しみたい。とりあえずの数字として「4〜5億円」が提示されたことも大きいです。しかしそこに縛られる必要はありません。構想がすばらしければカネは後からついてきます。夢は大きく広がったほうがいい。

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写真で見る宮内公民館70年の歩み [宮内]

公民館展チラシ1.jpg公民館展チラシ2.jpg

公民館展会場2.jpg宮内公民館で「写真で見る宮内公民館70年の歩み」展、10月30日まで開催中。公民館所蔵の写真でたどる宮内の歴史です。懐かしい写真やこんなこともあったのかと思わされる写真が120枚、A4判でもこれだけ集まるとなかなか壮観です。一枚一枚に解説がついています。じっくり見てきました。細かい字でぎっしり書かれた案内チラシの文章、よく読むと宮内公民館の歴史がぎっしり詰め込まれていました。転載させていただきます。

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〜宮内公民館の変遷と写真展へのお誘い〜
 昭和24年、旧宮内町が料亭「宮澤」の一部を使い、宮内公民館を設置しました。場所は現在の宮内公民館の駐車場辺りです。2年後の昭和26年(1951)には、専任主事が配置されました。公民館活動が実際に始まった年です。昭和30年の町村合併後は、新宮内町(旧宮内町・旧漆山村・旧金山村・旧吉野村)の中央公民館としての役割を担ってきました。
 公民館の場所も何度か変わり、昭和35年に町役場が現在の宮内公民館の建物に新築されたので、宮内公民館は、道路向かい側の旧宮内町役場(明治25年建設)を一部改築し、その場所に移りました。その後昭和41年(南陽市誕生の1年前)には、修道館の東正面に、今まで使っていた公民館の建物自体を移動して大規模改装をしました。その建物が昭和40年代〜50年代の公民館で、地域行事や文化活動の拠点となりました。さらに昭和57年、市役所新庁舎(現庁舎)の完成・移転に伴い、旧市庁舎を一部改装し公民館として活用することになり、以後各時代に応じた様々な社会教育活動や地域活動が盛んに行われ、現在に至っています。
 今年は公民館専任主事配置からちょうど70年です。この区切りの年にあたり、現在宮内公民館に残っている写真を時代毎にピックアップし、A4サイズに引き伸ばしたものを合計120枚展示することにしました。この写真展を通して、それぞれの時代の公民館関係の事業や地域活動の様子を多くのみなさんにご覧いただければありがたいです。懐かしい宮内の風景や行事の写真を目にし、その時代にタイムスリップした気持ちになるかもしれません。ぜひ、お越しください。

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茂吉の恋 [宮内]

茂吉とふさ子 日経2.6.28.jpg6月28日の日経日曜版NIKKEI THE STYLE、「恋の文」がテーマ、茂吉と永井ふさ子二人並ぶ写真と茂吉の永井ふさ子にあてた手紙に惹きつけられた。『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』は高くて手が出ない。茂吉に焼くように言われて最初の30通ぐらいは焼いたものの、残った120通ぐらいを収録した本。いずれ図書館で見ることにした。永井ふさ子著『あんずの花』」(送料とも1406円)が昨日届いた。
あんずの花.jpg藤岡武雄という人の25ページにわたる巻末解説「斎藤茂吉と永井ふさ子」を一気に読まされた。永井ふさ子の文章があった。浅草での逢引の場面、《「・・・伸びかかった冬の日も昏れがたになっていた。先生はよく来られる所と見えて足早に一軒のうなぎ屋に入り、さっさと二階に上がってゆかれた。広い二階はがらんとして、幾つかの衝立で仕切った席は、他の一組の客がいるばかりであった。やがて鰻と酒が来て、先生は鰻の上に盃の酒をたらして、『こうするとうまいんだ』と言って私の分にも注がれた。僅かばかりの酒で、先生は上気した顔をかがやかし、食卓の下に伸ばした足を、恰も子供が喜ぶ時のしぐさの様にばたばたさせて、いかにも楽しそうであった。あまりの無邪気さに私は少なからず面食らった。・・・」》その後外に出てはじめての接吻を交わすが、巡査に見つけられて調べを受けるという、茂吉らしいおまけもつく。

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秋葉山に行ってきました! [宮内]

1.jpgまだ明けきらない朝、ラジオ体操に出たらこの時季には珍しいすごい天気。吾妻の山のシルエットもくっきり。ただ西の空に雲があり、飯豊の山はどうだろう・・・と思いつつ、家内と毎日読み進めてきて最終巻に入った『声に出して読みたい日本語 6』の今日の分が、西脇順三郎の「天気」という詩の一節《(覆された)宝石のやうな朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日。》今日は奇しくもクリスマス、その朝出会ったこの詩にこの天気、秋葉山に行ってみよう、昨日一日風邪気味で寝込んでいた家内を誘うと「行ってもいいよ」、陽が昇る前に行かねばと車に乗り込んだのが6時55分、家を出て約10分、10.jpg秋葉山荘まであと一息のところに倒木、やむなく100mぐらい歩いて到着。秋葉山荘の2階で約30分、ありがたいひとときをすごしてきました。(息子のカメラを持ってたのですがシャッターが下りない。なんでかと思ったら電池切れ。やむなく全部、スマホで撮った写真です。)

当然のことながら、写真と実際の凄さの隔たりはあまりに大きい。今日の感動体験はしっかり心にとどめておきます。

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高橋義夫「盛り場を歩く」(山新) [宮内]


11月28日の山形新聞、高橋義夫さんの「盛り場を歩く」は宮内だった。高橋氏にとって小田仁二郎は早稲田仏文の大先輩とのこと。そして《宮内は町全体が盛り場遺産である。》と書く。大正8年の「宮内町案内」を見てくれていた。《「商売軒を並べ整然たる街路にして富有者多し」と書かれている。いま歩いても、いかにも富裕者の居宅と思われる構えの家が見受けられる。》しかし、高橋氏が見た「富裕者の居宅」、石黒本家も山栄酒造店も、今は主はいない。そのあとがおもしろい。《わたしが宮内を初めて訪れたのは40年近い昔だが、新町の喜多屋という古い旅館に泊まった。夕食のとき、年配の仲居が給仕に来て話し込み、お銚子の酒を半分のんでいったことを思い出した。》「喜多屋の仲居」といえば「 Kちゃ」で当時50歳ぐらいか、今も健在。会うと昔のまんまで元気がいい。当時喜多屋を切り盛りしていた女将は、寂聴さんが小田仁二郎を偲んで初めて宮内を訪れたとき、大銀杏の下で寂聴さんに声をかけたばあちゃんだ。そのおかげで寂聴さんと宮内との縁がつながった。昭和56年がその年とすると、ちょうど高橋氏が喜多屋に泊まった頃だ。

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