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秋葉山に行ってきました! [宮内]

1.jpgまだ明けきらない朝、ラジオ体操に出たらこの時季には珍しいすごい天気。吾妻の山のシルエットもくっきり。ただ西の空に雲があり、飯豊の山はどうだろう・・・と思いつつ、家内と毎日読み進めてきて最終巻に入った『声に出して読みたい日本語 6』の今日の分が、西脇順三郎の「天気」という詩の一節《(覆された)宝石のやうな朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日。》今日は奇しくもクリスマス、その朝出会ったこの詩にこの天気、秋葉山に行ってみよう、昨日一日風邪気味で寝込んでいた家内を誘うと「行ってもいいよ」、陽が昇る前に行かねばと車に乗り込んだのが6時55分、家を出て約10分、10.jpg秋葉山荘まであと一息のところに倒木、やむなく100mぐらい歩いて到着。秋葉山荘の2階で約30分、ありがたいひとときをすごしてきました。(息子のカメラを持ってたのですがシャッターが下りない。なんでかと思ったら電池切れ。やむなく全部、スマホで撮った写真です。)

当然のことながら、写真と実際の凄さの隔たりはあまりに大きい。今日の感動体験はしっかり心にとどめておきます。
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ちょうどわが家に陽が射し出したところです。7時19分でした。

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斎藤孝さんによる、西脇順三郎「天気」の解説です。

*   *   *   *   *

 この詩を読むと心が晴れる。同時に、すごく不思議な奥深い詩だと感じる。なぜなら、神は人間よりはるか以前に生まれたはずだから。かつてとても天気のいい素晴らしい朝を迎えた日に神が生まれたともいえるし、神というのは、 常に生まれ続けるともいえる。ブッダはゴータマだけではなく、悟りを開いた人を指す。だからみんな一人ひとりが内に持つ仏性がちゃんと表れたときにプッダ(目覚めた者)となる。 そうした誰に対しても開かれたブッダのイメージと、「覆された宝石」のような朝に神が生まれる、 というこの時のイメージは重なる。 そのとき人間は、「ああ、 神がつくり給うた世界!」と感じ、美しさに対する畏敬の念が生まれる。軽やかで透明感のあるこの時が世界を祝福しているように思える。私たちがこの世界に存在することを祝ってくれているように思える。

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