「伊達感覚」復権で盛り上がる(北村塾) [伊達政宗]
12月22日の晩、2年ぶりに北村塾納会に参加してきました。今回は伊達家ゆかりの籏本山舘山寺住職山本卓道氏、政宗が幼少期過ごした高畠夏刈の資福寺跡を守る渡部清一郎氏のお二人が特別参加、伊達といえば2017年上杉博物館特別展「伊達氏と上杉氏」を担当した角屋由美子さん、それに「盆地米沢狭けれど」(旧制米沢中学校歌)の上杉感覚でなく「南に開く国原」(宮内中学校旧校歌/結城哀草果)の伊達感覚で置賜を見直そうが持論の私とあって、置賜での伊達復権で盛り上がりました。そもそも北村正敏塾長の仲人で昨年山本氏の長男(副住職)と渡部氏の三女が結婚したことからのこの日の招待。2015年3月に「米沢藩医 堀内家文書 図版編・解題編」発行、9月に上杉博物館特別展「米沢藩 医家の系譜 ~堀内家文書を中心に~」が行われたが、その時米沢医師会側から関わったのが北村正敏氏ということで北村塾発足、山本氏の舘山寺に堀内素堂の墓所ということで北村塾長と山本住職が深くつながったとのこと。舘山寺は伊達の重臣新田遠江守景綱開基で天文二年(1533)に創建、政宗が朝鮮出兵の折に持ち帰って奉安したとされる虚空蔵菩薩などが伝えられており、上杉による伊達遺風一掃政策の中にあって米沢では珍しく伊達家との縁を大事にしてきた寺。境内に500年近くの間受け継いできた伊達家の歴史の象徴として、石碑「独眼竜政宗 揺籃苑(ようらんのその)」を境内に建てている。
山本住職から米沢市発行の「舘山城跡」パンフをいただいた。ただその後、舘山城跡と伊達との関わりについて議論があったので、あらためて整理してみたい。とりあえず、楽しく有意義な一晩でした。副住職さん夫妻と渡部さんには宮内まで送っていただきました。資福寺跡に隣接する夏刈の紅一点酒造跡地約3000坪をどうするかも大きな課題です。それを考える上でも意義ある晩でした。
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