今日は、気になったニュースから。
中日ネットニュースによると
世界遺産「花の窟神社」でご神体の巨岩崩落 三重・熊野
2021年9月8日 21時41分 (9月9日 01時23分更新)
三重県熊野市有馬町の世界文化遺産「花の窟神社」で8日、ご神体の巨岩(高さ約45メートル)の一部が崩れ落ち、石を敷き詰めた拝殿に落下しているのが見つかった。崩れたのは縦約120センチ、横約70センチの岩で、けが人はなかった。
これは、一昨日の記事 夢に現れたあの御方は神話の型 2021-09-07 と繋がっているか。
花の窟神社 とは、Wikipediaによると
花窟神社(花の窟神社、はなのいわやじんじゃ)は三重県熊野市有馬町に所在する神社。伊弉冉尊(伊弉冊尊、いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る。
『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。
神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている。
古事記や延喜式神名帳に「花窟神社」の名はなく、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。
今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体である。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。
これは、イザナミを封印している千引の岩が崩壊して開いた、という示唆ではないか。
神示では
日月の巻 / (ひつ九のまキ) 第四十帖
ここに伊邪那美の命 語らひつらく、あれみましとつくれる国、末だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。
ここに伊邪那岐命、みましつくらはねば吾とつくらめ、と宣り給ひて、帰らむと申しき。
中略
ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。伊邪那岐命 宣り給はく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
この巻二つ合して日月の巻とせよ。十一月三十日、ひつ九のか三。
神話の国づくりはまだ終わっていない。
日月神示のこの一節は、神話の時代の話ではなく、未来に国造りの続きを共にしましょう、といっているのだと感じます。
時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
その時が、今だと、この神話ゆかりの地で、実地にお知らせしたのだと感じます。
今日は、9月9日、九九リ姫の日です。
Wikipediaによると
神話上の菊理媛
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書(第十)に一度だけ出てくるのみである。
神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。
しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる。
そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。
菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。
神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。
菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも、また菊花の形状からという説もある。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある。
他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。 白山神社(石川県鳳珠郡能登町字柳田)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している。
イザナギとイザナミは、千引岩戸を挟んで、この世とあの世とに別れて住んでいました。
きっかけが無ければこの岩戸は開きません。
そのとりなしをするのが、九九リ姫なのです。
菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも、また菊花の形状からという説もある。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある。
この神社の名前は、花の窟神社
菊花(くく)リ姫が磐戸を開ける鍵なのだと感じます
また、神示でも
松の巻 / (つの
キ) 第一帖 (二九二)
富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。
煎り豆 花咲くぞ。
上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組ぞ。六月十七日、あめのひつ九のか三。
この、煎り豆 花咲くぞ とは、煎り豆に花が咲かない限り、ウシトラ金神は出てこない。という意味です。
菊花(くく)リ姫のとりなしが磐戸を開ける花と咲く
磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 第3帖(239)
二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。
大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。
逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。
一月一日、 のひつ九か三。
日月神示では、冒頭から繰り返し、 二二は晴れたり、日本晴れ、と言っています。
そして、ここで、二二に花咲くぞ と言っています。
私が思うに、2022年に、びっくりばこ いよいよ 開くのではないかと感じます。
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