男女のタブーを解く [イハトビラキ]
現在祭り前のお精進中です。一切生もの(肉、魚、卵)を食さないほか夫婦同衾も禁ぜられます。実はこのことに疑念が湧き出しています。太陽凝視タブーに重なってしまうのです。
昨年「黄泉比良坂の故事、伊弉諾神と伊弉冊神の行き違い、その場は菊理媛の取りなしの言葉でことなきを得たものの、真の和解には至らぬまま今に至ることが諸々相克の因を為す。あらためて菊理媛の御出動を願うべき秋(とき)なのではないか」というEさんの提案に発した御神事を、熊野大社で行いました。→「白頭山天池遥拝祈願祭」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-02 この御神事以後、男女のタブーも太陽凝視タブーと同じなのではないかと思うようになったのです。本来直視して当然なことがあえてタブー視されるようになってしまっているのではないか。
今朝、そのタブーを見事にうちやぶった動画に出会いました。必見です。→「【ベストセラー】「夜の営みの驚くべき5つのメリット」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】」https://www.youtube.com/watch?v=WJBiHBp-iF8
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ホツマツタエのおもしろ記事(9) 床入り
http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
ホツマツタエのおもしろ記事(34) 菊理媛神
http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
男女の真実とは?フリーエネルギーと不食について
https://www.youtube.com/watch?v=XO2eTw6uHWU&t=0s
http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
ホツマツタエのおもしろ記事(34) 菊理媛神
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男女の真実とは?フリーエネルギーと不食について
https://www.youtube.com/watch?v=XO2eTw6uHWU&t=0s

[3564]ジェーン・バーキン(76歳)の死から思うこと。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2023-07-23 20:14:35
〇 Serge Gainsbourg Jane Birkin Je t'aime, moi non plus Subtitles - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dn7-jOgiP14
Serge Gainsbourg Jane Birkin Je t'aime, moi non plus Subtitles
《この「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は、屹度(きっと)今の 10代、20代の若い人たちにも、受け継がれて、今から日本でも、再(さい)大ヒットすると、私は確信する。
早くアメリカのくだらない、あのハリウッドのバカ映画たちの時代が終わって欲しい。50年前(1970年)までは隆盛していた、フランスとイタリアと、ドイツとスウエーデン(例えイングール・ベルイマンの)ヨーロッパ映画たちの時代が、戻って来て欲しい。
やっぱり、フランス文化が最高だ。もうこれ以上のものは、人類にはない。
そして、さらに真実は、この Serge Gainsbourg セルジュ・ゲンズブール と Jane Birkin ジェイン・バーキンの愛(1968年から1980年までの12間。あとは家愛として)が、人間の生(なま)の生(せい)のプロモーションとして最高だ。》
《 私の頭が、いろいろとこんがらがって、私の脳がおかしくなりそうだ。次に、この「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」の曲の6年後に、そのまま、セルジュ・ゲンズブールが監督して、映画(1975年制作)にした。そしてジェーン・バーキンが、主演した。この大(だい)問題作になった映画の、 ユーチューブ版の プレヴュー(宣伝版)を載せます。開いて見て下さい。息をのみます。
〇 【5/29(土)公開】セルジュ・ゲンズブール没後30年記念 初監督映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 4K完全無修正版』予告編 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KMs0IuA_hGA
【5/29(土)公開】セルジュ・ゲンズブール没(1991年)後30年記念 初監督映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 4K完全無修正版』予告編》
《今から50年前の、フランス人の芸術家たちは、さっさとここまで突き抜けていた。時代の先端を生きる、ということは、大変なことで、その最先端を生きる芸術家たちが、それを実行し実践する。体制派からの激しい非難 と、社会からの顰蹙(ひんしゅく)買いと 人々からの軽蔑の果てのところで、次の時代が形作られてゆく。》
《 「 調子はずれに日々は過ぎゆく 気の向くままの好きなものブログ 」 から
https://ameblo.jp/yy-anette/
「 ジュテーム・モワ・ノン・プリュの和訳 」
2011-06-22 テーマ:フレンチPOP》
《これで、分かったかな。この曲のすばらしさが。私たちは、今から54年(1969年制作)のこの曲に圧倒される。もっと本当は、この曲は、実は、ブリジット・バルドー が、当時、愛し合っていたゲンズブールに作らせて、自分で歌ったのが初め(1968年)だ。
54年、経(た)った、今だからこそ、今の若い人たちが、この歌を平気で、自然に、歌えるようになって欲しい。》
《上の方に載せた、映画の ユーチューブと曲 を、もう一度、皆さん、見て下さい。何度でも見て下さい。私は、見るたびに泣きたくなる。 自分の過ぎ去っていった昔でもある。》
かわいそうな副島さんなのです。「今からでも遅くはない!」と言っておこます。
《この映画は、必ずしも、若者たちの愛を描いていない。苦しい現実の中で、ありったけの貧しい生活の現実を引き受けながら、それでも、がむしゃらに、自分たちの愛を、自分に許される限界のところで、忙しい生活の中で、実行している。
まさしく、私たちが、毎日やっていることそのものだ。汗臭い、泥だらけの愛だ。私たちの現実そのものだ。このことを、私、副島隆彦は今、はっきりと分かった。》
せつなくも感動的な副島さんの文章でした。
by めい (2023-07-25 06:10)
アラサー未接種婚活
中村 篤史/ナカムラクリニック
2023年7月24日 00:29
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僕は、若いみなさんに自分の後悔を伝えたい。結婚が遅かった。すごくもったいなかったと思う。結婚生活という、こんなに楽しいことをずいぶん遅らせてしまった。
独身のときに「今、幸せ?」って聞かれたら、「うん、まぁそれなりに」とか答えたと思う。でも、そんな自分をぶん殴ってやりたい(笑)「とりあえず誰でもいいから結婚しろ」ぐらいなことを言ってやりたい。そっちのほうが絶対幸せだから。
女性の社会進出は悪いことではないよ。性別関係なく優秀な人は優秀だから、社会に出て活躍すればいい。ただ、そういう人にも「後悔しないようにね」という一言はかけてあげたい。
妻は男社会でバリバリ働いて、そこらへんの男以上の業績をあげていました。40歳を過ぎた頃にたまたま僕と出会い、仕事を辞めて専業主婦に落ち着いた。
こうちゃんが来てくれただけでも万々歳で、よしとすべきかもしれない。しかし、できれば2人目を、という思いもあって、同時に年齢の壁も意識せざるを得ず、、、
出会うのが20年早ければ、と思ったりもするけど、20代の僕は若くて傲慢で未熟で、妻は多分、今と同じように感情的だから、絶対うまくやっていけない(笑)
20代の未熟な僕は、同じように未熟な女性と結婚すべきだった。たくさん喧嘩したり笑いあったり裏切ったり妥協したり許したり、いろいろあるだろう。それでいい。それでお互い人間的に磨かれていく。そういう結婚生活は、この上なく幸せに違いない。
僕は20代30代の時期、そういう経験をすっとばして、もっと別のことにかまけていたんです。もっとつまらない、もっと無意味な、もっと非生産的なことを、「楽しい」なんて言いながら。
僕のような後悔をしちゃダメですよ。
by めい (2023-07-27 06:16)
「夫妻ノ道ハ自然ノ進退ノ機感ニシテ、習ハズ教ヘズシテ自リ至ル交合ノ楽シミハ又ト無キ上ナリ。此ノ時必ズ念仏ノ心起ルコト無シ」(「糺仏失巻」)
安藤昌益,野口武彦,管啓次郎. 自然真営道 (Japanese Edition) (p.444). Kindle 版.
by めい (2023-08-12 02:05)
昌益における自然と作為
そこでわれわれが点検してみなくてはならないのは、その昌益にとって人間社会のいったいどこまでが自然であり、どこから先が作為であったかという問題である。昌益は『統道真伝』巻三の「人倫巻」で、「初見ノ人」すなわち穀物の精気が人間と化してこの世界に初めて出現した人間について論じている。この人間は世界で最初の人類なのだから、もちろんそれ以前に社会が存在するわけはない。つまりこの「初見ノ人」のすることは、すべてが自然に属しているのである。そのなかでまずいかにも昌益らしいのは、最初から男女が合一して発現したとされていることであろう。この男女は、いわば本能的に耕作すること、衣を織ること、家居を作ること、婚姻することをおのずと知っていたので、何の不自由もなく生活することができたとされる。そして特徴的なことは、昌益のいう「自然世」は、この初見の男女が自然の妙行によって知っていた以上の営為のほかに基本的につけ加えるべきものは何もないのである。したがって、伏羲以来の歴代の聖人によって制作されたところのもの、身分・階級・文字・学問・宗教・貨幣・奢侈品・音楽・遊芸・嗜好品・酒・売淫などのすべては、ひとしなみに「私法」と呼ばれ、盗みと戦乱の根源、さらにはそれが自然の気行を汚染したことの結果として凶作や洪水などの災害の原因となった、とされるのである。徂徠は三皇五帝による制作を「利用厚生之道」と呼び、堯・舜による「礼楽」としての「道」とのあいだに区別をもうけているけれども(『弁名』上)、それにしてもたとえば嫁娶の制は伏羲によって、耕作の法は神農によって制作されたものとしている。聖人による制作以前には、人間はまったく鳥獣のごとき存在であったと考えるのが徂徠学の立場だとすれば、昌益の主張する自然にはすでに農耕という営為、夫婦という人倫関係が、それ自体として自然にそなわるものとして含まれていることが特色であるだろう。これが昌益の自然像をして法家的な自然の概念(聖人による教化以前の原始状態)とも、道家的なそれ(人間社会全般からの隔絶)とも、明確な一線を画さしめているゆえんなのである。
安藤昌益,野口武彦,管啓次郎. 自然真営道 (Japanese Edition) (p.463). Kindle 版.
by めい (2023-08-12 02:20)
女は60歳からがやりたい放題
https://www.youtube.com/watch?v=6jUg7NQyegc
”幸せだね” つながって言う 72歳
by めい (2023-10-18 08:41)