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いい七夕祭でした [熊野大社]

2022.8.7 七夕10.jpg10回目の七夕祭、今年は60体の御獅子が集結していいお祭りになりました。何よりも御獅子たちがこうしてお祭りしていただくことを喜んでおられる、そのことを強く感じるのお祭りです。御神事終了後、今年は北野禰宜が挨拶しました。七夕祭の本来の意義を語ってくれました。


お盆に先祖をお迎えする前の禊祓いの行事として七夕は行われてきたのです。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-07-1

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豊栄舞の奉納。参列者代表玉串拝礼。

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これまでにない多くの参拝者。

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多くの方から寄せられた短冊が飾られ、キラキラ輝いて見事でした。


七夕にはもうひとつ、牽牛織女の物語にまつわる意味があります。

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織女牽牛伝説
https://japan.visitbeijing.com.cn/article/47Jv9ciAnEL
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に、織女という天帝の娘が住んでいた。織女は機織り(はたおり)がたいへん上手で、彼女の織った布は雲錦と呼ばれ、色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものであった。
一方、天の川の東の岸には、牛飼いの青年、牽牛が住んでいた。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗い、おいしい草を食べさせたりと、よく牛のめんどうをみる、働き者であった。

天帝は、くる日もくる日も、働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手をさがすことにした。そして、天の川の向こう岸に住む牽牛をみつけると、2人を引き合わせ…
「おまえたち2人は、まじめによく働く。牽牛よ、わしの娘、織女と夫婦(めおと)にならぬか?」
牽牛は恐縮したようすで
「天帝様、私のような者には、夢のようなお話しでございます。ありがたくお受けさせていただきます」
織女も、働き者の牽牛をたいへん気に入り、2人はめでたく夫婦となった。
ところが、一緒に暮らすようになると、2人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしている。
これを見た天帝は
「おまえたち、そろそろ仕事をはじめたらどうだ?」
といましめますが、牽牛と織姫は
「はい、明日からやります」
と答えるばかりで、いつになっても仕事をはじめるようすがない。

織女が布を織らなくなってしまったため、機織り機にはホコリがつもり、天界にはいつになっても新しい布が届ない。また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいた。
業を煮やした天帝はとうとう、2人を引き離し、1年に1度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って、会うことを許した。
今でも2人は、7月7日に会えるのを楽しみにして、天の川の両岸でまたたいているとのことである。
「北京旅游网」より

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この物語、せっかく夫婦になったのに1年に一回しか会わせてもらえないという「不幸な物語」です。そこで、イザナギとイザナミが黄泉比良坂を境に離れ離れにならねばならなくなった「不幸な物語」に重なります。→「白頭山天池遥拝祈願祭」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-08-02

このことについてはあらためて書きます。

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