置賜獅子の会宣言 [徳田虎雄]
『神になりたかった男 徳田虎雄』( 2017/11/25)の全面改訂版( )『ゴッドドクター 徳田虎雄』をKindle版で読んだ。先著については「移ろうままに」に3回に分けて書き、Amazonにもレビューしている。→「『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-13-3/https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGD2UX2JNGJADNXVZDUGHFGBKOUQ/ref=cm_cr_arp_d_gw_btm?ie=UTF8
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山形県は、南から置賜、村山、最上、庄内の4圏域に分けられる。徳田虎雄という人に出会って、最初に徳洲会病院の誘致に動いたのはわれわれ置賜だった。昭和56(1981)年のことだ。その後、庄内(余目)、最上(新庄)、村山(山形)には徳洲会の病院ができて今に至るが、置賜には何もない。徳田さんの呼びかけに応えていちはやく「獅子の会」を結成したが、何の実績もないまま今に至る。「猫の子会」といわれるゆえんだ。このままで終わりたくないの思いは根強くくすぶる。私としては最後になるであろう選挙を前に、ずっとこのことを考えている。
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平成3(1991)年の春、徳田さんの要望に応えて南陽で講演会を開催した。徳田さんから「実力の100倍の目標設定」を叩き込まれていた置賜獅子の会は、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」とぶちあげた。その年、「週刊置賜」を発行するわれわれ仲間の「置賜タイムス社」の20周年事業にあわせて、「21世紀、置賜は世界の中心になる!」の思いを盛り込んだ「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくった。
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今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。
その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。
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「21世紀的感覚」とは何か。
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20世紀を支配してきた物欲文化、
より多いモノとカネの追求、
その根っこにあるのは、
羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
それが21世紀的世界。
としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
心の底で芯から望んでいる世の中。
時代は私たち置賜人の望む方向へ、
まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。
より多いモノとカネの追求、
その根っこにあるのは、
羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
それが21世紀的世界。
としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
心の底で芯から望んでいる世の中。
時代は私たち置賜人の望む方向へ、
まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。
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この感覚、どう政治とリンクさせることができるか。この著の再読を思い立ったのもその問題意識からだった。
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その時々、われわれと徳田さんとの関わりの時期と重ね合わせながら読み進んだ。綱渡りの財務のやりくりが事細かに描かれている。あらためて50周年記念式典での東上理事長の言葉を思った。《昨年理事長に就任して徳田さんに会いに行った。20年に及ぶ闘病生活で高次機能低下は避けられないと考えていた。ところが徳田さんは、”数字合わせ”という徳田さんがこだわり続けた徳洲会の合言葉に、明らかに瞼を開いて反応した》当然のことながら徳田さんはセッパ詰まった数字合わせのことなどわれわれには語らなかった。では徳田さんは、何を思ってわれわれと関わり続けてくれていたのか。そしてふと思ったのが月例祭祝詞の一節。
《金を先んじ諍い世の常と成し、人の命軽んじて顧みぬ穢き企み世にはびこることなく、諍ひの源祓ひ清め、世の萬の皆々勝ちさぶ心なく心ゆるやかに和み合ひ、神の心の人の心なる自然(じねん)なる世に移り行かしめ給へと畏み畏みも乞祈み奉らくと白す 》
徳田さんの「医療改革」に対峙しうる目標がわれわれにあるとすれば、まさにここなのではないか。徳田さんがわれわれの前で見せていた穏やかな表情を思う。リラックスした徳田さんを思う。山岡氏の描いた徳田さんとはまるでちがう徳田さんだ。実は昨夜、そんな徳田さんの夢を見た。徳田さんも案外、われわれが思い描いていた夢に寄り添ってくれているのではないか。そのために生命永らえてくれている。そんな気がした。そこで言ってみる。
《金を先んじ諍(いさか)い世の常と成し、人の命軽んじて顧みぬ穢(きたな)き企み世にはびこることなく、諍ひの源祓ひ清め、世の萬(よろず)の皆々勝ちさぶ心なく心ゆるやかに和み合ひ、神の心の人の心なる自然(じねん)なる世に移り行かしめることにおいて、置賜はその先陣を切り、そのことによって「21世紀、置賜は世界の中心になる!」》
この置賜に、徳洲会の病院はできなかった。しかし、徳田さんによって呼び醒まされた精神を、「置賜獅子の会」として息づかせてゆきたい。
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