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徳洲会グループ創立50周年記念式典 [徳田虎雄]

徳田名誉理事長.jpg11月16日、ホテルニューオータニ「鶴の間」で開催された「徳洲会グループ創立50周年記念式典」に行ってきた。「ふるさと南陽のつどい」はこの会場を半分に仕切っての開催だったが、今回は全開放、800人ぐらいか。
参加の目的は二つ。ひとつは、徳田さんの現状を知りたかったこと。もうひとつは、「立ち上がれ!徳洲会」をなんとか徳洲会内部に伝えたいという思い。

徳田さんの現状については、東上理事長による冒頭挨拶が言いつくしてくれた。→「昨年理事長に就任して徳田さんに会いに行った。20年に及ぶ闘病生活で高次機能低下は避けられないと考えていた。ところが徳田さんは、”数字合わせ”という徳田さんがこだわり続けた徳洲会の合言葉に、明らかに瞼を開いて反応した」というのだ。あらためて生命を保ち続けておられることの意味とありがたさを思わされた。(→「徳田理事長訪問記」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-02-26

二つめ、4万人のスタッフをかかえる徳洲会、現場ではワクチン接種をめぐってさまざまな思惑が渦巻いているのではないだろうか。新型コロナそのものの後遺症については、全国に広がる徳州会の12万症例に及ぶ電子カルテ情報を活用し、大規模調査が行われたとの報道がある(https://www.sankei.com/pressrelease/prtimes/NUDLGQWSWNKIFLHOCV6HSAHNRI/)。なんとかワクチン接種後遺症の実態を徳洲会のデータから明らかにしてほしい。出かける間際に思い立って、「立ち上がれ!徳洲会」の記事のコピーと、置賜獅子の会についてあとがきに記した『「光の子ども」たちへ』をバッグに詰め込んで出かけていた。5冊づつ茶封筒に入れていたので、帰り際見送りの職員に「徳洲会へのメッセージを持ってきたので、東上理事長と石川本部長に渡して」と頼んできた。山形徳洲会病院の事務部長を長く務めた石川本部長には、記事を書いた時、電話で話していた。今後の動きを見守りたい。

東上理事長.jpg一連の徳洲会騒動はちょうど10年前の9月に始まる。(→「徳洲会の正念場。「正しさ」につけ!」
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-02-07)徳洲会から徳田色を一掃しようというした時期もあった。(「『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-13-3)3年前、安富祖理事長に代わると、徳田さんが復権した。(→「祝復権!徳田虎雄元理事長」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-16-1)閑職にあった石川前山形事務部長が徳洲会事務方トップの本部長になっていた。「ミスター徳洲会」と言われ、能宗さんと並んで徳田さんの秘蔵っ子(最側近)だった。(「直言 ~ 生命だけは平等だ~」石川 一郎https://www.tokushukai.or.jp/media/newspaper/chokugen.php?newspaper_number=1379)東上理事長による抜擢ではなかったか。今回はじめて近くで見て石川氏と通じ合う人柄を感じた。私なりに思う本来の徳洲会カラーだ。徳田さんの包容力は、右から左まで、ミソもクソもと言っては悪いがいろんな人を抱え込んでいた。その中でも「普遍性」につながる「徳洲会カラー」というのが確実にある。東上理事長からも石川本部長からも感じとれる。混乱の時代を経ていよいよこれから徳田さんの意思が普遍化に向かう時代になったのかもしれない。徳田さん、がんばって生命をつなげていてほしい。

徳田夫人.jpg開会前から、騒動の因となった徳田毅元衆院議員の活発な動きが目立った。呼び止めて「あの時は私なりにブログでがんばった」と言わせていただいた。もらった名刺には「株式会社徳洲会代表取締役」とあった。徳田秀子夫人も車椅子で登壇して立派な挨拶を述べられたいろんな人が壇上に立ったが、語られた挨拶はすべて徳田さんへの熱い思いが込められていて感動的だった。気持ちのこもったいい式典だった。立派な記念誌をいただいた。冒頭の東上理事長の文章がいい。

徳洲会50周年記念誌.jpg発刊のご挨拶.jpg

以下は、石川一郎氏「直言」より。東上理事長と石川本部長の共通感覚が読み取れます。

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石川本部長.jpg私は時々、「なぜ徳洲会に入ったのですか?」と聞かれます。短く答える時は「徳田虎雄に惚れたから」、しっかり答える時は「徳田理事長の話を聞いて、この人と一緒に生きたら、そしてこの人が創った組織で働いたら、自分の人生を生ききれると感じたからです」と答えています。そんな思いで79年に徳洲会東京本部に入職。いろいろ指導してくれた上司が何カ月かで退職してしまった時には、徳洲会が社会にとって必要な存在である限り存続していくであろうし、徳田理事長が私利私欲なくやっている限りは残って頑張ろうと覚悟しました。そして入職から44年経った今思うことは、ここまで続けてきたのは徳田虎雄という人物の存在だけでなく、徳洲会の理念・哲学である“生命だけは平等だ”や“いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会を目指して”という社会運動に共感し、そこにやりがいをもってきたこと、と同時に、苦労を分かち合う仲間が全国にいる徳洲会が好きだったからということです。

最近、東上震一理事長が「私たちは徳洲会の理念・哲学に帰属して」という言葉を使いますが、このフレーズは徳洲会組織のありようの根幹を為すものだと思います。私も結局は徳洲会の理念・哲学に帰属して働くことの壮快感に浸っていたのだと思います。

現在、東上理事長が徳田・名誉理事長が撒いた種を実らせるべく、忙しく走り回っていますが、私たち徳洲会の目指す社会運動は果てしなき旅路かもしれません(ここで中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』を思い起こします)。


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