舟山・はが国政報告会② 学術会議問題・コロナ問題 [舟山やすえ]
小松たけみ市議の質問に対して、《まさにですね、理由がないというのが怖いし、毎回毎回言うことが変わってきて、最初はリストを見ていないと言いながら私が責任者というのも支離滅裂だし、・・・全く理由になっていないし、萎縮させようということで、コレ本当に怖いことだと思ってます。・・・ただ怖いのはね、こう言う問題の追及をいつまでやってるんだ、野党しつこい、いつまでやってるんだ、もっと大事なことあるんじゃないか、という方向に必ず行くんですよね。でも、本質的な問題として、海外も・・・非難声明出しているくらいですから、国民も「そんな問題いつまでも」というところから脱け出していかないといけないんじゃあないかな、というような気がします。》
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私の質問でこの問題には触れなかったが、言わせていただく機会があればこう言ったと思う。《拒否されたひとりである芦名定道京大教授が、私の幼稚園時代からの大事な恩師の甥御さんで、7年前宮内幼稚園60周年の時に素晴らしい講演をしていただいた先生なので、この問題に当初から関心をはらっていた(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-02-1)。報道を知って最初の印象は、アンタッチャブルな領域にも踏み込む覚悟を見て、「さすが菅首相!」ということだった。「共産党、墓穴を掘った」とも思った。54年前、何もわからぬまま大学に入学してて男子寮に入寮、故郷にいた時とは別世界、なにもかもが新鮮だった頃、大学の教授先生を頂点に、先輩も同輩もみんな偉く見えたものだった(まわりは民青が多かった)。今思えば「学問の自由」は、あの頃を象徴する言葉だった。しかし、3回生の後期に足元にまで及んだ大学紛争は、大学入学以来培ったその幻想を覚まさせてくれた。アカデミズムと実社会との大きなギャップに気付かされたといっていい。そしてそこから、ほんとうの自分なりの歩みが始まった。だから今回の騒ぎが、占領政策の影響を逃れることができないまま75年経った日本が、本来の日本を取り戻すためにどうしても通らねばならない、いわば禊(みそぎ・身削ぎ)に見えています。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-07-2)》
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また、「そんな問題いつまでも」は私もやすえちゃんにぶつけたことがあるのを思い出しました。→「あらためて、やすえちゃんへ(3市5町後援会研修会)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-21-1
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学術会議問題に関連して付け加えられたコロナ禍をめぐるやすえちゃんの発言は大事な指摘だった。じっくり聞いてみたい。
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◎コロナ禍について
《それと、自主規制でもうひとつ申し上げると、わたしやっぱりね、コロナに関してもね、日本は、いわゆるたとえば自粛要請で自粛しているんじゃないんです。行動制限を要請してみんな従っているということが、なんか強制しなくても従っているということがあたかもいいように思われていますけれども、逆に私怖いような気がするんですよね。だから強制されるんじゃあないから、ほんとうは別にたとえば、お店に行ったっていいわけだし、飲食してもいいわけだし、その際にちゃんと気をつけることすればいいんだけも、けど、でもともすればね、あいつ昨日飲みに行ってやがった、とかさ、そういうまさに自粛警察と言われてましたけど、それが怖いですよね。もうだから解除されてもみんなビクビクしてもう、私東京から山形に来るとほんとに思いますよ。東京の方はもうちょっと自由に戻ってるけれど、もう山形は、やっぱり隣の目が怖いから、娘に帰ってもらいたいけど帰ってこいと言えないから、法事だけど今回ちょっと我慢してもらうとか、全然そんなことやれとは言われないんだけれども、やっぱりなんていうか、きちんとした明示的な基準がないから、あれやったらうるさく言われるんじゃあないかとか、これやったら近所の目が怖いということで、なんかどんどん萎縮していくということがむしろ怖いなあという気がするんですよね、そっちも。だからある意味、それをはっきり法律で、たとえば主権制限云々あれこれ言われますけれども、私、むしろ法律できちっと制限されるよりも、自発的な動きの方が、逆に激しく主権制限されるということもありうる、と私は思うんで、ある程度明記的にしたほうがいいんじゃないかなと私は思います。だからそういった意味でも特措法の見直しなんかも必要かなあとおもってるんですけれどもね。そこは賛否両論いろいろあるかもしれませんけれども、そこはご意見あったら聞かせていただきたいと思います。》
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テープを起こしつつ、くらしの中では普通の感覚なのに、他の政治家は案外気付かない「やすえ感覚」みたいなのをあらためて感じた。やすえちゃんに惹かれるゆえんはこの辺にあるのだと思う。
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【追記 2020.11.3 11:15am】
いま、放知技板で堺のおっさんの発言を読んで、「国民民主党の可能性」についてふと思いました。やすえちゃん感覚が、ひょっとして「50%層」を掴むことになるかもしれない、と。
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19 名前: 堺のおっさん2020/11/03 (Tue) 10:11:27
政党支持と政策への共感が一致しない。
政党支持と政策への共感が一致しない。
その傾向がますます顕著になってきている。
大阪の住民投票は事前の賛成圧勝を覆し、
前回よりもわずかながらも反対が増えた。
これが現実の政治だ。
裏返すと…
政党が現実的な政策を打ち出せていないからでもある。
保守・革新といった区分はもうずいぶん前に陳腐化したし、
高齢者と若者といった区分も従来の物差しでは測れない。
男女の性別も課題によって揺れ続けている。
もはや特定の層が特定の政党を支持する時代は終わったと言える。
ところが、政党側からはこういう物の見方ができず、
自党の支持者は特定の岩盤支持層がいると思い込んでいる。
時代錯誤も甚だしい。
アメリカの隠れトランプ支持者ではないが、
日本にも隠れ〇〇支持者が主流派となりつつある。
日本にも隠れ〇〇支持者が主流派となりつつある。
無党派層・支持政党なし層をはじめ、
〇〇党支持という層の中でも本音は違うという層が増えている。
この層は推定で有権者の50%を超えている。
したがって、無党派ないしは支持政党なしか
支持政党ありで分ける区分ももはや大きな意味を持たなくなっている。
これからの政治を変えていくカギは
隠れ〇〇支持層をいかにつかむかを戦略化できるかかどうか。
これができれば、ポリコレもポピュリズムも超えた流れを作ることができる。
現代日本のマキャベリズムである。
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