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新・mespesadoさん講義(166)「一なるもの」(承々前) [イハトビラキ]

前記事《脳の「機能の仕組み」それ自体が「一なるもの」の正体である》(165)の先です。他記事にかまけて読むのが遅れていました。今読んで驚きました。すごい内容です。
「一神教」の段階で止まるのが「西洋かぶれ」、「天皇」の段階で止まるのが「日本のウヨク」》西洋人にとって神が動かしがたい存在であるごとく、天皇を同様に考えてしまうのが「日本のウヨク」、よくわかります。思えば、猿都瑠さんの《祭祀を行う事は天皇しか出来ないわけではないのだ/これからは人類の一人一人が天皇が独占していた祭祀を行っていくのである。一人一人が神仏と繋がる。そして成仏する。》の言葉が、目からウロコでした。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-05)天皇をスタティック(静的)にしてしまってはダメなのだ、とその時思いました。今回mespesadoさんは言います。色々欠点のある生身の人間ではあるが、自然が作り上げた精神世界の、現代の人間はまだ認識できていない何らかの能力を秘めている可能性がある天皇という存在」》。そして大事なのは、われわれひとりひとりにも天皇に備わる「神性」がある、それゆえの猿都瑠さんの言葉です。
mespesadoさんはさらに踏み込んでいきます。進化論的な発想ではない新たな唯物論によって「愛」とか「波動」とかがきちんと説明できる理論体系をきちんと体系づけたいな、と考えています。》と宣言されます。《それこそがこれからの時代を生きるのに大切な視点だからです。》ほんとうにそう思います。世界はイハトビラキに向けて大きく動いています。ありがたい時代に生きていることを実感させられます。
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784:mespesado :2022/07/03 (Sun) 10:02:59
>>783
> 何しろ経済オンチなので、松田プランをどう解釈したら良いのかちんぷ
> んかんぷんだった点を詳らかに教授して下さったmespesadoさんの講義、
> それを引き出して下さった亀さんの質問は秀逸でしたね。

 私のつたない説明が、少しはお役に立てたのであれば幸いです。それから亀さんも、よくあのような動画を見つけてきたものだと感心します。これこそ、松田さんの本質を知るのにとても重要な動画でしたからね。
 さて、メインスレでは「一なるもの」についての唯物的な私の視点による解釈を述べさせていただきましたが、それに関係がある貴香さんの「一神教」に対する次の下りにはハッとしました↓
> 一神教に対して日本は多神教って単純に分類していては分からないです
> ね。

> 昨日はテレグラム内で、多神教に対して一神教は上だと説明されてたの
> を読んで、日本人自身が分かってないってことに愕然としました。

> 私は有り難いことに母からある程度教えてもらえてたので、海外から見
> るとそう見えるのかな?くらいに受け取っていましたが、当の日本人が
> そんなことを言ってて、だから皆何の違和感も無くNESARA GESARAを心待
> ちに出来るのかも知れないって思いました。

> 全てに上とか下とかは確かに有りますが、上をカミと読み神に繋げる感
> 性は日本人だけの持つ柔軟性、一神教が上って決めつけた言い方では私
> には受け入れられません。

> 大元は一つなので、一神教の神は大元を表すと云う説明ですが、では何
> 故イスラムやキリストなどでは戦うカミなのか理解出来ません。

大元は一つなので戦う必要は皆無です。 

 私の解説の流れで行くと、國體の天皇の役割を果たす「スキャンダルから全く自由な完璧な尊敬の対象」として人工的に作られた存在が「一神教の神」なのであって、このようなゾロアスター教に始まる一神教のアイデアが出る前に存在していたであろう日本神話やギリシャ神話のような、自然発生的な「人間臭い神々」というのは、「スキャンダルを防ぐために人工的に作ったもの」ではないので、欠点も色々持っている。だから、自然の中で人間にとって不都合なところがあれば、人間の考える理想に合わせてこれを作り直してしまえばよい、という、いかにも西洋的?な考えで創られた「一神教の神」というのは、当の西洋人はよかれと思って「改善」して作ったモノなのですから、彼らが「多神教より一神教を上」だと思うのはある意味アタリマエですよね。でも、それは彼らの「人間の思考の方が自然よりエラい」という傲慢な考え方でしかない。そこは一神教の神みたいに「人間が思考で編み出したに過ぎない理想」の産物ではなく、「色々欠点のある生身の人間ではあるが、自然が作り上げた精神世界の、現代の人間はまだ認識できていない何らかの能力を秘めている可能性がある天皇という存在」を「一なるもの」の位置に据えている日本人こそが気が付くべき視点ではないかと思います。つまり、一神教の神であろうが天皇であろうが、しょせんは「一なるもの」の代替え物でしかないのであり、それを知らずにその段階で止まってしまうのは思考停止であり、「一神教」の段階で止まるのが「西洋かぶれ」、「天皇」の段階で止まるのが「日本のウヨク」であって、そこで止まってしまったのではもったいないですよね。
 ところで私のメインスレでの「一なるもの」の解説では、スピリチュアルで大切な「愛」とか「(愛の)エネルギー」とか「波動」といった要素が全然説明できていません。これは私がそこで説明してきたような「進化論に基づく諸本能の発生」のようなメカニズムで説明できるようなものではないと思っています。といっても、それはこれらの概念が唯物的に説明できないと主張するものでもありません。いわゆる「精神世界」というものは、単に生命進化の論理、つまり「利己的遺伝子」のような理論(←これは、経済学における「正しい貨幣論」の場合と同じで、その擬人的な言葉遣いとは裏腹に、論理的にはトートロジーの積み重ねで生物の進化を説明する典型的な唯物論の理論の一つではある)で説明できるようなものではなく、おそらく精神性というものは、生物進化の理論とは切り離された、全く別のトートロジーの積み重ねで説明されるような世界なんじゃないかと考えています。というのは、スピリチュアルの概念って、一見すると生物の本能には反するような行為がかえって推奨される部分もはっきりと存在しますよね。例えば「外部による優劣や善悪という価値判断から自由になれ」とか。人間がどうしてもこの優劣や善悪の価値判断をしてしまうというのは、どう見たって本能によるものだし、そのような価値判断をすることで確かに生存確率が上がったりするのは確かですから。それから、同じくスピリチュアルの世界では、科学技術が超絶に発達しきった今日であるからこそ通用する話、例えば肉体労働が機械によって取って代わられて、イヤな仕事から解放される話なんて、科学技術を使う生物なんて、進化論的にはもともと考察の対象外ですから。ですから、進化論的な発想ではない新たな唯物論によって「愛」とか「波動」とかがきちんと説明できる理論体系をきちんと体系づけたいな、と考えています。それこそがこれからの時代を生きるのに大切な視点でしょうから。


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