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水心子正秀のすごさ [地元の歴史]

正英.jpeg正英 1.jpeg山形新聞「ふるさとの文化財」に水心子正秀(1750-1825)の刀。《徳川家が統治した江戸時代は平和な世が続き、日本刀は美術的な装飾が施された刀が主流となっていた。しかし正秀と多くの門人は鎌倉や南北朝時代の作刀法をよみがえらせようと復古論を唱え、刀剣史に残る新々刀(復古刀)の時代を築き上げた。》とある。

水心子正秀については、2020年の市民大学で、山形考古学会会長の佐藤庄一さんがいい講義をしてくれ、それに触発されて記事にした。→「新々刀の巨匠 水心子正秀(南陽市民大学講座)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-30-2

水心子正秀を「すごい」と思ったのは、苦労して身につけた技術を惜しげも無く弟子たちに伝えたことで、日本刀のすぐれた伝統が今に伝わることになったということだった。このことについては、2020年の12月議会の一般質問で、第6次南陽市総合計画基本構想に絡めて、「 オレがオレが」が本来なのではないという、南陽の風土の底流感覚を象徴する人物として、小田仁二郎、須藤永次とともに正秀を取り上げた。→一般質問してきました」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-12-10 

以下は、先記事に追記した『羽陽文化』第十一号、鈴木清助「郷土の刀剣と刀工」より。

《水心子正秀の功績を一々申し上げておりましては数えつくすことはできませんから大略に致しますが、正秀が江戸浜町において門戸を開き、多年研究し発明する鍛法を以て諸方面の注文に応じ刀を作りましたので、すこぶる評判が良く、事実古作に劣らぬ名品を世に出しましたので名声いよいよ高く、全国の刀匠はわれもわれもと水心子の門を叩きその教えを乞わざるものはほとんどないと言ってもよいくらいでありました。門弟の中には武士あり、刀匠ありであったのでありますが、今日記録に残っている門人だけでも百余名に上っております。尚、当時における我が国の刀鍛冶全体が水心子正秀ならざるはなしという有様であったのであります。これらを見ても彼が斯界に残した功績は甚だ大なるものと言わざるを得ないのであります。/今日尚、古法によって現存の刀匠が名刀を作っているのは全く水心子正秀の御蔭であると断言してもはばからないのであります。》

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