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一般質問してきました [議会]

昨日、午後1時からの一般質問でした。朝になって「重掲板」で副島さんの「トランプが、戒厳令(マーシャル・ラー)を発令するだろう。」を読み、「米連邦最高裁判所の判決如何で「戒厳令」(副島隆彦)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-12-09の記事を書きました。重大に思え、放知技板にも書いてきました(>>293)。一般質問の冒頭でも言わねばならないと思い新聞やテレビの報道よりもネットでの情報を第一義にしてきた者として、アメリカ大統領選挙についての現段階の情報を議場の皆様と共有したい》ということで語ってきました。朝の段階の原稿には「連邦最高裁判所の判断次第では戒厳令もありうる」と書いたのですが、昼食に家に戻って、スプートニク《米連邦最高裁判所はペンシルベニア州におけるジョー・バイデン氏の勝利結果を見直すことを求めたトランプ陣営の上告を棄却した。棄却とした理由について裁判所側は一切の説明を行っていない。》の記事を読んだので、今確認してきたところ、連邦最高裁判所はその理由を明らかにしないまま棄却となったとのことです。裁判所の判断次第では戒厳令も辞さないことを2日の演説からは読み取ることができ、今後トランプ大統領はどう出るか。アメリカに大激震が起こりつつあることを申し上げておきます。》と、原稿を書き換えました。放知技板にもスプートニクの記事を紹介しておきました(>>294 )。議場では唐突感はありましたが、静かに聴いてもらえました。ただ、終わってからこのことは誰とも話題にならなかった。夕方戻って、放知技板でのsuyapさんからの「トランプさん側の請求、全て棄却されたわけではない」という指摘(>>295)を読みました。大雑把な私の頭にはありがたい指摘でした。その後の商店街の会合から戻って、suyapさんのテキサス州の訴えは、連邦最高裁に受理された模様です。/現在、アーカンサス、ルイジアナ、アラバマ、フロリダ、ケンタッキー、ミシシッピー、サウスカロライナ、サウスダコタが原告に加わりました。/これで12月14日の選挙人投票は無理となりました。》 >>298)を読んで一日が終わりました。そして今朝、suyapさんにお礼を言ってきたところです(>>304 )。そこで書いた通り、今朝の新聞では「テキサス州の訴え連邦最高裁に受理・・・」は無視です。「受理した」の元記事はBonaFidr→https://bonafidr.com/2020/12/08/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E5%B7%9E%E3%81%8C%E3%80%81%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%B7%9E%E3%80%81%E3%83%9F%E3%82%B7/。ともあれ、流れてくる「ニュース」の表層をとらえて一喜一憂することなく、大局をにらんで推移を楽しみましょう。》suyapさんの言う通りか。個人的には、トラちゃんはある程度バイデン一味を追い詰めたあと、結果的にはどこかで手打ちして、あまり血をみないような結末に持って行くような気がします。》もなるほどです。

とりあえず、以下一般質問原稿です。そのあとのやりとりは後ほど。

*   *   *   *   *

 はじめに、新聞やテレビの報道よりもネットでの情報を第一義にしてきた者として、アメリカ大統領選挙についての現段階の情報を議場の皆様と共有したいと思います。
 トランプ大統領は2日の午後ホワイトハウスでの40分間の演説で、「今回のスピーチは自分がこれまで行った中でも最も重要なものだ。自分はこれから米国2020年の選挙で起きた大規模な詐欺と不正行為を暴き、また包囲攻撃を受けている米国の選挙制度を守ることを決意している。自分は米国の法律と憲法を守るという大統領としての至上の責任を果たす」と宣言しました。この演説の重要部分は3つにまとめられます。①正確な選挙結果はまもなく出てくる。バイデン氏はそれを受け入れる準備ができていることを望む。②過去のアメリカ人たちは、自由と民主のためには血を流し命をも捧げてきたが、今はそれと同じ代償を払う準備ができている。③再選はもうない。だから今回は事実で結果を逆転させる。それだけではない。選挙詐欺に関わった者や反逆者を処罰する必要がある。そうしなければ、選挙に対する有権者の信頼回復も政府への信頼回復もありえない。
 トランプ大統領は、今回の選挙の不正についての訴状を連邦最高裁判所に提出してその判断をまっていたのですが、今確認してきたところ、連邦最高裁判所はその理由を明らかにしないまま棄却となったとのことです。裁判所の判断次第では戒厳令も辞さないことを2日の演説からは読み取ることができ、今後トランプ大統領はどう出るか。アメリカに大激震が起こりつつあることを申し上げておきます。

 本題に入ります。
 11月25日に開催された第2回南陽市振興審議会では、5月に答申された第6次南陽市総合計画基本構想につづいて、総合計画前期基本計画(素案)の検討が行われました。
 基本計画の中の「地域に根ざした人材を育てる」の一番目「質の高い学びをつくる」の【現状と課題】、その中に「新型コロナウィルス感染症による先行き不透明な未来に対して柔軟に対応するため、市民一人一人が地域の課題を自らの課題として考え、他者と協働し持続可能な社会の担い手となる力をはぐくむことが必要です。」とありました。これまでだったらタテマエでしかなかったこの文章に私は、従来とはちがった重い意味を感じました。たしかに「先行き不透明な」コロナ禍は、われわれの意識を変えつつあるのかもしれません。
 全員が意見を述べるに先立ち、柴田孝座長の感想として「どこの地方都市にも通用する書き方で、もっと南陽市らしさを打ち出してもいいのではないか」と述べられました。私はこの言葉に、宮内生まれの文学者小田仁二郎を思い起こしました。
5-小田仁二郎.jpg4-触手.jpg 小田仁二郎は、今は瀬戸内寂聴さんのおかげで有名になった感があります。しかし小田仁二郎は、宮内が舞台の「にせあぽりや」と、本の題名となった「触手」という二つの小説によって、戦後まもない文学界に大きな反響を巻き起こした作家でした。そのことあっての寂聴さんの接近でした。この作品の先進性に衝撃を受けた当時新進気鋭の福田恆存が、「この小説はあまりに最先端すぎてわかってもらえないにちがいない」と心配して、その本の巻末にわざわざ解説をつけました。その後福田は、日本を代表する文芸評論家になります。また、世界30数カ国の言葉を自在にこなし、東洋と西洋の思想をつなげることに生涯をかけた井筒俊彦という世界的な大学者は、妻が「小説をやりたい」と言い出した時、「小田仁二郎に学べ」と小田のもとへ妻を送り出しました。
葉の落ちた大銀杏.jpg 小田仁二郎が「にせあぽりや」と「触手」という小説で表現したことは何だったかというと、明治以来の日本近代文学が悩んできた「自我」の問題に始末をつけたことでした。芥川龍之介や太宰治を死に追い込んだのがこの問題でした。「にせあぽりや」のアポリアとは「解くに解けない難問」というギリシア語です。「にせあぽりや」には、「難しい顔して深刻ぶってるんじゃねぇ」という意味合いが込められているのです。おそらく同世代の太宰治を意識していたと思われます。その小説のクライマックスが、宮内の十文字から大銀杏を望んだ風景です。読んでみます。《私は、四つ辻にたち、北をむいた。四つ辻の、ひそかな竜巻もおち、あたりの静寂が、死の重さで、私を圧しつぶす。ただ私の眼のそこには、つまさきあがりの通りのはて、その梢に寒雲をつき、葉のおちつくした銀杏の大樹が、凝然とそびえたっているのである。町は廃墟となり銀杏の大樹に変じた。私の町は一樹の銀杏と化したのである。》
 この小説で小田仁二郎がやったことは、「オレがオレが」で打ちたてた世界を木っ端微塵にしたことでした。人間にとって、「 オレがオレが」が本来なのではないことを文学として表現したのでした。
 小田仁二郎の母親たかの実家は杵屋本店です。小田たかは歌を詠みました。4年前牧野房先生が編集して教育委員会が発行した『南陽市のうた』の中に2首載っています。そのひとつに驚きました。「自我至上の生き方うたがひ街を歩く生あたたかき風の吹く夕べ」。自我を何より大事にすることへのためらいの表現です。母親自身の中に「 オレがオレが」への疑いがあったのです。このことを知って、小田仁二郎を生み出した宮内、そして南陽という土地に根ざす感覚を思うようになっていました。思えば、生涯ふるさと赤湯を思い続けた結城豊太郎もそうでした。また、最近市民大学講座で知ったのですが、中川生まれの江戸時代の刀鍛冶水心子正秀は、苦労して身につけた技術を惜しげも無く弟子たちに伝えたことで、日本刀のすぐれた伝統が今に伝わることになりました。あるいは、吉野石膏を今日あらしめた須藤永次、空襲で焼き尽くされた東京からの疎開を終えたのがちょうど終戦の日、その晩息子恒雄に「紙と木の日本の住まいを燃えない住まいに変えのがオレの仕事、すぐ東京に戻る」と言ったと恒雄会長に直にお聞きしたことがありました。同業者に特許を公開し、自社に招いてまで技術を伝授して石膏ボード業界を立ち上げ、日本の住宅を燃えない住まいに変えたのでした。そうした南陽の先人が思い浮かびます。「 市民一人一人が地域の課題を自らの課題として考え、他者と協働し持続可能な社会の担い手となる力をはぐくむことが必要です。」という、どの土地でも通用する文章の背景には、南陽の風土とそこで育った多くの先人の思い、感覚があることに思い到らせられるのです。
 コロナ以前とコロナ以後、みんなの意識が変わりつつあります。まさに「市民一人一人が地域の課題を自らの課題として」考えることが、タテマエだけのことではなく、それぞれが本心から思う時代になりつつあるのです。その意味で、「にせあぽりや」と「触手」発表以来72年を経て、小田仁二郎がようやく「わかった」と言える世の中になりつつあると思えたのでした。
 そしてちょうどこの時、「立地適正化計画」が策定されつつあることの意義に着目しました。何よりもまず、地域住民一人ひとりが、自分の住む地域全体をわが事として見回すことから始めねばならないからです。
 市長の今年度施政方針によると、市政運営の基本方針の3つ目の柱、「人が集まり賑わうまちづくり」として、《国土利用計画、都市計画マスタープランの見直し及び立地適正化計画の策定により、更に良好な都市環境の保全とともに、居住や都市の生活を支える医療、福祉、商業等の誘導と、公共交通の連携による「コンパクト」で「ネットワーク」に優れたまちづくりに努めてまいります。》とあります。昨年来、南陽市都市計画マスタープラン及び立地適正化計画策定に係る市民まちづくり会議において検討が重ねられてきたとのことですが、まず、これまでの経過とその蓄積についてお聞かせください。
 つぎに、南陽市全体において解決すべき適正ならざる問題点として、どういった点を考えておられるか。また特に宮内地区についてはどう考えておられるかをおたずねします。

 つぎに、放課後子供教室についておたずねします。
 宮内小学校では再来年の創立150周年に向けた準備が始まっています。明治5年、すべての国民に等しく知識学力を授けることを目指して学制が布かれました。以来150年、今では われわれが学校で教え込まれる程度の知識は、スマホ一台あればどこにいてもアクセスできるようになりました。知識の蓄積ならAI 、人工知能がやってくれます。学力を知識の量で測ることは全く時代遅れになりました。たまたま手に取った幼稚園向け新聞の記事に、我が意を得た思いをしたことがありました。こう書いてありました。《学習指導要領が「内容」(コンテンツ)を中心に描かれてきたように、我が国の学校教育は領域特殊的な知識を基盤としてきました。これに対し近年、領域を超えて働く汎用性の高い「資質・能力」(コンピテンシー)を軸にカリキュラムや授業を編み直せないかとの模索が、世界的に活況を呈しています。/それは、教育に関する基本的な問いを「何を知っているか」から「何ができるか」へと転換します。》ちょっとわかりにくいですが、要するに、学力の第一義は、「何を知っているか」ではなく「何ができるか」に変わりつつあるということです。
 学校の授業といえば、教壇に立つ先生による一斉授業があたりまえでした。しかしコロナによってGIGAスクール構想に拍車がかかり、一人ひとりがタブレットをもち、それぞれの個性能力に即した学習が可能になります。今後、「在宅勤務」の流れは、学校にも及んで「在宅学習」の流れも加速するように思われます。つい先日、不登校児のために、在宅でのオンライン学習も出席扱いにするとの報道がありましたが、「ただそこにいるだけでナンボ」ではなく「なにができたかでナンボ」へ、「そこでとにかく時間を過ごす」ことから「何を身につけたか」へ、職場が変わるように学校も変わってゆくにちがいありません。
 学校が大きく変わろうとするこうした時代にあって、南陽市における放課後子供教室の取組みに注目します。
 今年から宮内小学校において「平日毎日型」の放課後子供教室が、沖郷小、赤湯小に続いてスタートしました。全校児童数327名のうち220名、実に全校の2/3が登録し、毎日100名前後が参加しています。先に文教厚生委員会で視察し、その後教室終了後の反省会を覗かせていただきました。7月のスタート以来「みんなだいすき みやうちだいすき」という教室通信がすでに11号を重ね、その時いただいた11号の見出しは、「放課後子供教室は来年もあるの!」という子供の問いかけでした。「来年もやってほしい」という子供の思いにスタッフの疲れもふっとんだ、と書かれています。ハイジア復活の期待を担う奥山清行氏は、デザインの出発点について、《顕在化した需要である「ニーズ」ではなく、まだ潜在的な需要である「ウォンツ」を掘り起こすことです。》と言っておられますが、放課後子供教室はまさに子供たちの「ウォンツ」を掘り当てたのではないかと思ったところでした。放課後をどう過ごしたらいいか、子供達はまさにこういう場を求めていたにちがいありません。
 そこであらためてお尋ねします。
 まず、これまでの実績と現状を踏まえ、放課後子供教室の意義をどう認識しておられるか。そして、これまでの積み重ねから、放課後子供教室の課題をどう捉えておられるかについてお尋ねします。
 つぎに、学校と放課後子供教室、学童保育と放課後子供教室の連携について、行政の立場からどのように考え、どう取り組んでいるかについてお尋ねします。
 さらに、放課後子供教室の今後の方向性と可能性についてです。
 放課後子供教室は、第6次南陽市総合計画の基本目標7項目のうち、「1.健やかで安心な暮らし・子育てを実現する」「 2.地域に根ざした人材を育てる」にまさに合致し、「平日毎日」型については全国的にもまだ一般化しておらず、南陽市の目玉的取組みといってもいいと、私には思えます。そうした認識を持っておられるかどうかについてお尋ねします。
 また、この事業は国、県、市が1/3ずつ拠出の事業となっていますが、今後さらに積極的展開を期待できる予算措置は十分なのかどうか。令和3年度南陽市重要要望事業一覧表にも「放課後子供教室に対する財政支援の継続について」の項目があり、あるいは国、県ともに出し渋りの傾向があるとするならば、南陽市の実績を踏まえてさらに強く訴えるべきと思うがいかがでしょうか。
 以上よろしくお願い申し上げます。



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