新々刀の巨匠 水心子正秀(南陽市民大学講座) [地元の歴史]
8月22日南陽市民大学講座がスタートしました。第一回は市民大学講座運営委員長で山形考古学会会長の佐藤庄一さん。故黒江二郎氏の研究成果『水心子正秀研究』を遺族から預かったということで、水心子正秀についてはまったくゼロからの出発での講義でしたが、水心子正秀像をくっきり浮かび上がらせることに成功しました。まだまだ知りたい気持ちにさせてくれました。
《水心子は、寛永3(1750)年に元中山諏訪原地区に生まれ、父を早くに亡くしたため、母と赤湯北町地区の外山家に身を寄せました。22歳の時、武州八王子(現在の東京都八王子市)の刀工である下原吉英に弟子入りして刀鍛冶の技を磨き、安永3(1774)年、山形藩主・秋元但馬守の永朝のお抱え刀工となりました。その翌年に作られた刀には「出羽国赤居住宅英精鍛」という銘が刻まれています。「赤居」は古代出羽国置賜郡にあった「赤井鄕(現在の赤湯地区付近)」を表します。また、「宅英」は師匠の一字をもらい受けた名前です。水心子は、応永(1394~1428)年間以降衰退しつつあった刀剣を復古しようと、南北朝~室町時代初期ごろの刀を多く作りました。後に江戸の秋元家中屋敷に住んで「刀剣弁疑」など多くの書を著して刀鍛冶の復古を提唱し、「新々刀(※3)の祖」と仰がれ、100名を超す門弟を育てました。》(佐藤鎮雄「 市報なんよう」)100名の弟子を育てたというのがすごい。《江戸時代後期、沈滞していた鍛刀界において、「日本刀は鎌倉あるいは南北朝に帰れ」とする復古論を唱えるとともに、実践を行った水心子正秀は、刀剣史上に新々刀期を打ち立てたわが国を代表する刀工のひとりであり、数多くの弟子を育成しており、米沢の刀工達の多くは正秀の影響を少なからず受けています。》《正秀は各流派の伝法を研究し、・・・復古刀の理論を唱え、・・・自らの研究成果を『刀剣実用論』、『鍛錬玉函』、『剣工秘伝志』などに著し、刀工の教育者として、秘伝という閉鎖的な職人の世界にあらたな局面を生み出しました。正秀によって江戸後期の鍛刀界は大いに活気を取り戻します。》《正秀は江戸時代の多くの刀工が幕府から受領(名目上国司に任官。守、大掾、介などがある)している中、半世紀にわたる鍛刀生活に終始し、生涯受領しませんでした。》(『米沢の刀工ーよみがえる赤羽刀ー』米沢市上杉博物館 2012) 佐藤庄一氏は、「どこまでも探求の自由人」と評した。思いっきり突き抜けた人だったように思う。国会図書館のデジタルコレクションで『水心子正秀全集』(川口陟 編 大正15年)を読むことができる。→https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020678
やはり国会図書館のデジタルコレクションに川口陟の『刀剣談話』があった(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018779)。正秀のことが生立ちからその評価まで詳しい(117〜)。その次の「東北の旅」という文章に、著者が正秀について知りたくて赤湯に来た時のことがいろいろ書いてある(155〜)。丹泉ホテルに宿を取り、烏帽子山八幡宮に行って奉納された刀の来歴を宮司に聞いたり、北町の外山家を訪ねたりしている。当時の赤湯の様子が生き生きと描かれていて実におもしろく読んだ。
もうひとつすごい動画があった。 居合の達人の所作をもとに作った産業用ロボットに、達人と同じ技をやらせるというプロジェクトなのだが、ロボットのつかう刀がなんと水心子正秀の作なのだ。https://isao-machii.org/2020/05/05/%E6%B0%B4%E5%BF%83%E5%AD%90%E6%AD%A3%E7%A7%80%EF%BC%88%E8%8A%B1%E6%8A%BC%EF%BC%89%E5%88%BB%E5%8D%B0%E3%80%80%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E5%85%AB%E6%9C%88%E6%97%A5%E3%80%80%EF%BD%9E/
《この刀は中切先延びた鋭い姿で、小板目良く練れて詰んだ地鉄に、湾れ刃を匂口明るく焼き上げた作品で、刃縁には細かな砂流が見られます。腰元に彫られた太い腰樋がなんとも印象的な一刀です。今回、この刀に研磨を施さず、畳表を斬った状態のままでご紹介さしあげたのは、恐らく史上初となるであろう、産業用ロボットによる連続試斬に使用されたのが本刀であるためです。数年前ネットでも話題になりました安川電機のロボット、motomanによる千本斬り動画。あの収録でmotomanが握っていた刀こそこの一刀です。本刀の凄まじい斬れ味については、下記リンクより動画でご確認下さい。https://www.youtube.com/watch?v=O3XyDLbaUmU》←必見です。水心子正秀の刀は、その斬れ味を第一義とすることで、失われつつあった江戸後期の武士道精神に活を入れたのでした。勝海舟の愛刀も正秀の作でした。
【追記 2020.11.28】
『羽陽文化』第十一号、鈴木清助「郷土の刀剣と刀工」に、水心子正秀についてのいい文章がありました。
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