コロナ後の世界(予感) [イハトビラキ]
ちょうどその頃の堺のおっさんの言葉、《武漢ウイルスがもたらす新たな世界に焦点を当てない論は無意味なおしゃべりに収れんする。楽観も悲観も排して、すでに始まりつつある新しい世界の萌芽にこそ知恵者は思いを巡らす。長期化する武漢ウイルスによる日常の変化に目を凝らせばいくつかの光がすでに見える。》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-20
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地獄ですか!? 一旦はそうなるでしょうね。ただ、その後に、その中から「一輪の蓮の花」が咲いてくるのではないか、と予感します。
その流れを、現代の金融経済システムの中の「貸借」という概念に絞って、今後どうなるかという観点で考えてみました。
金融資本主義では、お金の貸借がベースとなり、利潤が追求されていきます。それをオーガナイズするのが銀行です。一つの国の数多くある銀行の胴元が、それぞれの国に置かれている中央銀行です。そして、各国の中央銀行の上に君臨するのが、基軸通貨のドルを手の内で操作できる、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)なのです。さらに、金融の総元締めとしてFRBを操る、ヨーロッパ近世から、その勢力を不動のものにしてきた、金融貴族と言われる一握りの人達がその背後に鎮座しているのです。(これは陰謀論ではなく事実です。)
まず、このピラミッド構造を抑えたうえで、「貸借」と言う問題を考えていきます。
大雑把に言って、「貸し」「借り」そして「返済」と言うお金の流れで生じてくる概念が「金利」「返済期間」「返済を保証する担保」という考えです。そこから、担保の保険、保険の保証、債務不履行、CDS、格付け、ファンド、株式、配当、ヘッジ、レバレッジ、先物取引、証券化(MBR,ABS,MBR+ABS=CDO)といったわけわからない言葉や概念が次から次に派生して、「貸借」という概念にくっ付いてくるのです。
この流れと仕組みを支えているのが「信用」(credit)です。この信用の増幅が、肥え太っていく金融資本主義の餌になっているといってもいいでしょう。そして、そのすべての根底にあるのが人間の私欲(敢えて言わせていただければ、強欲)ということになるわけです。この信用の変容が同時に金融システムの崩壊のアキレス腱になっていることは、人類が過去にいく度も経験した金融恐慌からも明らかです。
信用が膨らんでいるとき(バブル)はいいのですが、ひとたび信用の収縮(credit crunch)が始まると、誰もそれを制止できなくなるのです。資本主義の「株式」は常にこの「信用収縮」という爆弾を抱えながら、繰り返し性懲りもなく、この私欲に踊らされて来たといっても過言ではありません。
いま、世界で大暴れしているこのコロナウィルスが、思った以上にしぶとく、その終息をなかなか見ることが出来ない場合、この金融にまつわる現象がどんな形で変化していくか考えてみます。
このことを考えるうえでのキーワードは「信用貸し」と言う概念です。
今までの考えでは債権者は債務者に貸し付けたお金に「金利」を付け、「返済期間」を設け、返済不能(焦げ付き)になった際の「担保」を取ろうとします。
そして、この債権者が銀行であれば、、最初の債権者はその銀行に対して債務者となります。さらに債権者の銀行がその上の大銀行(都市銀行や中央銀行))に対しての債務者になるという一連の連鎖の頂点に上述したFRBや金融貴族と言われる一群の人達がいるのです。そして、この連鎖の中を金利、返済期間、担保という縛りの中でお金が流れて行くわけです。(実際はこんな単純なものではないのですが、大筋は間違っていないはずです。)
「金利」「返済期間」「担保」と言う概念は上に挙げたキーワード「信用貸し」と言う概念になじまないものであることは、そんなに難しく考えなくても理解できることです。
一例を挙げてみます。
ここに、外国の大学に留学を目指している息子がいるとします。親は我が子の成長を夢見ながら、なけなしのお金を子供に投資します。子を思う親ならそのお金に金利を付けたり、返済期限を設けて返済を迫ったり、ましてや担保を取ったりしません。これが「信用貸し」という概念に近いお金の流れです。
そのお金で大学に通い無事に卒業。社会人になって収入を手にするようになれば、その子は親に対して感謝の思いを込めて、自分の自由意思で何らかの「返済」をする。これが信用貸しに始まり自由返済という形で循環するお金のシステムです。
このシステムを支えるのが親子の信頼関係であることは言うまでもありません。そこには今日の金融システムを成り立たせている「私欲(強欲)」の入り込む余地はありません。よって信用収縮(credit crunch)といったことも起こりえないのです。
恐ろしく単純化して述べていますが、この親子の信頼関係(信用貸し経済システム)を雛形として現下の金融システムを見直し、世界にはびこる強欲金融資本主義というイズムの不条理を撲滅させる契機を人類が見出すために、この新型コロナウィルスが大暴れしている、と考えても当たらずとも遠からずと考えるのですが、いかがでしょうか?
このコロナウィルス禍が長引き、経済の停滞が続けば、事業のため借りたお金を返済できず、体力が尽きて倒産する会社がおびただしい数出てくるでしょう、そうなれば貸し倒れに見舞われた債権者や銀行も焦げ付いた債権を処理できなくなるのは当然のことです。
これは一種の「踏み倒しと貸し倒れの連鎖」ともいえるのです。この踏み倒しと貸し倒れの連鎖というウィルスに感染すれば、これまでの金融システムもひとたまりもありません。あたかも一つの小さな亀裂から巨大ダムの決壊が始まるのと同じように、世界金融システムの急速な崩壊が始まっていくのです。人類はそれを遠からず目の当たりにすることになるでしょう。(コロナ終息後7年ぐらいかかるのではないかと個人的には考えています。)
そこで必要な対策は、国家が親となり責任をもって、子である国民に「信用貸し」という理念で投資するということを決断して実行するというポリシーを打ち立てることです。
上に述べて来たように、そこには「金利」もなく、「返済期限」もなく、当然「担保」といった概念は存在しません。必要なのは親(国)子(国民)のゆるぎない信頼関係と公益精神だけです。そして、この「信用貸し」という無私無欲な金融理念は、恐らく、資本主義の後に到来する人類を幸福に導く誰もが納得する経済イズムになるに違いありません。 そんな世界を実現するためには人間が内面的に大きく変わっていかなければなりません。この新型コロナウィルスは人間にそのことをダイレクトに迫っているのです。強いているといった表現の方が当たっています。
私利私欲を軸にした利潤追求(株主優先の資本主義)の時代は過ぎ去り、公益のためにお金が回る、あるいは回す経済(公益資本主義)が展開される時代に入ることは確実です。
この「コロナの禍」が時代の結節点になることを予感しています。
具体的にはクラウドファンディング、贈与経済、ベーシックインカム、電子マネーとか言った経済理念や経済システムが浸透していく時代である、と考えています。
いささか、舌足らずの大雑把な考察に終始しましたが、人類が未来を創造していく一つのヒントとなれば、と思い回答しました。
蛇足ですが、現在の金融システムの頂点に君臨する強欲な人たちに、イエス・キリストが捧げるみ言を3つ記しておきます。いずれもよく知られている聖書の中の一節です。
『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイによる福音書 4:4)
『富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい』マタイによる福音書 19:24)
『あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない』(ルカによる福音書 16:13)
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